Taj 多事
Taj 多事
2008
朝3時半に起床して、最終荷造り。重量超過が確実な状態なので、できるだけ減らすように努力する。郵便で送るコストと超過料金の合計を容量が与えられたもとで最小にするのが経済学の教えるところであるが、そうはうまくいかない。スーツケースひとつ、60Lと30Lのザックひとつづつになんとか詰め込んだ。あとは成田で出たとこ勝負だ。
5時半に子供たちを起こして、実家の近所のお家でわざわざ炊いていただいた赤飯を朝食に頂き、6時半に家族全員で家を出る。小学生の長男と二男は、学校をお休みにしてもらった。長男に60Lのザックを担いでもらう。桶川駅には同行する父がすでに到着している。予定していた電車よりも10分早い6時42分発の上野行きに乗る。さすがに通勤時間帯なので座ることはできないが、さほどの混雑ではない。家を出るときには寝ているも同然だった3歳の三男も頑張って騒ぐこともせずに立っている。上野駅で下車して、エレベータをできるだけ使って1番線へ向かい山の手線で日暮里へ到着。トイレや三男の朝食の買い物などを済ませて京成線の待合所へ到着したのは、スカイライナーの出発時刻8時3分の20分ほど前。スーツケースが重いのでエスカレーターを使いたいのであるが、エスカレーターの降り口はスカイライナーの8号車付近で、われわれの席は2号車なので早々に降りて移動する。いつも思うのであるが、京成線日暮里駅のホームは常に工事中らしく、移動にはなはだ困難を伴う。スカイライナーでは、二男と小生が並んで座り、二男の前に巨大なスーツケースを置いた。足掛けが使えない二男は、不満たらたらであるが、眠気から覚めて絶好調の三男同様遠足気分である。
空港第2ターミナルのほぼ中央に位置する団体カウンターに向かう。チケットとの交換は10時からと伝えられていたが、カウンターに赴くとすぐに交換してくれた。9時半にAir Indiaのカウンターが開くとのことなので、最北端のAカウンターへ移動する。近辺にベンチもなにもないので、父に子供たち三人を任せ、チェックインの列に並ぶ。重量超過の事態に備えて妻に同伴してもらう。平日からなのか、ニューデリーでも起きたテロのせいなのか、先日の機体不具合で離陸後すぐに成田に引き返し、途中で民家の車に部品を落としたニュースが全国に放送されたためなのか、非常に空いている。ほどなく自分の順番になりスーツケースを測りにのせると36Kg。荷物ひとつで32Kgを超してはならないので、スーツケースの中身を二分割せよとのお達しである。バッグをひとつ買わねばならないかと案じたが、たためる手提げ袋を持って来ていたことを思い出した。妻とふたりでカウンターの隅っこにある重量計の前でスーツケースを開け、書類一式を手提げに詰め込んで計量してみると5Kgもある。もういちどチェックインに並ぶ。手提げ袋も持ち込みできないかと交渉したが、云と言わない。空いているからよいではないかと言いたかったが、ここは指示どおり11Kg超過で料金を払うこととした。手提げ袋を60Lのザックに詰めて、ザックが重いのを我慢すれば超過料金は5Kg分少なくてすんだのではと、出発してから思ったのであるが、後の祭りである。Air Indiaの係員に超過料金の支払いカウンターへ案内される。ここでは、JALの係員が事務処理をしている。ということは、超過料金は航空会社で一律なのだろうか? 実は先日、超過料金の情報を知りたくてWebで検索したり、Air Indiaに電話をかけたりしたのだが、Webでもこれといった情報も見つからず、電話もつながらず、今日にいたってしまった。検索条件からAir Indiaを除いておけば情報が得られて、よりよい荷造りができたかと思うと悔しいのであるが、これも後の祭り。それにしても高い授業料で¥58,600。これを含めてもJAL便に乗った場合のコストの半額なので、よしとするか。
