
慶應義塾大学商学部教授
松本陽一
経営戦略論、イノベーション論
神戸大学経済経営研究所講師、同准教授、慶應義塾大学商学部准教授を経て、2024年度から現職。博士(政策・メディア学)。現在の関心領域は資源の再配置を通じた企業の競争優位。Strategic Management Journal、Technological Forcasting and Social Change、『組織科学』などに論文を掲載。
組織の強みを活かす経営戦略の研究
慶應義塾大学商学部教授 松本陽一
研究のきっかけ
私が大学院の修士課程に進学したのは2003年のことです。当時のエレクトロニクス産業では、DVD関連機器やカーナビ、液晶テレビなど、さまざまなデジタル家電のイノベーションで日本の企業が世界を先導していました。その一方で、イノベーションで先行したはずの日本の大手エレクトロニクスメーカーが世界的に見て高い収益性をほこっていたとは言いがたく、「技術で勝って事業で負ける」と言われるような状況にありました。私の指導教授であった榊原清則先生の研究テーマをなぞるようにして、私もまた優れた技術を大きな利益に結びつけるための戦略について研究を始めました。
統合型企業の強みと弱み
榊原先生(と私)が着目したのが、エレクトロニクス機器における完成品とキーデバイス(重要部品)の関係です。日本の大手エレクトロニクスメーカーの多くが、自社でエレクトロニクスの完成品ブランドをもち、その差別化のために、日々、キーデバイスの技術革新に挑んでいました。社内に先進的なユーザーがいることで、その声を聞きながら技術開発を進められますし、技術開発に成功すれば、その実用化も素早く進むはずです。優れたキーデバイスを開発できれば、自社の完成品の差別化にも寄与すると思われます。ひとつの会社が完成品とキーデバイスの両方を内製していることは、どちらにとっても良いことが多い。この点は先行研究において、すでに指摘されていました。
さて、いったん開発に成功した画期的な技術は、そのままでは普及しません。長年にわたる研究開発の結晶であるキーデバイスは、はじめのうちはコストが高すぎます。コスト低減の努力は不可欠で、同時に大量生産に向けた試行錯誤が始まります。そして大量生産に成功し、生産の自動化が進めば、キーデバイスのコストは劇的に低下します。それにともなって、今度は社内需要を上回る数量のキーデバイスができてしまいます。この点は、完成品の競争力が劣位にある二番手以下の企業において顕著であり、したがって虎の子のキーデバイスは遅かれ早かれ、売るか/売らないか(Sell or not Sell)の問題に直面することになります。キーデバイスを社外に売らなければ完成品の差別性は守られますが、コスト競争力では劣勢に立たされます。反対にキーデバイスを社外に売れば、完成品の差別性を損ないますが、コスト低減はさらに進みます。完成品の競争力で二番手以下の会社は後者を選択しがちで、そうなれば一番手企業も追随せざるをえず、各社はキーデバイスによる完成品の差別性を失って、行き着く先は安売り競争です。
暫定的な結論
上記のようなことは、かつて日本企業がイノベーションで先行したクオーツ腕時計で観察されたことです(榊原、2005)。しかしながら、完成品とキーデバイスとの関係をどのように位置づけるかという問題は、その後のデジタル家電においても、つねにつきまとってきたように思われます。問題は、完成品とキーデバイスとを社内にもつ統合型企業が、自社の完成品の差別化のためにキーデバイスの開発に成功すると、社外に販売可能なキーデバイスという事業をもつことになるが、それぞれを同時に最適化することは難しいということです。ひとつの会社が完成品とキーデバイスの両方をもつことは、イノベーションを促進するという面では良いことのように思われますが、イノベーションから利益を得ようとする局面では重大な問題を突きつけることになりそうだ、というのが暫定的な結論です。
社会の変化と研究テーマの変化
