Taj多事
Taj多事
2011
いよいよ今日はStudy Tourの最終日だ。午後2:00から4:00までTERIを訪問し,5:30にはDelhiを出発して空港に向かう。午前中はフリーで,13:00にKarol Bagh駅に集合。11時にSmile Innを出発することにして,TERIで報告するプレゼンテーション ファイルに手を入れたり,別件の原稿を書いたりなどして過ごす。次男は宿題のインド日記を記す。セナさんと相談してTERIからの帰りに空港へ向かう車を使わせてもらうことにした。ホテルの方はTERIに向かうときにチェックアウトし荷物を出し,TERIから戻ったときに3部屋を着替えやシャワーなどに使わせてもらうように手配した。今日は火曜日でセナさんはConnaught Placeの近くまでお祈りにいくので,Rajiv Chowkまでは車で送ってくれるという。ありがたい。
11:00にセナさんの車でSmile Innを出発して,Rajiv ChowkからBlue LineでKarol Baghへ向かう。13:00までは学生たちのホテルがあるのとメトロをはさんで反対側のKarol Baghを散策することにした。Krol Baghは小生もはじめてである。駅を出てビックり。えらい人の数である。Karol BaghというのはDelhiに暮らす人たちの買物の街だそうだ。ホテルも数多くあるのだが,ショップの数はものすごい。たぶんお土産なんかもここで全部そろうだろう。わざわざConnaughtまで出て,旅行者向けの高いモノを買わなくても,ここで現地の人向けのものを安く手に入れることができそうだ。
今日のお目当ての一つは,SuruchiというVegレストラン。ここは地元の人に人気のレストランでインド各地のTariを食べることができる。お値段は,200Rs.程度で決して安くないが,何度でもおかわりできるので,お腹いっぱい食べたい人には決して高くない。小生はRajasthan州,次男はGujarat州を選んだ。テーブルには,大皿の中に6個の空の小椀が並べられた。まず,ラッシーよりは薄めのヨーグルトドリンクがグラスに注がれる。これもおかわり自由なので,特に飲み物を頼む必要がない。味は,どちらかというとSaltyで,甘くないので何杯でもいける。Rajasthan的な制服に身を纏ったウェイターさんたちが,小椀にいろいろな種類のカレーとパンの類いを配って回る。何かがなくなればすぐに盛ってくれる。Gujaratのもののいくつかは非常にクせがあり,次男にはちょっとつらい選択になってしまったようだ。初心者にはRajasthanかPunjabがよさそうだ。PunjabのTariはDelhiのVegレストランでTariを注文すると出てくるDal MakhaniとShahi Paneerが中心のTariだ。ここの店では,何度でもおかわりできるの複数で来たときにはちがう州のものを注文して,いろいろ楽しむのがよさそうだ。満足満足。
Suruchiを出て駅に向かいながら散策を続ける。ところが,もよおしてきた。いったん駅にいってトイレがあるかどうか確認したが,ない・・・駅への道すがら公衆トイレ,それもすっごい汚いのがあるのは確認した。しかたない,その公衆トイレを使うしかない。 男性用の大は3つある。どれもドアは壊れている。真ん中のものはかろうじてドアの役目を果たしているので,そこを使う。 まさに掘り込み便所で,ドアの手前の隙間から下が覗けるのだが,たんまりと溜まっている。これをスカベンジャーたちがきれいにするなんてことが行われていたのかと思うと,するのが申しわけなくなる。でもがまんできない。ここでは排泄したものを桶に自分で水を溜めて流す。はじめての経験なのだが,風呂桶程度の水で十分流れるのだ。つまり1リットルもない。普段はそうとうな水の無題使いをしていることに気づかされる。これで公衆トイレも怖くない。
さて,駅に着いたのは13:00少し前。学生たちもほぼ集まっている。ただ,チェックアウトをしないで荷物も出さなかった輩がいる・・・その後チェックインする客がいなければ問題なかろうが,いたら費用も発生しかねない。セナさんに電話をして対処をお願いする。帰りにセナさんがぼっそり「いろいろあったね。日本人も変わっちゃうかな・・・」。問題は,やはり集合時間を過ぎても二人が来ない。誰も知らない・・・待ち合わせ場所を勘違いしているのではないかと言うので,いろいろ捜すがいない。午前中のフリー時間を長くするために,集合時間はTERIに行くのにギリギリだからねと言ったはずだが・・・