搭乗時間が11時20分で、全体的に空いているようなので30分前の10時50分にさよならすることにして、食堂街でしばし語らうことにする。三男が飛行機を見たいだろうと思い、飛行場が見渡せる店を選ぶ。日本の生ビールもしばらく飲めなくなるという言い訳をして、生ビールをたのむ。昨日、子供たちに、小生が留守にしている間の心得を半紙二枚に書いてわたしたのだが、そのお返しとして昨晩ずいぶん遅くまでかけて子供たちが書いてくれたものを読みながらビールを飲む。それぞれに楽しい内容で、インドに居て何度も見返すことになるのだろう。子供たちは、飛行機が離陸するところを見るのが楽しいらしく、席を立ったり戻ってきたりと忙しい。しばらくおやじと会えなくなるなんてことは眼中にないらしい。妻とも家族でインドに来る日程など話しているうちに時間はどんどん過ぎて行く。10時50分になったところで店を出てイミグレーションに向かう。いろいろ声をかけたいところであったが、口を動かすと堪えられなくなりそうだったので、いつもの出勤のときとおなじように「じゃーなー」とだけ言ってさよならした。とにかくお互いに元気で。三人もいてお母は大変なのだから、お母の手伝いをよくして、自分たちでできることを探してお母を助けてあげてください。子供たちのことよろしくお願いします。
身体検査とイミグレーションを済ませ、途中モノレールに乗って88番ゲートへ。ゲート手前で、身体検査と手荷物チェック。Air Indiaでやっかいなのはこれである。はじめてインドに行ったときには、ここでコンピューターなどの電子機器のスイッチを入れて爆発しないことまで確認された。今回持ち込みの60Lのザックは衣類だけなのだが、ザックだけに中身を出せといわれると非常に面倒である。心配していたが、「衣類だけですか?」、「そうです」だけで通過できた。コンピューターを起動させることもなかった。搭乗まで15分ほどあったし、子供たちも見学場にいるかと思い、携帯で連絡してみる。望遠鏡でこちらが見えるかと思ったが、見えなかったようだ。妻、子供たち三人と少しだけ話し、子供たちをよろしくと妻にメールして乗り込む。予定時刻より10分遅れの11時30分から搭乗開始。機内はがらがらで一列に一人という状態。通路側の席を指定したので、真ん中の列の4人がけに一人であった。こんなことなら窓側を指定しておけばよかった。近くに窓側で空いている席もないので移動も断念。
AI307便は、機内中にスプレーを撒く儀式のあと、定刻通り12:00に出発。成田に引き返されても困るのでうかうか寝てもいられない。離陸後、飲み物サービスでワインを試してみた。先日旧友たちと銀座のインド料理屋でインド産ワインを飲んだら結構いけたものですから。”Could I have a bottle of white wine?” “Sure!”と言ってスチュワーデスさんは2本のボトルをテーブルに。銘柄を見ようと思って手にとるとラベルを剥がしてある。どうやら剥がしたばかりのようで、ボトルは濡れているし、一本のボトルは剥がしきれていないカスが残っている。ボトルの蓋は、しっかりしまっていたので中身の偽装ということではないらしいけど。味は、JALでもどこでもエコノミークラスならこんなもんでしょうという感じ。おつまみは、レーズン入りポテトチップス。ポテトチップスとはいえ塩気はなく、どちらかというと少し砂糖をまぶしてある感じ。二袋いただきましたが、ひとつだけ味見して、もうひとつは封をあけないで返しました。デリー到着3時間ほど前にお茶(紅茶またはコーヒー)とお菓子がサーブされ、お菓子のひとつが日本語で「おつまみ」と書かれた柿ピーとアーモンドで、こういものがあるなら最初から選ばせてほしいという感想。
すぐに、ランチがサーブされる。”Do you like chicken?”と今度はスチュアートさんに聞かれる。ベジとノンベジの選択しかないようなので、”Yes”と答えてChicken Curryをもらう。なんとも日本発のAI便らしく、紅白のかまぼこと卵焼きが添えられている。カレーのプレートは、ライスの上に左側にチキンカレー、右側にカリフラワーのカレーがのせられている。味は結構美味で、これまで食したインドのカレーの中では辛いほうだと思う。デザートは、北海道ヨーグルト生乳仕立てとプリンのようなもの。このプリンのようなものは、中にえのき茸のようなものが入っている。この中にもマサラが入っていて、いわゆるカレー風味だ、流石インド!
