Taj 多事
Taj 多事
2010
今日は,昼にまたもやMさんに車をお借りして,Sundar NagarのMital Teasに紅茶の買い出しに出かけた。昨年家族が来た時に,ここの店主とは知り合いになったのだが,残念がら今日は不在だった。Mさんは,この夏ダージリンに調査に出かけているので紅茶について見識がある。知恵をお借りしたが,そもそも興味が湧かないないものは右の耳から左の耳に抜けていくという小生の便利な癖が発揮され,結局店員が土産にはこれがよいというものをまとめ買い。インド料理用のスパイスのセットも2セット買い,こちらは今から何を料理しようかと楽しみである。
Mさんのリクエストで1933年に建設され大英帝国の植民地時代の面影を残すホテル・インペリアルでランチをする。このホテルやタージ・パレスなどは7つ星(公式には5つ星)と呼ばれているそうで,超ウルトラ豪華で格式のあるホテルである。壁にかけてある多くの絵画も植民地時代からの由緒あるものだそうで,酷暑の時期にはここを美術館代わりしてお茶でもするのがよさそうだ。1911というデリーが大英帝国統治下のインドの首都になった年を名前にしたレストランで1900ルピーの1911ビュッフェをいただく。インド料理であるが,さすがにどの料理も上品に仕上がっていて,これならこの値段を払っても,Gulab’s,Juneja’s,Karim’sなどの超庶民的食堂と十分対抗できる。
3時過ぎにTERIに戻る。予想通り,カルティックとアムリータが探していたというので,3Fに行く。カルティックとガウラブは,日本の地球環境戦略機構(IGES)の仕事で明日から小生が日本に戻る21日まで神戸に滞在する。よって彼らとTERIで過ごすのは今日が最後になる。
カルティックが「荷物はどうなった?」と聞くので,「いや何も連絡ないよ」と応えると,彼が TERIの担当部署に電話すると集荷されていない・・・カルティックがUPSに電話すると,UPSは「そんな注文はない」という。でもこちらには,注文番号やら追跡番号やら領収書がインターネットを介してUPSから届いている。それを告げると「きっとクレジットカードでの決済が済んでいないからだ」という。さらに「クレジットで決済されていないことを確認して,もう一度ピックアップのスケジューリングを電話でして,集荷に来たらキャッシュで支払ってくれ」とわけのわからんこという。いったいなんのためのインターネットのシステムなんだ??それに今後クレジットにチャージされないという保証はどこにあるんだ??うー,あと1週間以内になんとかしないと・・・ This is India.
外は雷とともに雨が降りだした。夕立のような雨なので,そのうち止むだろうと3Fでカルティックとアムリータと今後の話などをして過ごす。とにかくこの1年半はデータとの格闘に多くの時間を割かれてしまった。でもそんなことが集中的にできたのは,このような機会が与えられたからである。それにインドにいなければできなかったのは火を見るよりも明らかである。次の1,2年はどんどんOutputを出していく番だ。カルティックは小生がTERIに来た頃にTERIに入所した。それ以来,小生のお世話係をしてくれたといっても過言ではない。このお礼は,論文という形で返さなければならない。
雨も弱くなったので,リュックにカバーをして,レインコートを着て,家路に着くことにした。カルティックと出口まで一緒に出て,「また6月に会おう。それまではメールで。これまでありがとう」と別れを告げた。
インド門へ入るいつもの横断地点。今日は信号がワークしているので,青信号になるのを待っていると,「ガッシャーン」という大音響で,例の中央分離帯の横でオートが横転している。運転手は外の放り出され,客を乗せていたようで,助け出そうとしている。放り出された運転手が他の車に轢かれなかったのは奇跡的である。オートには3人の乗客が乗っていって,順番に横倒しになっっているオートの上から救い出された。一人は腕を痛そうに抱えていたが,他の二人は怪我もなかったようだ。中央分離帯の横を見ると,中央分離帯の工事に使っている大きなブロックの一つが道路に飛び出している。オートはそれに乗り上げて横転したにちがいない。どこでもそうなのであるが,工事があるとそこで使われている資材,あるいは工事終了後に不必要になった資材が,まったく無造作にただ積んだままにして放ってある。この事故は,明らかにそういうずさんな管理が生んだ人為事故だ。でも前世が悪かったことにされてしまうのである。This is India.
