2011 India Study Tour(8/21〜8/31)
8/21〜8/31に2011 India Study Tourを実施しました。 ここでは概要と参加者の感想を掲載します。 Tourの詳細は, Taj多事をご笑覧ください。 アーカイブをクリックするとすべてのメニューを表示できます。
参加したのは,4年生が5名,3年生が9名,それに小生の小学6年生の豚児と小生を合わせて16名です。 ご協力いただいたHumana People to People Indiaのスタッフの皆様, Sulabh InternationalのPathak博士およびスタッフの皆様, The Energy and Resources InstituteのRitu,Atul, Jayaをはじめ研究員の皆様に感謝申し上げます。 最後に,ホテルや車の手配をはじめ,さまざまな面でわれわれをサポートしてくれたセナさんには, 何度感謝申し上げても仕切れないほどです。みなさまのおかげを持ちまして, 今年度のStudy Tourがなんとか無事に終えたことを感謝申し上げます。ありがとうございました。
- 2011/08/21
- 11:30
- AI306便にて成田発。
- 17:15
- New Delhi Indira Gandhi Internationa Air Port着(現地時間)。
- 18:30
- New Delhiの宿泊先,Karol BaghのBharat Palaceへチェックイン。
- 19:00
- セナさんといっしょにインド料理で夕食@Kadhai Tadka。
- 2011/08/22
- Janamashtami,Krishna神の誕生日を祝う祭りで休日。 社会活動家Anna Hazareが,汚職撲滅を訴えて16日から断食を続けているRamlila Maidanへ。 28日に政府が彼の要求を受け入れ,29日午前10時,13日間に及ぶ断食を終えた。 「一つのインド」を訴え,非暴力で闘う彼は「現代のガンジー」と慕われている。
- 2011/08/23
- Humana People to People India(HPPI)が実施する Green Action,Academic of Working Childrenを視察にRajasthan州へ。
- 6:00
- Bharat Palaceをミニバス2台で出発。
- 13:00
- DausaのBiogas Green Action Projectに到着。プロジェクトの説明を受ける。
- 13:30
- 村に入りバイオガス プラントを導入した農家を訪問。
写真は,Floatingタイプのバイオガス プラント。左の投入槽に毎日決められた量の牛糞と同量の水を入れる。 Slurry(泥)化した牛糞は,真ん中下の発酵槽(Digester)でバクテリアによって分解され, 上のガス ホルダー(Holder)に溜まる。 ガス ホルダーの上部からパイプが出て,これが家屋まで引かれている。 牛糞残渣は右側の槽に移される。この農家では,slurry状の残渣を堆肥にしてから,畑の肥料として使っている。 もし牛糞をバイオガス化しない場合には, 女性が牛糞を回収し手でDung Cakeと呼ばれる牛糞燃料にして伝統的なChulaと呼ばれるストーブに焼べられる。 不足する燃料は,女性と子供たちが周辺の森林から木の枝を拾い集めてChulaに焼べる。 したがって,バイオガスを使うことができれば,女性は燃料を収集するために費やされていた多大な時間を別の目的に使うことができる。 薪を拾うために学校に行くことのできなかった子供たちも学校に戻ることができる。 さらに屋内において伝統的なChulaで燃料を燃やすときに発生する煙による屋内公害(In-house Air Pollution: IAP)も回避することができる。 また,肥料の購入に費やしていた支出を節約することができる。
- 18:00
- 穴だらけの道路を蛇行しながら3時間をかけてVirant Nagarに到着。 ここには,Jatropha(日本名ナンヨウ アブラギリ)という植物から,バイオ燃料を生産する実験プラントがある。 到着時刻が遅すぎて,Jatropha生産農家の視察は断念。バイオ燃料実験プラントを動かそうとしたら,30分間の停電・・・
- 19:30
- Jaipurの宿泊先,The Wall Streeにチェックイン。
- 20:00
- 夕食@Niros。
- 2011/08/24
- Jaipurのスラムで展開される就労児童のためのAcademic of Working Children(AWC)を視察。 AWCは,子供たちへの教育と,子供と親への自立のための職業訓練を提供している。 子供たちは,認定を受ければGovernment Schoolに復学することできる。
- 8:30
- AWCのスタッフとホテルの会議室で顔合わせ。