スクリーンに目をやると地熱を利用したエコ・ビルディングの紹介ビデオが流れている。まさかと思ったが、produced by TERIであった。なんとなく嬉しくなる。
どうやら成田に引き返すこともなさそうなので、読書をしたり居眠りしながらゆるりと過ごす。気がつくと左のほっぺと左足が蚊に刺されている。Air India、流石である。
橘木先生の『早稲田と慶応 名門私大の栄光と影』(講談社現代新書、2008年9月20日)読了。最近、格差社会に関する執筆の多い橘木先生である。この著書で主張されたいことの一つも、慶應の一貫教育や慶應社中の存在が階層の固定化された格差社会の頂点のひとつを形成しかねないという危惧と、早慶を勝ち組というなら、その他の大学は負け組にならぬよう大学教育を職業に直結するように技能形成型教育に転換することが格差解消の一つの手段である、と読めた。特に、教育と労働市場の問題という視点から、早慶という名前を借りつつも、本当に主張したかったのは後者の考え方ではないだろうか。また、早慶については、教育という面では旧帝大を凌ぐ水準であるが、研究という面では東大・京大に溝をあけられているのが実情であろうから、研究にもっと力を注ぎオックスブリッジに比肩できる私立大学になって欲しいという希望も述べられている。確かに慶應からノーベル賞を受賞した業績は未だ出ていない。京大で労働経済学を研究されていた橘木先生がこうおっしゃるのであるから、経済学の分野についても同じことがあてはまるとおっしゃりたいのであろう。これを励ましの言葉と受けとめて、われわれ現役はより一層の努力を惜しむべきではない。橘木先生は、京大を定年で退職され同志社に移られたようで、同志社の建学精神として智育、実学だけではなく新島襄の徳育の精神は他の大学にはない点であることを指摘しておられる。『文明論之概略』を読めば明らかなように福澤が最も強調した点は智徳両面における発達である。また真の文明の国になるためには、一部の者だけが優れているだけだはだめで、国全体が平均的に発展することが大事であると繰り返し主張している。橘木先生が主張されるように、そもそも勝ち組、負け組の存在を前提にして、国の将来、勝ち組と負け組の生きる道を別々に考えるのがよいのだろうか。今向かっているインドは、教育すら受けられない子供たちが、いまだにたくさんいる。この機会に、教育と国の発展ということについて真剣に考えてみよう。
そうこうしているうちにAI307便は、搭乗してから約8時間後の現地時間16時30分(日本時間20時)にデリーのインディラ・ガンジー国際空港へ無事着陸。空いているので並ばずに入国審査もあっという間に終了。早すぎてBaggage claimにはまだ何も出ていない。10分ほど待って荷物をカートにのせて、税関でカードを提出して出口へ向かう。”Mr. Kazushige Shimpo”の看板を持ったドライバーを発見して、彼の車へ。途中、若い男が突如現れて、だれに頼まれたわけでもないのに荷物運びを手伝い始める。さらに車への荷物の搬入も。ドライバーも何も言わない。当然、労働報酬を要求してくる。これは本来ドライバーがすべき仕事を補助したわけであるから、ドライバーが支払うべきだと思うのであるが、この地ではそうはいかない。彼は、”English money”と連呼しながら手を差し出す。おそらくドル紙幣を要求しているのだろう。無視して10Rs札(日本円で25円から30円)を渡して車に乗り込んだ。男は、車の外で”Fifty, fifty”、と叫んでいるが、ドライバーも男を無視して出発。インド到着の儀式終了である。
地図では、空港から東に10Kmほどのところに27-Jorbagh Guest House(27JBGH)はある。例のごとくクラクションを鳴らしながら、車やオートやバイクや自転車、そしてときには横断歩行者の横ギリギリをすり抜けて走る。とにかく全員が俺が俺がと先に行こうとするわけで、譲り合いなんてものはこの地にはないようだ。20分ほで27JBGHに到着。時刻はおよそ18:00。三人が寄ってきて車から荷物を降ろす。小さいザックは自分でしょっているので、荷物はスーツケースと60Lザックと手提げ袋。二人で十分だろうと言いたいところであるが、どうしようもない。彼ら暇してるらしい。フロントでパスポートをわたし、いろいろ書かされ、部屋へ案内される。これまでNew Delhiで泊まったどの部屋よりも広くて綺麗だ。今回は、一泊5,000Rsと奮発したわけだけど。部屋の紹介は、またここに滞在している間に書くことにしよう。
