Taj 多事
Taj 多事
2009
5時15分起床。ベッドの上で毛布にくるまりながら休暇中の「Taj 多事」を書く。休暇中には、その日に訪れた場所と主な出来事をメモしただけなので、思い出し思い出し書いているが、遅々として進まない。家族も見ているようなので、書けた分からアップロードしようか。
7時半ごろ窓を開けると、今朝は霧がなく青空がすっきり見える。気温も昨日よりは暖かい。8時に家を出てリキシャの溜まり場へ続く通りへ出ると、いつもの「オニイさん」がまたもや抜け駆けして待っている。待っている場所が、だんだん家に近いづいて来たが、そのうち家の前で待っているなんてことになるのだろうか。8時25分着席。
今日も部門格付けの作業の続き。時間がかかるの理由は、部門分類が詳細になるほど生産物の名前が特殊なものになり、辞書とWikipediaなどインターネットのお世話になるからだ。それでも、今日はかなり進めることができた。午後には金属と機械の部門に突入。この部門だけで1000以上の生産物を処理しなければならない。帰るまでに金属が終了したので、なんとか明日中に終わらせたい。
昼は、13時40分ごろにGulab’sでDal Makhani(ダール豆のカレー、Rs.45)とVegetable Pulao(ピラフ、Rs. 35)を食べる。ブラック・ダールかイエロー・ダールとプラオの組み合わせも定番メニューになって来た。
帰り道の途中、ヤムナ河の手前の交差点で、幼女が風船を売りに来た。Mr. Singhが珍しくRs. 1コインを渡し、子供が乗っている車にいくことを勧めている。年齢に関係なく女性には優しい。Mr. Singhに、彼女は将来別の仕事を選べるのかと聞くと、ダメだという。ジャーティのせいかと聞くと、そうだという。
日本ではインドの身分制度をカーストと教わるが、この仕組みは肌色によるヴァルナ制度と職業の世襲、婚姻、食卓を共にしうる社会集団ジャーティの二つの制度からなる。ヴァルナ制度は、肌色の白いーすなわち古代インドを征服したアーリア人ーバラモン(祭司)、クシャトリア(王侯・武士)、ヴァイシャ(平民)と、肌色の黒いーすなわちインド先住民ーシュードラ(隷属民)の4階層とそこから追放された不可触民から構成される。ヴァルナ制度は、江戸時代の士農工商によく似た支配階級が支配するために定めた制度であり、不可触民は村八分であり穢多非人である。ジャーティの数は、社会や経済活動が複雑になるにしたがって増え続け、いまでは2000とも3000とも言われる。1950年の憲法で身分制度を否定したが、いまでも実社会の中では存続している。現代のインドではどのヴァルナに属しているかより、どのジャーティに属しているかが重要視される。つまり、この少女は、路上で物売りをするジャーティに属しており、そこから抜け出ることはできず、それにしたがわなければ不可触民となり、どの集団からも相手にされなくなるだけなのだ。非常に悲しい現実ではあるが、1997年にインド国民が不可触民の大統領K.ナラヤンを選出したという特筆すべき事実に望みを託したい。
Mr. Singhにお前はヒンドゥーではないのだから職業の選択の自由はあるのだろうと尋ねると、シック教徒はその教義により人に雇われるのを嫌うそうで、シック教徒の8割が自営業主だそうだ。いろいろである。
1/7の天気予報 最高気温22℃、最低気温7℃、晴れ
1/7の天気 最高気温20℃、最低気温8℃、平均気温14℃
ジャーティ
09/01/07