インド門を抜けて,Mandi Houseへ向かう道へのもう一つの横断。信号もワークしていなし,警官もいないし,他の歩行者もいない!自力で頑張らないと家に帰れない。今日はオフィスを出た時間はいつもより遅く,この時間になるとこの横断歩道から警官が消滅するのは,車が途切れる瞬間が多くなるからである。だったら信号をワークするようして欲しいのだが,なぜかそのようにはならない。また「 ガッシャーン」。今度は,若者が乗ったバイクが中央分離帯にひっかかり転倒。バイクの泥よけはすっ飛んだが,若者は痛そうではあるが,かすり傷程度で済んだようである。これも転んだときに他の車に轢かれなかったのが奇跡的だ。 いったい何なんだ今日は・・・
Laxinagarでメトロを降りて,いつものようにMother Dairy Rd. を家に向かう。家の方に左折するほど近くで,ものすごい人集りができている。小生の目に見えたものは,どうみても見た目の貧しい人を多くのそうではない人たちが集団リンチしているという場面である。貧しくない人々は,貧しい人の着るものをはぎ取り,ベルトを首に巻き付けて締め上げ,罵声を浴びせ,ときには殴る蹴るという暴行を加える。そして,貧しき人に地面を舐めさせている。暴行の勢いは増していく。回りに警察はいないかと見回したが,いない。明らかにインドの階級意識がなせる事態であり,ここで小生が何をすべきか頭の中ではわかっているが,そうした場合にインドの階級意識は何を小生にするのかという,ある種の恐怖が小生の頭を襲う。思いついたのは,セナさんに電話し警察を呼んでもらうことだ。でもダメだった。セナさんも同じ階級意識を持つインド人であり,「きっと誰かが警察を呼んでいるから,かかわらないほうがよい」,それがセナさんの返事だ。小生に何かあったらということであろう。その間にも人集りは増え,暴行の程度は増していく。一人の若者が,ひどく貧しき人を殴り始めた。体は独りでに動いた。間に割り込み,「What are you doing? 」と大声で叫んだ。貧しき人の顔は血だらけで,両手を合わせ,もう止めてくれと懇願している。「He is injured」,彼を指さしてさらに叫んだ。回りの彼より上級な人間だと思っている人々は,彼は誰かの携帯電話を盗もうとしたとヒンズー語で,ニヤニヤと笑いながら小生に説明する。「English men」とわけのわからぬ事を抜かすやつまでいる。「He is apologizing, isn’t he? He is injured. Ha. He apologized!」また大声で叫んだ。彼は逃げた。彼より偉いと思っている人々も笑いながら散っていった。悲しい。この社会の掟破りをしたわけだから,家に戻るまでの間に何かあるかもしれない,そんな恐怖もあった。家に戻るとセナさんが出てきた。「最近この辺にもマフィアがいるんだよ」。それは全然ちがいます。理由はともあれ,あれは集団リンチです。もう少し「変えよう」という勇気を持って欲しいと思う。
弱者を救ったなんてヒーロー気分は少しもない。情けなく,悲しい気持ちで一杯である。いくら貧しいからといって,人のものを盗む理由はどこにもない。でも,なんで寄って集って,そこまで人間の尊厳を無視できるんだ。血を流した人を目の前に,さらに笑いながら暴行を加える,地面を舐めさせる。なんだこの恐ろしい光景は。これが世界が羨む経済新興国の姿なのか?貧しいことがそんなに悪いことなのか?盗みは悪い,でも彼がなぜそうしなければならなかったかを考えた自称上級階級はいたのか?自分が同じことをやられたという思いを巡らした者はいなかったのか?少なくとも教育の機会に恵まれた自称上級階級に属するものが,基本的人権であるとか人間の尊厳というものをまったく無視して,人を人とも思わない愚行に手を貸し,なんで笑って見ていられるんだ。世界の総人口の6分の1が暮らす,この国でそんなことが日常であっていいのか?携帯電話であるとかインターネットであるとか,そんな技術はすぐ広まるのに,これまで人類が築いてきた基本的人権や人間の尊厳の尊重という考え方が,なんで広まらないんだ?This is India,でいいのか?そうじゃないだろう。教育の機会に恵まれた人たちが,変える勇気を持たないと,どうしようもないだろう。これがガンジーやネルーやタゴールの目指した国なのか?あまりに悲しいじゃないか・・・
2/12のデリーの天気予報 最高気温25℃、最低気温12℃、晴れ
2/12のデリーの天気 最高気温23℃、最低気温13℃、平均気温18℃
2/12の東京の天気 最高気温5℃、最低気温3℃、平均気温4℃
This is India. でも,あまりに悲しいじゃないか
10/02/12