三人に10Rsづつわたして、部屋を探索していると、三人のうちの一人が戻ってきて、「ビールはいるか?この部屋には冷蔵庫がないから、俺がマーケットに行ってビールを買ってきて冷やしておいて、お前が飲みたいときに出すよ」という。「今日はアルコールはいらないから水のボトルを一本持ってきてくれ」と頼むと、「それじゃバナナ、マンゴー、アップル、オレンジ、グレープはどうだ」(最後にもう一つ聞き慣れないものを言ったのだが忘れてしまった)要するに買い物に行って駄賃が欲しいのであろう。以前泊まったホテルは、ここより料金は安かったけどフルーツは毎日皿にのせて置いてあった。ここはフルーツは別料金だけど好きなモノ
を買ってくるよということのようだ。少々疲れているので、これ以上のやり取りは勘弁ということで、「OK、バナナとオレンジを頼む。それと水を忘れないで。いくら?」(水がないと歯もみがけない)ちょっと考えて「150Rs」。150Rsをわたすと、ほどなくバナナ6本とオレンジ6個を持って戻ってきた。両方とも皮を剥くだけで水洗いの必要がないので安心だ。バナナは日本のものと全く変わらない。このオレンジは、見た目はゴツゴツしていて、まん丸で、青みがかった柚子のようだが、味は少々酸っぱめの日本のみかんに似ている。両方とも美味であった。今度は自分でマーケットに行って、値段を調べてみよう。
またノックがする。また三人のうちの一人である。「俺の仕事は靴磨なので、磨きにきた」という。「いつか頼むよ」といったら、靴を触りながら、「ここが汚れているじゃないか、俺が磨けば綺麗になるよ」。「それでも今日はいいから、また今度」。あきらめて部屋を出て行った。
スーツケースを開けようとして、財布から鍵を取り出したとき、パスポートを返してもらっていないことに気づいた。フロントへ行こうとした瞬間またノックだ。今度は何だと思ったらパスポートを届けてくれた。それだけでは終わらない。「明日、タクシーは要るか?」「これから毎日通うところは歩いていけるところだから要らない」「Habitat Placeだろ」。知ってるなら聞くなよ。「でもチェックアウトするときには必要だし、ほかに必要なこともあろうから、そのときは言ってくれ」「OK」
一息つく間もなく、またノック。またもや靴磨き職人である。何か物悲しそうな目をしながら「シューズ」といっている。寄り切りで先方の勝ちである。この靴はこの地で履き捨てようかと思っていたのであるが、出来上がった靴は、たいそう綺麗になっていた。「いくら」「いくらでも」。靴磨きの相場はわからないし、一番細かい札が100Rsしかない。100Rs
をわたす。おそらくこれは払い過ぎだ。ニコニコしながら「毎日この時間に来ればよいか?」。参った。
Oh, My God。またノック。買い物の彼である。「俺がお前の世話するMunnaだ。何でも言ってくれ。」、「明日の朝食は何時にする」「7時30分で頼む」「毎日それでよいか」「OK」
今度は電話だ。「Hello」、「もしもし」。何だ日本語じゃないか。でも全然聞こえない。先方も「もしもし」を繰り返している。何気なく電話と回線のつなぎ目をしっかり押さえてみるとクリアに聞こえた。Goni Trabelのセナさんだ。「部屋は大丈夫ですか?」など確認の電話だ。今回のお礼を言って、土曜か日曜に会う約束をして電話を切る。
やっと洗礼の儀式が終了したようだ。時刻は19時を過ぎている。日本は夜10時半か。日本から持ってきた携帯を海外モードにして自宅へ電話をしてみる。おーつながった。無事到着したことを伝えて、お父と話すまで頑張って起きていた二男と少し話をして電話を切る。この国際電話は、1分あたり170円ほどかかるので、そうそう長電話もできない。メールでのやりとりが多くなるだろう。
このGHは無線LANが使えるということなので、早速試してみる。パスワードは、Munnaに聞いておいた。つながらない。今度は、こちらからフロントへ電話。しばらくして支配人がやってきたので、目の前でやってみせる。なんどやってもだめ。誰かが支配人を呼びにきて、はいそれまで。Officeに行くようになれば使えるわけだから、ここは無駄な抵抗はしないことにしておく。
とても長い一日で、いろいろなことがあった。時差の関係で普段より今日だけは3時間半だけ一日が長いのだが、それ以上のことを経験したようだ。疲れたのベッドに入ることするが、時差ぼけで早く目が覚めるんだろうなー。
出発そして到着
08/09/24
AI307便:ワインボトルにラベルがありません
AI307便:昼食に紅白のかまぼこがついています
27JBGH:フルーツを買って来てもらいました
27JBGH:靴まで磨いてもらっちゃいました