日本のエレクトロニクスメーカーを中心に、「技術で勝って事業で負ける」と呼ばれる状況がしばらく続きました。しかしながら、事業で十分な利益を得られなければ、将来に向けた投資が先細りするのは当然です。また、かつてアジアの新興国であった国々は発展をとげ、強力な競合企業も成長しました。結果として、日本企業が技術開発の面で勝っているという状況は自明ではなくなりました。そうなると、私の問題意識は、もはや現実をうまく捉えているとは言えないように思われました。また、私としては完成品とキーデバイスを両方もつ日本企業のあり方について、2012年に出版された論文(松本、2012)でひとつの区切りがついたようにも感じていました。さらに言えば、これまでの研究は日本企業が負ける理由を考えているようなものであり、前向きな議論になりにくいという不満がありました。もっと明るい研究がしたいと思ったのです。
新しい研究課題
新しい研究の方向性を模索していたころ、長期の海外滞在の機会に恵まれました。そこで、これを機に新たな研究に踏み出すことにしたのです。日本の大企業のほとんどは、複数の事業を社内にかかえる多角化企業です。完成品事業とキーデバイス事業をもつのも多角化企業のひとつであると言えます。そのような会社が、単一の事業に専念している会社に対して優位性を発揮できるとすれば、そこにシナジー(相乗効果)があるからだと一般的には言われます。それが何なのか、どういう場合に、どうやったら、その強みをより発揮できるようになるのだろうか。この点を研究しようと考えました。
シナジーを考える上で、重要な概念のひとつが「範囲の経済性」です。ごく簡単に言うと、範囲の経済性とは、2つの異なる事業をひとつの会社が手がける方が、異なる2つの会社が各事業を別々に手がけるよりも効率が良いことを指します。そして範囲の経済性には、同時点での範囲の経済性(intra-temporal economies of scope)と異時点間での範囲の経済性(inter-temporal economies of scope)との2種類があります(Helfat & Eisenhardt, 2004)。近年、研究が活発に行われていて、私も注目したのが後者の範囲の経済性です。簡単に説明しましょう。仮にある事業Aで使っていたヒト・モノ・カネなどの資源があります。企業①は事業Aから撤退し、そこで使っていた資源を事業Bへの参入に使うとします。そうすると、全く何もないところから事業Bに参入する企業②と比べて企業①の方が効率が良いはずです。これが異時点間での範囲の経済性です。そして、その実現には資源の再配置が必要です。では、どういう場合に、どういう資源を、どうやって再配置すると、それをしない場合よりも良いことが起こるのか、ということが研究課題です。
半導体企業の実証研究
変化しつづける環境に適応するためには、企業は事業を柔軟に入れ替えなければなりません。そのときに、いかに手持ちの資源を有効活用できるかどうかが、その会社の長期的な競争力を左右するだろうと思われます。2016年から2年にわたってシンガポール国立大学に滞在し、同大学のチャン・セジン教授と共同研究を行ってきました。半導体産業を対象として、事業の入れ替えや発明者の再配置を捕捉することで、半導体メーカーによる資源の再配置と競争優位性との関係を分析しています(Chang & Matsumoto, 2022)。まだまた研究の余地は多く残されていますが、資源の再配置の問題を通じて、多角化企業の長期的な競争優位の源泉を少しでも明らかにすることを目指しています。
参考文献
Chang, S.-J., & Matsumoto, Y. (2022). Dynamic resource redeployment in global semiconductor firms. Strategic Management Journal, 43(2): 237-265.
Helfat, C. E., & Eisenhardt, K. M. (2004). Inter-temporal economies of scope, organizational modularity, and the dynamics of diversification. Strategic Management Journal, 25(13): 1217-1232.
松本陽一(2012)「ドメインの階層性:戦略分析の新しい視角」『組織科学』45巻3号,pp. 95-109.
榊原清則(2005)『イノベーションの収益化:技術経営の課題と分析』有斐閣.