- 10:00-10:30
- Malviya NagarのAWC Main Centerで歓迎式。スタッフからプロジェクトの概要説明。
- 10:30-11:00
- 授業参観。
- 11:00-12:00
- Government Schoolを訪問。授業参観。校長および先生方とミーティング。
- 12:00-12:30
- 2nd Satellite Centerへ。授業に参加。
- 12:30-13:00
- 2nd SatelliteのSewing Centerを視察。職業訓練を受けている女性たちにインタビュー。
- 13:00-13:30
- スラムに入り,AWCの縫製訓練を終了して自立した女性の家(ショップ,職場,家の兼用)を訪問。 彼女は,1日あたり4から5軒のオーダーを受け,280Rs./日(480円)の収入を稼げるようになったそうだ。
- 13:30-14:30
- ランチ。
- 14:30-15:00
- Jagtpuraに移り,Main Centerで歓迎式とスタッフからプロジェクトの説明を受ける。
- 15:00-15:30
- 授業参観。
- 15:30-15:50
- Satellite Centerの縫製訓練所でBhavna Varmaという17歳の少女にインタビュー。
Bhavnaの父親は,彼女が生まれると,生まれた子が女の子であることを嫌悪し,家を出てしまった。 さらに父親はギャンブルで借金をつくり,その借金の形として家と土地を奪われ, 母親とBhavnaはJaipurに出た。Jaipurで母親は建設労働者として1日100Rs.(170円)を稼いでいる。 苦しいながらも母親は,BhavnaをPrivate Schoolに通わせ,彼女はいま第9学年で勉強している。 BhavnaはAWCのcommunity meetingに参加したのがきっかけで,縫製訓練に通うようになった。 Bhavnaは,母親の誕生日にはじめて作った自作のドレスをプレゼントした。 Bhavnaは,母親の建設労働は年齢的に厳しくなっていると感じており,目に疾病があることにも気づいている。 彼女は,なんとか自分が仕立て屋になって母親を助けたいと考えている。
- 15:50-16:10
- スラムに入り,13歳の少女Megha Tarunと母親にインタビュー。
MeghaはGovernment Schoolの8年生であったが,5年ほど前から父親が酒に溺れ,仕立て屋の仕事もしなくなってしまった。 Meghaも彼女の母親も英語を流暢に話すほどの能力があるのに,Meghaと彼女の妹は学校をやめざるを得ず,生活もどん底に落ちた。 Meghaと妹が路上で遊んでいるのをAWCのスタッフが見つけ,姉妹はAWCで学び始めるとともに,そこでダンスも身につけた。 いまやダンスでお金を稼げるほどである。自信を取り戻したMeghaは父親と家族の将来について真剣に話し合った。 特にAWCで学んだ,勉強することの大切さ,働くことの大切さ,過度な飲酒がいかに体を蝕むかを父親に説得した。 父親は,Meghaの説得を受け入れ,飲酒を控えるようになり,仕立て屋の仕事も再開した。 AWCは,生徒の制服の縫製をMeghaの父親に発注した。 Meghaは8学年終了をAWCから認定され,現在はGovernment Schoolの9年生に復学した。 いまでも妹とともにAWCのダンス教室でその技を磨いている。 後ほど,姉妹のインド古典舞踏を披露していただいた。
- 16:10-16:30
- 同じスラムにあるNafisaの家を訪問。
38歳のイスラム教徒であるNafisaは,主婦であり,妻であり,5人の子供の母親である。 Nafisaの夫はバスの運転手であるが,その収入だけは家族7人で暮らすには苦しく,ましてや子供を学校に通わせることなどできない。 住居は,4畳程度の部屋が一部屋で,調理も外,シャワーもトイレもない。 就学年齢に達している4人の子供達はAWCで勉強している。 Nafisaは,AWCの親のミーティングで職業訓練があることを知り, ガンジーが使用したことで知られるインドの伝統的な手紡ぎ車Charkhaによる糸紡ぎの技術を習得した。 Nafisaが紡いだ糸は,Khadiを織るために政府に買い取られ,1日160Rs.(272円)を稼ぎだす。 それだけなくNafisaは周辺地域においても重要な役割を果たしており,子供達が学校に行く必要性を近隣住民に訴えている。
- 16:30-16:45
- 女性たちに字を教えるSitellite Centerを見学。
ここの最終的な目標は,自分の名前が書けるようになることである。 せっかく職業訓練を経て自立したとしても,仕事の契約でサインができないようでは困ってしまう。 そこで最低,自分の名前,サインだけは書けるようにするというのだ。 教室に入ったときには,多くの生徒達は数字の勉強をしていた。 文盲といっても数字はわかるのだろうと思っていたが,そうではないということを知って驚く。 彼女たちは,買物に行ってもモノの値段を読めないのだそうだ。 いったいどのようにしてこの貨幣経済の中で暮らしていけるのだろうか。
