Taj 多事
Taj 多事
2009
6時半に雷の音で目覚める。強い雨の音もする。確かに天気予報でも今日は30%の確率で雨が降るとなっていた。外が明るくなって窓を開けてみると、しっかりと雨が降っている。寝ている間に雨が降ったことは2度ほどあたようだが、降っている雨を見たのはこの滞在で初めてだ。約4ヶ月で初めてなんて、やっぱり砂漠みたいなところにいるんだと実感する。大気中の埃やらなんやらもいっしょに降ってくるんだろと思うと、外に出るのを控えたくなるので、昼ご飯を食べにいくころには止んでいてほしいがどうだろう。週間予報では、この雨の後また最低気温が5℃程度まで低くなる日が続くようだ。まずは洗濯物をしとめる。
9時半ごろ、セナさんが部屋に訪ねてきた。家族が来たときの、未精算の部分があったので、それを処理して、11時過ぎまで、あれやこれやと話し込んだ。スマイル・イン(Smile Inn)の傍に、英語で教えてくれるヒンディの教室があるかどうか探してくれるとのことだ。英語で教えてくれるというのが味噌で、日本語教室の中にはヒンディを教えるクラスもあるそうなのだが、ヒングリッシュにも慣れてヒンディを少しでも覚えられればそれが一番いい。セナさんから鹿児島の芋焼酎とナポレオンのCAMUSをいただいた。いつもありがとうございます。
1時半過ぎにゼンさんの食堂(近所のフード・プラス(Food Plus)をセナさんはいつもこう呼ぶ)でスペシャル・ターリ(Special Thali)を食べる。雨は10時頃には完全に止んだようで、外はとても暖かかくてよいのだが、流れないドブから水が溢れて道の半分ほどを浸してしまってるところもある。雨季(7月から9月)に入るとこれが嫌だなと、今から心配してしまう。
森本達雄『ヒンドゥー教―インドの聖と俗』(中公新書1707、ISBN4-12-101707-2 C1214)読了。
恥ずかしながら宗教について一冊読み通したのは初めてだと思う。宗教学の専門家でもなくヒンドゥー教徒でもない筆者が、インド社会におけるヒンドゥー教というものを40年以上の長きにわたって観察し、考え続けた末に、やっと書き上げたのがこの著書ということだ。小生が住まわせていただいてるセナ家でも毎夕お祈りの声が聞こえてくる。町にはごく小さなものから非常に大きなものまで数多くの寺院があり、人が絶えることなくお祈りをしている。このような光景を目にすれば、インドを訪れたものなら誰でも、いったいヒンドゥー教とはどういう宗教なのだろうかという思いに至るのはごく自然だと思う。
この書は、決してヒンドゥー教入門のような書ではない。たしかに読み進むことによって、ヒンドゥー教のものの見方やその世界観と、それにともなういわゆるカースト制度と呼ばれる社会構造との関係を見せてくれる。最後の章を、ヒンドゥー教徒として苦しい修行の末に悟りに到達しただけではなく、「ブッダ、キリスト、マホメットなど、いわゆる世界宗教の開祖たちの福音を体験的に修得し、これら諸宗教の精髄はひとつであるとの普遍宗教のメッセージを世に語った不世出の聖者」(364頁)であるラーマクリシュナの生涯についての記述で締めくくっていることからもわかるように、この書の一つのメッセージは「自分の宗教の優位を唱えたり、他宗教を誹謗することから生じる、宗教間の対立や争いはそのままみずからの宗教を穢すもの」であり、「世界がいまもっとも必要としているのは、それぞれの宗教の信者が百パーセント自宗の信仰に忠実に生きながら、それぞれの風土や民族性、歴史の上に成り立つ他の宗教を互いに尊重し、理解する宗教間の共存への努力」(378頁)ということであろう。いまインド、パキスタン、イスラエル、パレスチナで起きている事を見れば、それは全く正しい。著者は最後に、他宗教徒がヒンドゥー教から学ぶべきものがあるとすれば何かという問に対して、宗教的寛容の精神だと述べている。つまり、ヒンドゥー教には、他宗教との共存を認める寛容性があるというのだ。同じ事をノーベル経済学者アマルティア・センも『議論好きなインド人』の中で述べている。ラーマ・クリシュナは、「いったい、いつ『私』は自由になれるのでしょうか」とたずねると、「その『私』がなくなるときです」と答えたという(377頁)。著者が言うには、この無私の精神で、ヒンドゥー教徒でありながらヒンドゥー教の形式的なものを一切拒絶し、寛容の精神を大いに発揮してのがマハトマ・ガンジーとラビンドラナート・タゴール(アジア人初のノーベル文学賞受賞者)だという。死の迫ったタゴールは「最後のうた」を書き残した。
こんどのわたしの誕生日に わたしはいよいよ逝くだろう。
わたしは 身近に友らを求める —
彼らの手のやさしさの感触のうちに
世界の究極の愛のうちに
わたしは、人生最上の恵みをたずさえて行こう、
人間の最後の祝福をたずさえて行こう。
今日 わたしの頭陀袋(ふくろ)は空っぽだ —
与えるべきすべてを
わたしは与えつくした。
その返礼に もしなにがしかのものが —
いくらかの愛と いくらかの赦しが得られるなら、
わたしは それらのものをたずさえて行こう ー
終焉の無言の祝祭へと
渡し舟を漕ぎ出すときに。
「与えるべきすべてを わたしは与え尽くした」と言える人生とは、何てすごいのであろう。
1/18の天気予報 最高気温22℃、最低気温10℃、雨
1/18の天気 最高気温24℃、最低気温13℃、平均気温18℃
初雨
09/01/18
窓を開けると外は雨。4ヶ月ほど住んでいて雨が降っているのを見るのは初めてです。冬のデリーは寒い砂漠のようなところです。
雨が降ったあとは、流れないドブから水が溢れて、道の半分を埋めています。道の上やドブの中にある全てモノが、このように水で流されてくることを想像すると、雨季が怖いです。