研究紹介商業学分野Commercial science (Marketing)

白井美由里

慶應義塾大学商学部教授

白井美由里

消費者行動論

横浜国立大学教授を経て、2015年から現職。博士(経済学)。最近の関心は、社会心理学などの他の領域の理論や概念と製品類型を用いて、まだ十分に明らかにされていない消費者の意思決定を分析すること。特に、サステナブル消費に注目している。Journal of Retailing and Consumer Services, Journal of Services Marketing, European Journal of Marketing, Psychology & Marketingなどに論文を掲載。
ホームページ:http://miyurishirai.my.coocan.jp/

消費者の意思決定の心理的プロセスを解明する

慶應義塾大学商学部教授 白井美由里

 私の専門は、マーケティングの研究領域の一つである消費者行動論です。マーケティングは学際的で研究領域も広範囲なので、いろいろな分類の仕方がありますが、私がかつて大学院生のときに留学したペンシルバニア大学ウォートン・スクールでは、マーケティング研究者を「マーケティング戦略」「マーケティング・サイエンス」「消費者行動」の3つのグループに分類していたことから、私もそのように捉えるようになりました。マーケティング学者のジャグディッシュ・シェス教授によると、1960年代にマーケティングからこうした3つの領域への分岐が起きたそうです。もちろん、複数の領域にまたがる研究もありますし、これらの領域には含まれない研究もあるということは言うまでもありません。

 消費者行動論の研究は、1969年の米国消費者行動研究学会 (The Association for Consumer Research; ACR) の設立と1974年の消費者行動研究ジャーナル (Journal of Consumer Research) の発刊を機に拡大し、これまでに膨大な数の研究が蓄積されてきました。研究の目的は、製品やサービスの選択、獲得、使用、および廃棄に関する消費者の意思決定の解明であり、主に直接的には観察できない心理的プロセスを見出すことに焦点を当てています。アプローチとしては、仮説を立て、それを調査や実験を通して収集したデータを分析して実証するというのが一般的です。また、研究には学術的な貢献とプラクティカルなインプリケーションの提示が必要とされ、主な先行研究の知見と残されている課題を明確にした上で自身の研究のオリジナリティとその意義、ならびに研究結果の企業等のマーケティング戦略への有用性について説明できなければなりません。

 私の研究について紹介しますと、最初に取り組んだのは消費者の価格判断の研究です。私が大学院生の頃は、そのメカニズムについてはまだわかっていないことが多く、海外では数多くの研究者が関心を向け、次々と研究が発表されていた時期でした。それらの知見はとても興味深く、その流れに触発されて、私も研究したいと思ったことがきっかけです。大学院を修了した後もしばらくはこの研究に集中しました。当時は、ACRのコンファレンスでも価格をテーマにしたセッションがよくセッティングされており、そうした学会を通じて数人の研究者とコンタクトし議論するようになりました。価格判断は、消費者にある程度の知識や経験があれば、記憶から想起される心理的な基準価格(内的参照価格)との比較によって行われることは既に知られていました。私が行ったのは内的参照価格の性質を解明する研究で、いろいろな分析をしました。例えば、製品特性や消費者特性が消費者に用いられる内的参照価格の数やタイプに及ぼす影響、一定期間に実施される値引きの頻度、幅、および実施タイミングが内的参照価格に及ぼす影響、小売店や広告の製品情報が内的参照価格の水準やその変化に及ぼす影響、内的参照価格と実際の販売価格の乖離が外的情報探索意図や感情に及ぼす影響、知識が低い中で製品情報から内的参照価格を形成するときに用いられるヒューリスティックなどを明らかにしました。

 その次に取り組んだのは、プレミアム価格に対する消費者の価値構造を解明する研究です。消費者のプレミアム価格の支払い価値は、どのような製品要素で構成されるのかといったリサーチクエスチョンから開始しました。このテーマでもいろいろな分析をしました。例えば、製品類型(思考型 vs. 感情型)と顕示性の高低で構成される4つの製品カテゴリーそれぞれに属するプレミアム・ブランドを対象とし、それらの消費から得られるベネフィットやそれらのブランド・パーソナリティ(イメージ)に対する支払い価値を比較分析しました。また、リーマン・ショックで終焉してしまいましたが、日用品のプレミアム・ブームが見られたときには食品の価格プレミアムを明らかにしました。

 続いて行った価格研究は価格や値引きの表示方法の効果で、価格リフレーミングとテンシル価格訴求を分析対象としました。前者では、同じ販売価格を「一日○○円」のような時間単位、「100グラム○○円」のような重さ単位、および「一回○○円」のような使用回数単位で提示したときの消費者反応の違いを、後者では値引きを「最大40%引き」のような最高値引き率、「10%引き~」のような最低値引き率、および「10~40%引き」のような範囲で提示したときの消費者反応の違いを分析しました。最後に行ったのは、ユニットプライシングの研究です。ユニットプライシングとは、重さや容量を単位とする価格表示のことをいいます。複数のサイズを提供する製品を対象とし、ユニット価格が小サイズよりも大サイズの方が高い場合、大サイズよりも小サイズの方が高い場合、およびサイズ間で同じ場合の消費者反応の違いを分析しました。

 近年は価格から離れた研究を行っています。価格研究がかなり進展し、残されている課題が限られてきたこと、私自身も十分に研究したという思いが深まったこと、消費者行動を理解するためには価格以外の側面にも目を向ける必要があると感じるようになったことなどがきっかけです。特定の意思決定や判断だけに目を向けるのではなく、社会心理学などの他の領域の理論や概念と製品類型を用いて、まだ十分に明らかにされていない消費者の意思決定を分析しています。最近の関心は、消費者行動研究以外の研究領域でも高い関心が向けられ、研究数が年々著しく増加しているサステナブル消費の研究です。積極的に関わろうとする消費者が依然として限られている中、サステナブル消費を促進できるようなコミュニケーション戦略を検討しています。

 消費者行動研究は面白いです。その魅力は、自分自身や家族を含む身近な意思決定から問題を考えることができること、設定した仮説を自分が収集したデータで検証できることと、そしてまだ知られていない心理的プロセスを発見できることだと思います。また、企業が効果的なマーケティングを行うためには消費者行動の理解が必要不可欠ですが、消費者行動は刻々と変化するので、その継続が必須です。そのため、消費者行動研究では理論だけでなく実践への示唆の提供も絶えることなく重視されるという点も面白さにつながっていると思います。価格と関連する消費者行動研究の知見は企業の関心が特に高く、これまでにいろいろな企業から相談を受けました。さらに、研究者の世界的な増加ともに研究はますます活発化しており、思ってもみなかった視点での研究に出会えることも魅力です。