なんとか1時10分過ぎにはKarol Baghを出発して,Blue LineでRajiv Chowkへ出る。Yellow Lineに乗り換えて南方向へ二駅目のCentral Secretariatへ。ここでViolet Lineに乗り換えて一駅目のKhan Marketで下車。6番出口がIndian Habitat Center(IHC)と表示されているので,そちらを目指して歩き始める。エスカレーターを上って改札の見える所まできたが,どこが6番出口だかわからない。ちょうど改札を入ってきた女性が,「私,日本語を勉強しているの(英語)。こんにちは(日本語)。どこへ行くのですか(英語)」,「Habitat Centerへ(英語)」,「それならあっちよ(英語)。」と反対側の改札を指す。「ありがとう(英語)」「どういたしまして。インドへようこそ(英語)。」。ということで反対側の改札まで歩き,ブースの中の駅員の「IHCはここ?」,「ちがう,あっちだよ。あっちの改札出て左に行け」と今来た方向を指す。??。Taj Mahalの再現か?。もう一度最初の改札に戻り,こちらのブースの女性職員に「IHCはここ?」「ちがう。あっちよ」???「さっき,あっちの職員は,こっちを出て左に行けといったぜ」「それでもいいわ。どうぞ」。どっちでもいいんかい・・・This is India。
とにかく外へ出てみると,そこは超高級ホテルTaj The Ambassadorの横。えー,これなら一昨日に使ったKhan Market方面へ出たほうが,IHCにはよっぽど近いじゃん!!This is India, too。まぁ,ここからでも経験によれば10分ちょっと歩けばIHCに着く。とても蒸し暑く,少し歩いただけで汗だく。5分ほど歩いて後ろを振り返ると学生たちがまたっく付いてこない。時間わかってんだから,何してんねん,という感じだ。一本道なので迷うことはないので,先を急ぐ。IHCのゲートの手前まで来たときには,先頭と最後尾の差は100メートル以上は有意に開いていた。小生が歩いて10分と言ったのは,もちろん小生の歩くペースで計ってということで,おまえさんたちのペースじゃ20分あっても着かねーぞ。いくら暑いといっても,20代前半の若者が50歳のオヤジと12歳のガキより体力がないとはどういうこと???
IHCに入ってTERIに着いたのは2時をちょと回ってしまった。TERIのEntranceを入ると見覚えのある顔がいるいる。名前は知らないのだが,小生のデスクの世話などをしてくれたおじさんが「Hello, Sir」と握手を求めてくる。受付の女性も「Rituがお待ちかねよ」と出迎えてくれた。ほどなくミーシャが現れ,4Fへ案内される。4FではRituとRituグループの新人さん4名が出迎えてくれた。小生と一緒に仕事をした若手3人,Kartik, Amrita,Gauravは,すでにTERIを離れてしまった。Rituグループの顔見知りは,Ritu,Atulのベテランと若手のJayaだけになってしまった。今日は,Rituグループ以外からも顔見知りが2名参加してくれている。副所長のLeenaも時間が許せばぜひ会いたいとのことであった。
こちらのStudy Tourの主旨の説明からはじめて,東日本大震災でインド政府ならびにインド国民から受けた支援について御礼を申し上げ,南三陸町の写真などをみせながら被害状況と福島第一原発事故の影響について簡単に話をした。引き続き小生が,「Input-Output Analysis of Households’ Energy Ladder」というタイトルで報告を行った。内容は,電力にアクセスできない家計が電力にアクセスできるようになり,さらに牛糞や薪を調理のための主たる燃料として使っている家計がよりクリーンで効率的な燃料を使うようになって消費パターンが変化した場合に,経済全体のエネルギー需要にどのような変化が生じるかを,TERIの研究者と共同で開発したエネルギー環境分析用の産業連関表を用いて計算したものである。