- 16:45-17:15
- 先生と子供たちによる演奏,歌,舞踏の披露。
- 17:15-18:00
- Jagtpuraのスタッフと懇談。
- 18:00-18:30
- Malviya Nagarに戻り,Malviya Nagarのスタッフと懇談。 最後に子供たちが作った,装飾品と熊のぬいぐるみを頂戴した。 それらは,三田の新保研究室に飾ってある。
- 2011/08/25
- 午前中,Jaipurを観光。Hawa Mahal,Jantar Mantar,City Palceを観光。 午後,Delhiへ戻る。21:00 Delhi着。
- 2011/08/26
-
Sulabh Internationalを訪問。
インドには,アーリア人の侵入以来長い歴史の過程で形成されてきたカーストという階級制度がある。 それは,バラモン(司祭),クシャトリア(王族,武士),バイシャ(平民),シュードラ(隷属民)の4つのヴァルナからなるが, 統治の過程の中で不可触民という第5の最低の階級が形成された。 各ヴァルナは,通婚,水のやり取り,共食の範囲を限定するジャーティと呼ばれる職業集団で細分化されているが, シュードラのうち排泄,死,血など汚れたものに携わるジャーティに属する人たちが不可触民として差別的な扱いを受けてきた。 イギリスから独立後の1950年に発布されたインド憲法の17条は,あらゆる不可触性を禁止し, 不可触民は指定カーストとしてさまざまな優遇措置などを受けられるようになったが, 特に農村部においては不可触性は残ったままであるのが実情である。 不可触民の中でも,人間の糞尿を手で回収し,それを一斗缶のような器に詰め, その器を頭の上に載せて処分場まで運ぶことを生業にするマニュアル・スカベンジャーと呼ばれる人たちは,不可触民中の不可触民とされ, 現在においてもあってはならない差別を受けている。 彼女たちは,何の防護もなく無差別に人の糞尿に接するわけであるから,常に感染症のリスクに曝されている。 上の写真は,Sulabh Internationalのロゴとして使われている,スカベンジャーの像だ。
Sulabh Internationalを創設したBindeshwar Pathak博士は,スカベンジャーを必要とする乾式掘り込み便所をなくして, スカベンジャーを失業させれば,スカベンジャーを最低の仕事から解放することができると考えた。 Dr. Pathakのイノベーションは,乾式掘り込み便所を壊して根絶やしにするのではなく,人の手による清掃が不必要で, だれもが使うことのできる低コストのトイレで代替させることにある。 そして,スカベンジャーを失業させると同時に,他の職に就かせるための教育と職業訓練の場を提供することも忘れない。 ブラーミン(バラモン)であるDr. Pathakが,このようなことを発想し,実行したことがインドにおいては考えられないことなのである。 Dr. Pathakの考案したSulabh Shauchaiyaという水洗トイレは,人間の糞尿をバイオガス,堆肥,灌漑用水に分解し,完全に再利用する。 この技術は,最貧層の生活改善と環境保全に役立つのである。 われわれは,お祈りに始まる朝礼から参加し,Sulabh Public School,トイレ博物館,公衆トイレ複合施設を視察の後, Dr. Pathakを交えて意見交換を行った。 上の写真は,朝礼終了後,Dr. Pathak(向かって後列一番右)とスカベンジャーの女性たちとの記念撮影である。
- 2011/08/27
- Hardwarへ鉄道で日帰り旅行。Hardwarはヒンズー教の7つの聖地の一つで巡礼の信者でにぎわう町です。 われわれもガンガーで沐浴(水遊び??)をしました。
- 2011/08/28
- フリー
- 2011/08/29
- Agrarへミニバスで日帰り旅行。Taj MahalとAgra Fortを観光。
- 2011/08/30
- 14:00-16:00
