Taj 多事
Taj 多事
2008
今朝は、ガンガー(ガンジス川)のボートツアーに出かける。早朝に出かけるのは、ガンガーの日の出を拝むためだ。5時半に子供たちを起こし、6時15分にホテルを出発。目指すは、ダシャーシュワメード・ガート(Dashashwamedh Ghat)。ガートは沐浴場の意味。
ヒンドゥーの信仰によれば、偉大なる母ガンガーの聖なる水で沐浴すればすべての罪が浄められ、ガンガーで死に遺灰をガンガーに戻せば輪廻からの解脱を得ることができるという。ガンガーには、沐浴のためのガートが40余り設置されている。 ガンガーで死ぬために遠方からバラナシを訪れ、ガートの傍で静かに死を待つ老人達もいる。ガンガーで死ぬことのできなかった人達の遺体は、オレンジ色の布に包まれてガンガーに運ばれ、ガンガーの火葬場で焼かれ遺灰がガンガーに戻される。
そのような厳粛なる信仰の場をガンガーに舟で乗り出して眺めようというのだから、なんとなく気がひけるが、信仰と商売をいっしょにしてしまうところがインドらしいところでもある。
「やられたー第3弾」
ガートの傍で車を降り、別の案内人に連れられて舟に乗る。われわれ家族の他に現地の人が二人乗っているが、舟の漕ぎ手であろう。ほどなく舟は出発。すると一人が、われわれにオレンジ色の花と火を灯したロウソクを立てた小さな葉っぱでできた器を手渡し、それをガンガーに流してお祈りをしろと言う。それも一人二つづつ。ツアーに含まれている儀式かと思いきや、この儀式が終了すると舟は河岸に戻る。なんと器一個Rs. 50だというのだ。全部でRs.500。子供は喜んでやるから、子供連れというのはよいカモなのだろう。回りを見渡せば、カモになっているのは子供連れだけではないけど。Rs. 500は高いが、偉大なる母ガンガーを浄化するために使ってくれと願うしかない。
7時を過ぎたころに、漕ぎ手が右手を指す。日の出だ。うっすらと霞んだ空に薄いオレンジ色の太陽が昇ってきた。この寒い中、ガンガーで沐浴をしている信者たちもいっせいに日の出に向かってお祈りをはじめる。なんとも厳粛な風景である。
最後に舟は火葬場を通って、船着場に戻る。往きとは違う案内人に車の付近まで案内され、しばし待たされる。また何か待ち構えているのではないかと疑心暗鬼になるが、ほどなくVaseenさんが現れ、ホテルへ戻る。
今朝の朝食は、宿泊代に含まれているので三たびCafeレストランへ。あいかわらず代わり映えしないメニューだ。スパイシーなインド料理に恐れをなしている妻と子供たちにとっては洋風の朝食がお気に入りのようであるが、インド料理のバラエティの少なさに小生は食傷気味。最近はインド人でもこの手のホテルを利用する人が増えていると聞くが、見渡す限り大量の日本人、台湾人、フランス人だけだ。インド料理が少ないのも仕方ないか。
チェックアウトの準備をして再び市内へ出かける。バラナシはシルク工芸で有名な町で、手織りの実演の見学に案内される。運転手のVaseenさんの父親が勤めていた工場の施設だそうだ。実演見学のあとは、押し売りというお決まりのコースにちがいない。どこでも実演を見学するのは大変おもしろい。結婚式に着る銀糸を埋め込んだサリーは、一日8時間の労働で30日をかけて生産するそうで、お値段も相当にするそうだ。裕福でない家庭のお嫁さんは、結婚式が終わると銀糸を抜き取り、それを売って支払いにあてることもあるという。そのままサリーを売ればよいのではと思うが、ヒンドゥーでは人が一度身につけたものは穢れているので、それをそのまま着るという習慣は、たとええ親兄弟でもないそうだ。つまりリサイクルは厳禁だけど、部品のリユースはOKということだ。
やはり、実演のあとは別室に連れ込まれての押し売りだ。確かに見た目は大変綺麗なテーブルクロスなどがたくさんある。問題は、クオリティにかなった値段であるかどうかだ。小生が一人でいると最初から買わないという選択肢しかなく、いつ抜け出すかだけに気を使うが、今日は買うか買わないか、どれだけ買うか、いくらで買うか、の選択は妻に任せる。どうやら買いモードのスイッチが入ってしまったらしく、どれにするかの選択に子供たちも参画している。ただし、三男だけは、そんなことにおかまいなしにあちこち走り回っているので、商品を汚さないようにと、小生もその場を抜けて三男の面倒を見る。三男はどこでも人気者で、多くの店員さんがよってきては抱っこをしたがる。それに慣れてきた彼も、それとなく応じている。どうやら大量に買い込んだらしい.....