続いてTERIのグループから「Poverty Reduction and Energy and Environmental Policy in India」というレクチャーをお願いした。これはあらかじめ小生がお願いしていたものである。Jayaがインドにおける貧困の状況,農村,都市別のエネルギー使用の現状について話をし,RituがMARKALを使った2030年までのしミューレション結果について報告してくれた。
その後は,質疑応答と若者同士の意見交換の時間である。日本では原子力発電の問題がクローズアップされているが,インドでは原子力の使用についてどう考えているのかというのが,学生からの最初の質問。インドの発電設備能力における原子力の割合は3%である。震災前の日本のそれが約30%であったことに比べると割合としては小さい。しかし割合が小さいということと発電量の大きさは別の問題である。1億2千万の人口を満たすための30%と11億の人口を満たす3%の比較になる。Rituたちの分析においては2030年においても原子力の割合は3%で変わりないが,エネルギー需要は7倍近くになると予想している。同時に化石燃料の輸入比率が現在の27%から80%近くにまで高まると予想されている。つまり電力の量的な必要量が急増するにもかかわらず,電源の選択肢が非常に限られているので,原子力というオプションをはずすことができないとうのがインドの現状だという。再生可能エネルギーについても,日本のように原子力の代替電源として考えられているのではなく,不足する化石燃料に代替するものととらえられている。特に太陽光発電については,IITの中に国産技術の開発を目指す研究グループが創設され,今後に期待を抱いているそうだ。
Jayaのレクチャーの中で,都市貧困の問題点として「Tenureshipの欠如」がリストアップされていた。「Tenureshipって何?」が学生の疑問。簡単に言えば所有権の問題だ。スラムに住む人たちが住居としている土地は,不法占拠の場合が少なくない。 つまり,「そこどけ」と言われたら出て行かざるを得ない。そこにはもっと悲惨な生活が待っている。 インドでは統計上発電した電力の30%が送電ロスとして記録されている。日本では3%程度であろう。インドの送電技術が未熟なのかというとそうではなく,問題は盗電である。とくにスラムに暮らす人たちは,勝手に電線を自分の住居に引き込んでしまうのだ。電力会社には投資するに十分な収益が得られない。だから,電力アクセスできない人口が減らない。このようにTenureshipが定まっていないことに関連するさまざまな社会的問題が都市貧困には存在するのである。
インドの道路交通はどうみてもカオティックだけど,メトロとのように技術的な改善はできないの?という質問も。Delhi Metroの開発には日本のさまざまな技術が導入されている。乗ってみてわかるが車両や改札のシステムも日本のものにとてもよく似ている。一方で,道路を走る車とバイクの無作法さといったら世界に右にでるものはないだろう。おそらくインド人は外国で車を運転することは不可能ではないかと想像する。道路交通については,もちろん道路を整備してゆったりと走れる環境をつくることも必要だろうが,車とバイクの数が現状の勢いで伸び続けるのは決して持続可能とは小生は思わない。税制によって自家用車と自家用バイクの取得と保有に制約をかけ,公共交通システムの拡充をはかるべきであろう,と小生は考える。無作法さについては,attitudeの問題でなかろうかと,このTaj多事でも何度も指摘してきた。クラクション,反対方向走行,踏切での並び方などなど。これはメトロについも同様だ。いくらシステムが立派でも,トークンを買うのに割り込みは当たり前,降りる人より先に乗る,つまり自分のことしか考えていない。立ちション便,ゴミのポイ捨てを含めてぜんぶattitudeの問題だと思う。2010 Common Wealth Gameで外国人からこのような点を非難されることはなかったのだろうか。Rituたちもこればっかりは答えに窮したようだった。