- TERI(The Energy and Resources Institute)を訪問。 TERIは,新保が2008年9月から2010年2月まで研究のベースにした研究所である。 最初にStudy Tourの主旨の説明からはじめて, 東日本大震災でインド政府ならびにインド国民から受けた支援について御礼を申し上げ, 南三陸町の写真などをみせながら被害状況と福島第一原発事故の影響について簡単に話をした。 引き続き新保が,「Input-Output Analysis of Households’ Energy Ladder」というタイトルで研究報告を行った。 内容は,電力にアクセスできない家計が電力にアクセスできるようになり, さらに牛糞や薪を調理のための主たる燃料として使っている家計がよりクリーンで効率的な燃料を使うようになって消費パターンが変化した場合に, 経済全体のエネルギー需要にどのような変化が生じるかを, TERIの研究者と共同で開発したエネルギー環境分析用の産業連関表を用いて計算したものである。 続いてTERIのグループに「Poverty Reduction and Energy and Environmental Policy in India」というレクチャーをお願いした。 これはあらかじめお願いしていたものである。 インドにおける貧困の状況,農村,都市別のエネルギー使用の現状について話から始まり, MARKALを使った2030年までのしミューレション結果について報告をいただいた。
- 21:10
- New Delhi Indira Gandhi International Air Port発。
- 9:25
- 成田着。
- 10:00
- 解散。
- 2011/09/09
- 反省会。
参加者の感想
- 事前に様々な文献や論文を読んでからの出発となった今回のインド研修旅行。 しかし、"百聞は一見にしかず" とはよく言ったもので、インドの現状は想像以上だった。 貧富の差、人の多さ、道端に積み上がったゴミの山、牛の糞やゴミそして香辛料など様々なものが混ざった独特な臭い、 舗装されているとは到底思えないでこぼこ道、そのどれもが慣れ親しんだ国日本とはあまりにも違っていた。 また、今回の旅では、HPPIによるプロジェクトの視察、Sulabh Internationalによる不可触民に対する教育・職業訓練現場の視察、 TERI訪問など通常の旅行ではなかなか経験できないような経験ができた。 農村地域の民家や都市スラムを実際に目にできたことはとても刺激的だった。 少しタイトなスケジュールだったが、”インドの洗礼” も受けることなく終わることのできた今回の旅は楽しかった。 (清水 健吾,商学部4年)
- study tour お疲れさまでした。 はじめに、今回のstudy tour は私たち4年生が去年の夏前ごろからリクエストしていました。 昨年は、わずかな人数で再開したゼミ活動だったため、先生と生徒の距離が近かったことも今回の活動の実現の一因だった思います。 今年は3年生がたくさん入会し、先生も今回のtourの調整等が大変なところ、何事もなく(もちろん腹は壊しましたが)全日程無事に終わり、 感謝しています。 私が今回、一番体感したことは"格差"だと思います。 日本でも流行語のように、"格差"が叫ばれています。 正社員、派遣社員、ワーキングプア等の格差が日本には存在します。 しかし、そうはいっても、日本ではアルバイト暮らしでも、ある程度の生活は確保できていると思います。 ほとんどの子供は教育の機会を持ち、働きながら学校に通う生徒は少ないと思います。 一方、見学させていただいたアカデミーでは、働きながらでも学校に行けるのは幸せな事とする現状がありました。 ほかにも、都市の人たちは太っている人がたくさんいるのに、スラムの大人と子供は誰もが痩せていました。 日本に帰り、写真の整理をしていたところ、貧しい子供はカメラにものすごく興味を持ち、笑いかけてくれている写真があるのに対し、 都市の子供たちはきれいな格好をして、妙に大人っぽい姿でした。 ゼミの学習では、"インセンティブ"があれば、政策を実現する可能性が高まるという意見が多かったと思います。 でも、現実にここまで格差のある社会で、一元的な政策は正直、無理だろと思いました。 MOPには地方の団体の活躍について、かかれていましたが、細かい政策が非常に有効なのだろうと思いました。 そのため、今回、視察にいった、マイクロファイナンスの事務所?をどのように存続させていくかが、重要なのだと感じました。 生活文化の極めて異なる、日本とインドで10日間生活し、感じたことは、日本製品の多さです。 トイレの施設の偉いおじいさんも、日本製品について言及していたと思います。 スズキ、トヨタの車、ソニー、コダックの電化製品などをみかけ親近感も感じました。 そういった経験をふまえて、わずか10日間ですが、インドを遠くも、近くも感じたTourでした。 来年以降(4年はいませんが。)は、こちらサイドからも提案、プレゼンができるといいと思います。 社会人になる前に貴重な経験ができ、参加できて本当に良かったと思います。 (岡 祐一郎,商学部4年)
