
慶應義塾大学商学部准教授
木村太一
財務会計論
多摩大学専任講師を経て、2024年から現職。修士(商学)。最近の関心は、財務会計を行なう上で、暗黙裡に置かれた前提を明示することにある。この際、財務会計の手段たる複式簿記の特徴が、財務会計(を行なう人々)に与える影響にも注目している。『産業經理』、『簿記研究』、『會計』などに論文を掲載。
財務会計を行なう上での隠れた前提の明示化
慶應義塾大学商学部准教授 木村太一
私が専門とする財務会計論は、会計学の1分野です。会計学が対象とする会計という行為は、大まかにいって、企業の活動を金銭の流れという側面から把握する行為であるといえます。そうした会計という行為の中で、財務会計は、①企業活動を金銭の流れという観点から把握した上で、企業活動の結果を当該企業の財政状態や経営成績(=会計情報)として表現し、②それらを企業外部の利害関係者に伝達する行為といえるでしょう。こうした財務会計の特徴のうち、②の性質は、財務会計が、ルールに基づいて為されることと密接に関連しています。なぜなら、会計情報の伝達先が企業外部の人間である場合には、会計情報の作成がある程度ルールに基づいて行なわれないと、会計情報を受け取る人々が、各企業の会計情報を比較できなかったり、当該情報の意味するところを理解できなかったり、といった問題が生じる可能性があるからです。そこで、財務会計においては、ある企業活動が生じた場合に、その結果を財政状態や経営成績として表現する仕方(=会計処理方法)について、定めが置かれています。
そうした性質から、会計学(特に、財務会計論)は、当該ルールを覚える勉強というイメージが広く浸透しているように思われます。しかしながら、このようにルールが存在するということは、裏を返せば、1つの企業活動に対して、複数の会計処理方法が想定される場合があることを意味します。なぜなら、1つの企業活動に対して、1つしか会計処理の方法がないのであれば、ルールでその方法を定めておかなくても、その方法で会計情報が作成されるはずだからです。そして、複数想定される会計処理方法の中から、ルールとしてどの方法を認めるのか(あるいは、どの方法は認めないのか)を決定する以上、そこに、「なぜ」と問う余地が生まれます。すなわち、「なぜ、その方法が認められるのか(あるいは、その方法は認められないのか)。」や、「その方法を認めておきながら、こちらの方法は認められないのはなぜか。」といった問いです。こうした「なぜ」に答えるのが、財務会計論という学問(の少なくとも一側面)です。
現在、財務会計のルールは、会計情報の作成者、監査人、利用者、研究者といった会計専門家による議論を経て(また、議論の過程で広く一般からも意見を募集しつつ)決定されます。ルールの設定に携わる人々は、財務会計の専門家であるとともに、どんなルールが設定されるかについて少なからず利害を有する人々(の代表者)といえます。それゆえ、財務会計に携わる人々の利害が、ルール設定に大きく影響します。その一方で、表現対象(=企業活動)と表現された結果(=会計情報)との結びつきに関する規範や前提が、利害とは別に存在していることも否定できません。そうした規範や前提の中で、財務会計に携わる人々が、暗黙裡に置いているもの、これらを明らかにすることが、私の研究上の大きな関心事です。
今述べたとおり、私の関心は、財務会計を行なう際に、財務会計に携わる人々が、暗黙裡に置いている規範や前提を明らかにすることにあります。そうした目的のために、ルール設定が難航しているような会計処理について、当該ルールが成案として公表されるまで提出されてきた意見などをサーベイして対立点を抽出するといった作業を行なっています。先ほど述べたように、1つの企業活動に対して、複数の会計処理方法が想定される場合があります。これは、1つの企業活動を会計情報として表現する際に、当該活動のどの側面に着目するか、という観点(私は、「表現したいこと」と呼んでいます。)が複数存在することが1つの原因です。そして、ルールの設定が難航する場合、どの側面に着目するか、すなわち、「表現したいこと」の対立がしばしば観察されます。そして、そうした対立の背後に、表現対象と表現結果との結びつきに関する規範を見て取ることができると考えています。
また、ある企業活動について、これまで提示されてこなかった架空の会計処理方法を作るといったことも行なっています。そして、そうした架空の方法と、(現にルールで採用されている方法を含めて)これまで提示されてきた方法とを比較することで、これまでの議論で置かれていた前提を探るのです。
最後に、上記のような研究をする際に、私が特に注目している複式簿記の存在について紹介します。複式簿記は、企業活動を記録・整理する仕組みです。財務会計は、企業活動を把握した上で、企業活動の結果を当該企業の財政状態や経営成績を表現する行為であると述べてきました。この際、企業活動の把握は、当該活動を複式簿記によって記録することによって為され、当該記録を整理することで、財政状態や経営成績を示す情報を産出しているのです。つまり、財務会計は複式簿記を用いて行なわれているのです。
この、複式簿記には、企業活動の記録の際に1つの企業活動に対して2回の記入を行なうなどの、いくつかの特徴があります。そして、複式簿記が会計という表現行為の手段として用いている以上、当該複式簿記の特徴が、会計において表現できることに少なからず影響を与えていると、私は考えています。たとえば、企業活動の多くは、(商品の購入時には、①商品の受け取りと②金銭の引き渡しとが存在するといったように)1つの企業活動において、2つのモノの流れが生じます。それゆえ、1つの企業活動に対して2回の記入を行なうという性質は、そうした2つのモノの流れが生じる活動の記録に適しているといえます。しかし、複式簿記の特徴は、そうした2回の記入を、(一見、2つのモノの流れを生じさせないような企業活動も含めて)すべての記録において貫徹するところにあります。この2回記入の貫徹のメリットは大きいものの、反面、1つの企業活動をうまく2つの側面から捉えることができない場合などは、当該企業活動の記録それ自体を困難なものにします。このように、「表現したいこと」があったとしても、「表現できること」からの制約というものがあるのではないか、そしてそれらの中には、表現手段としての複式簿記という記録の仕組みによって生じるものがあるのではないかと、私は考えています。
ただしその一方で、1つの企業活動をうまく2つの側面から捉えることができるように、既存の概念を解釈し直したり、拡大して解釈したりといったことも行なわれます。もちろん、そうした新たな(あるいは、拡大された)解釈が受け入れられないこともありますが、それらが受け入れられればそれが新たな規範や前提となります。そうした意味で、複式簿記のもたらす制約は、そうした規範や前提を生み出す原動力になっているとも考えています。
このように、財務会計に携わる人々が、暗黙裡に置いている規範や前提を明らかにする上で、表現手段としての複式簿記の特徴が会計に及ぼす影響にも着目して、研究を進めています。