Jayaから計画停電や節電に家計はすぐに対応できたのかという質問があった。インドでは,あまりに停電が頻繁に生じるので,裕福な家庭ではバックアップ用の電池を持っている。日本ではそのようなことはなく,懐中電灯に使う電池が店頭から消えたり,地震の影響でスプライチェーンが破断され,生活に必要なさまざまなモノが物不足に陥った。さらに家庭で水を使うのに,電気が必要であることをはじめて知った人たちもたくさんいた。このように震災直後は,不必要なものを買い込んだりと,うまく対応できたとは思わないし,30年以上前の石油ショックのときの買い急ぎの経験も十分に活かされたとも思えないと話した。ただ,その後の節電については,家庭ごとに工夫こらしてよく対応していると思うと述べた。
さて,TERIにはやっぱり研究上の土産をもっていくのが一番だとつくづく感じる。今回のIO分析では,こちらとしても物足りない。エネルギー・環境分析用産業連関表を最新年次まで日本で作成していくとか,NSSを使った家計の計量経済学的な分析とか,RituたちのMARKALから導かれた結果をこちらの世界モデルにインプットしてみるとか,それらの分析結果を毎年持って行ってリサーチ・セミナーを開くのがよい。そのような研究体制をなんとか整えないといかん。学部生でもできる部分はたくさんある。あとは動機づけだろう。
4時を過ぎたところで,慌ただしくて大変申し訳なかったが,飛行機の時間があるからおいとますることにした。残りの議論は来年ということで。IHCからは車でBharate PalaceとSmile Innに車3台で戻る。Rajasthanへのツアー以来,すっと付き合ってくれた運転手も来ている。ミニバスが運転できる運転手で英語がそこそこできるのは彼しかいないらしい。チップもけっこうはずんだし,「来年もオレが付き合うぜ」なんて言っている。Smile Innに着くと仕事を終えたセナさんが出迎えてくれた。荷造りはほとんど終わっているので,汗びっしょりになった上着だけ着替えて,出発準備完了。ほどなくセナさんから「家へ来てください」とお呼ばれし,ミナクシさんとバッビーの5人でチャイをいただきながら出発時間までの30分ほど話をした。今回は,とても慌ただしく,朝早く出て行って,夜遅く帰るという生活だったのでセナさん一家と食事をすることもできなかった。バッビーは来年は大学生で,最後のボード試験で行き先が決まる。IITを目指して頑張っているそうだ。機会があれば日本に行きたいと考えているセナさんは,TTI(東京工大)はどうだろうなんて言っている。学部で入学する場合には日本語が最大のネックだろう。Karol Baghの学生たちが出発したと連絡が入る。こちらもそろそろ出発だ。これからもよろしくということで,「See you」。
首相官邸あたりで例の運転手から学生たちを6番ゲートで降ろしたと電話があった。あいつらちゃんとサインして,「今までどうも」と少しのチップぐらいあげたろうなと不安がよぎる・・・さすがにチップまでは気がまわらなかったようだ。われわれも6番ゲートにつけてもらった。学生たちはすでにチェックインを済ませたようだ。われわれもチェックインを済ませ,出国手続きに進む。今回は苦労して取得した外国人登録証を返却した。本来はこれだけ長くインドを空けるときには返却しなければならないものだった。
新ターミナルのTerminal 3は,たっぷりと買物も楽しめるし,簡単な食事もできるし,それにバーもある。笑ってしまうのは,できてほどないとと思うのだが,いたる所で床が浮いている。インドの建築現場を見たことがある人なら納得できると思うのだが・・・レトルトのカレーをいくつか買って,最後にCholeを食して締め。学生たちは,ピザなど洋風なものがあるのがハッピーなようで,なんでまたインドなのという顔であった。一人でいれば絶対バーに行くんだけど・・・
予定通りに出発するとセナさんに最後の報告。復路は30分以上遅れて成田に到着。Baggage Claimで全員いることを確認して解散。「お疲れさまでした」。家に戻ったのは昼前。次男は明日から学校。インド旅行記が宿題の一つです。さー,たいへんだ。
Delhiの気温
最高気温 35℃
最低気温 28℃
平均気温 32℃
TERI再訪,そして帰国
11/08/30
セミナー@TERI。Ritu,Atul,Jayaと懐かしい顔に再会できました。Rituのチームには新顔の女性が4人いました。こことは最低1年に1度顔を合わせて議論するのが有意義だと感じます。そのためには,こちらがもっともっと分析をして持ち込まなければなりません。そんなゼミ活動をしたいと思います。