- インドを実際に見ての感想としましては、思った以上に技術が進歩した事に驚かされました。 その一方で、その技術進歩・技術革新が貧富の差を広げてはいないかという考えも浮かびました。 例えば、(情報も資源と扱われるようになった)現代社会で情報を得るために必要不可欠なインターネットですが、 これがあるかどうかでは生産性に大きな差が出てくると思います。 また、最終日にお世話になったTERIで「メトロには停電時に備えたバックアップシステムがある」と伺いましたが、 もしこのバックアップシステムが一般企業にも普及しているレベルだとすると(そして恐らくこのバックアップシステムは高価だと思いますので)、 停電時も創業できる備えができるような資金のあるオフィス・工場は (今後の停電時にも活動ができるので)より豊かになり貧富の差を広げる結果になるのでは、と思います。 (さらに、多くの人々が貧困から脱出し急激に電気需要が増えれば停電の頻度も増え、 上記のアドバンテージがより大きな差を生む可能性も・・・というのは素人の考えでしょうか。) インドに限った事ではありませんが、最新技術の製品というのは高い効用を得られる分いかんせん高価なものですから、 これらが貧富の差の拡大を助長する道具とならないようにする制度の必要性を感じました。 (小林 正和,商学部4年)
- 働く子供たちの学校やスラブ・インターナショナルに行って,そこの人たちがいろいろな努力や工夫をしているのに感心した。 タージ・マハルの模様がすべて対称になっているのは,たいへん印象に残った。 料理もおいしかったし,いろいろなところに行くことができたことが,とても楽しかった。 また,行きたいと思う。 (新保 卓樹,桶川市立朝日小学校6年)
- 10日間の滞在で、何より文化の違い、そして私自身の英語力の拙さに苦しみました。 そして、いかに自分が恵まれた環境にいるのかということ(日本という豊かな国に住み、高水準な教育を受けている)を痛感しました。 食べ物や交通路、トイレなど、インドの衛生環境は非常に悪く、GDPでは測れない生活水準の低さには驚きました。 そのような実情の中、逞しく学ぼうとするスラムの子供たちの姿を目にして、自分が恥ずかしいとすら感じました。 また、HPPIやTERIの方たちと実際にお会いし、彼らの教育水準の高さを実感したと同時に貧困層の人たちとの格差も確認できました。 インドで一番の問題とされている格差。これを解決するためには、経済的なアプローチだけでは不十分だと思います。 カースト制度など文化的な側面が影響している以上、 HPPIのような教育的アプローチを今後何十年と拡大していくしかないのではないでしょうか。 最後に、私は三日目の夜、インドの洗礼にあったことで非常に苦しい旅となりました。 そんな中、日本から持ってきたカップラーメンのおいしさに感動したり、訳もなくホテルの部屋を格下げされたりしたことは、 今となっては良い思い出です(笑) (高橋 佑季,商学部4年)
- 個人的には、下痢したことはつらかったですが、インドの教育事情が知れ、インドの熱気ある(?)雰囲気に触れられ、大満足でした。 おそらく、何年か経ったらまた行く気がします。 このような旅行を組んでいただき、ありがとうございました。 (山畑 幸祐,商学部4年)
- 慣れないインドの10日間は、現地にいる時は非常に長く感じました。 私の英語の稚拙さや早々に腹を下してしまい、食を楽しめなかったことも原因でしょう。 HPPIのプロジェクト、Sulabh Internationalによる教育や職業訓練を視察したことは今後しっかりとまとめて三田論、 さらには来年のツアーにつなげられればと思います。 あくまでも私の個人的な考えですが、公衆衛生こそその国の生活水準の基盤となるものだと思います。 インドでは街の至る所にゴミや糞(牛、人等)が溢れ、匂いがひどく、野牛や野犬などの動物はほぼ病気に感染している印象を受けました。 新興国インドがさらに発展していくためにも公衆衛生に対して更なる政策、活動が必要と感じました。 観光という観点から見れば観光客向けの店には気さくな人が多く、 仲良くなれば値段をかなり安くしてくれたりおまけをくれたりと楽しむことが出来ました。 来年も機会があれば行きたいです。 (斎藤 浩彰, 商学部3年)
- 私は今回のstudy tourで、非常に多くの人と出会いました。 なかでも最も印象に残っているのは、ガンジス河で沐浴をしている時に出会った一人の物乞いの少女です。 彼女は私が10円のブレスレットを3本買っただけで40分私の後をついてきました。 当時はそれを迷惑に思いましたが、今思うと彼女こそインドの貧困の被害者でした。 本で読むだけでは絶対にわからない貧困の実態を確認できたこのstudy tourは、私にとって非常に意義深いものでした。 今回視察した教育プログラムがこれから先何十年と続き、少しでも貧困が和らぐことを願っています。 また、そのためにもこれからゼミの勉強をしっかりしていかなければと感じました。 電気ポットをかしてくださった小林さんと拙い英語を理解してお湯を出してくれた現地のホテルの方には本当に感謝しています。 ありがとうございました。 (青木 徹也, 法学部3年)