すでに11時半で午後1時にはホテルをチェックアウトしなければならないので、昼食を取る時間を考えるとこれ以上観光はできない。ホテルで昼食をとる気もしないので、Vaseenさんにスナックの食べられるところへ連れていってもらう。小生はそこらの屋台でもかまないのだが、スナックが食べられるレストランへ。パニル・パコーラ(チーズを薄いパン生地に包んで揚げたもの)、チキン・サンドイッチ、フレンチ・フライを注文。パニル・パコーラはみなさんに好評で、あっというまに平らげてしまいました。まだ営業時間前で、サーブされるのにえらく時間がかかり、結局フレンチ・フライは持ち帰りにしてもらった。
ホテルに着くと、子供たちはフレンチ・フライをあっという間に平らげる。最後の準備を整えてチェックアウト。家族が初めてのインドで、かつインドに着いた二日目からバラナシという極めてインド的な町に来るということもあり5つ星のホテルを選択した。熱いシャワーも存分に浴びることができたし、部屋の環境も申し分なかった。だけど、この手のホテルのもう一つの楽しみは食事である。この点については、非常にがっかりであったと言わざるを得ない。
1時前にチェックアウトを済ませて、ロビーで車を待つ。 Babatpur空港 までは40分程度で到着。途中、オレンジ色の布に包まれた遺体を天上に載せてガンガーの火葬場へ向かう車二台とすれちがった。車が空港に着くなり胸に身分証を付けたオジさんがカートを引いてやってきて、荷物をカートに載せてこちらへ来いという。少々不安なので、運転手と現地旅行会社の人の方を見ると、問題ないというというのでオジさんの後にしたがう。入口でオジさんと警備員に航空券を見せて入場するとAir Indiaのチェックイン・カウンターへ直行。預け荷物のリュックをX線でスキャンして列に並ぶ。ほどなく順番が来て、手続きをしていると、別の係員が預け荷物をもう一度スキャンしろと言う。カウンターの手続きを妻に任せて、再スキャンをするとリュックの中を見せろという。リュックなので開けるのが面倒であるが渋々開けると、なんと子供が持って来た磁石式の将棋が引っかかってしまったのだ。洋服の中に一つだけ見たこともない妙なモノがあったので目立ってしまったにちがいない。ボーディング・パスも無事入手し、後は3時45分の出発を待つだけだ。正直言ってオジさんには助けられた。初めての空港であるし、地方の小さな空港なので大規模な国際空港とは勝手もちがう。オジさんなしでは、チェックイン・カウンターを探すのにもカートと子供を引き連れてうろうろしたことだろう。Rs. 30を渡して、お礼を述べる。
さて、出発の掲示を見るとデリー行きのIC405便の出発予定時間が17時15分になっている。どうやらデリーのインディラ・ガンジー国際空港は霧で混乱しているようだ。他のデリー行きの便もすべて遅れている。カジュラーホー行きの便はキャンセルだ。座って待てるところを探しに、入口の方へ向かうと、そこの掲示板にはIC405便の出発予定時刻は23時15分になっている。どっちがほんとうなんだ?今の時刻は14時。23時15分が本当なら9時間もまたなければならないじゃないの。
3時を過ぎた頃、キャンセルだったカジュラーホー行きの便が突然セキュリティ・チェックと表示された。そういうこともあるんだ。おかげで椅子が二つ空いたのはラッキーだった。キャンセルでホテルに待機していた乗客も続々とやってくる。同時にデリー行きIC405便の出発予定時刻が20時30分に変更された。今回は、二つの掲示板に同じ時刻が表示された。
IC405便は、デリーからの折り返し便で、デリーをいまだ出発できないでいるようだ。20時30分までには、あと5時間以上ある。同じホテルに滞在していたフランス人グループはタクシーでどこかへ行ってしまったが、こちらにはそんな元気はない。
20時を過ぎた頃、係員がIC405便でデリーへ向かう乗客は2階の食堂で夕食を取れ、と伝えにきた。こんな時間に夕食とは、もっと遅れるということね?2階の食堂では、Dal Yellow、Gobbi Aloo、Butter Chicken、Plain Roti、Plain Riceと若干のスイーツがビュッフェ式で提供された。ホテルの食事よりこっちの方が旨いと思ったのは小生だけでしょうか。子供たちもButter Chickenを何度もおかわりしてパクついている。
間もなく9時というところで、IC405便の乗客はセキュリティ・チェックにはいるので搭乗口へというアナウンスが入った。やっと出発できる。セキュリティ・チェックを終えて待合室の椅子に腰掛けていると、係員がやってきて預け荷物のチェックをしろという。荷物の持ち主が、自分のものがどれであるかをチェックする。おそらく荷物を預けたまま、どこかへ行ってしまったフランス人グループのような人達の荷物を選り分けるためのものだろう。
21時45分離陸。折り返しで機内の掃除はしなかったようで、前の乗客が読んだ新聞がそのままシートのポケットにささっている。離陸後すぐにスナックが提供された。結構美味い。子供たちは、乗り込むなりご就寝で、デリーに到着するまで一回も起きなかった。
11時前にデリーのインディラ・ガンジー国際空港に着陸。しかし、メカニカル・トラブルでドア空かないという機長からのアナウンス。前のアメリカ人は「Another half hour!」と怒りを露にしている。結局20分程度機内に閉じ込められる。バッケージ・クレームでリュックを拾ってシャカルプールまでの運転手を探す。運転手さんは、なんと5時から待っていたそうだ。セナさんには逐次電話を入れて状況を連絡していて、運転手の会社には一旦引き返せと伝えたと言っていたが、運転手さんには伝わっていなかったようだ。また、運転手さん自身も遅延の情報を自ら収集した様子はなく、乗客が出口に出て来るたびに「SHIMPO Family」という紙をかざしていたようである。
家についたのは翌日1時。朝6時から活動していたわけで、とてもながーい一日でした。明朝6時に出発予定のアグラ行きは延期してもらいました。バラナシは最高気温が25℃になるほどでとても暖かかったのですが、デリーは非常に寒く、とくに5つ星ホテルで過ごした身には暖房なしの部屋の寒さは厳しいようです。
12/29バラナシの天気 最高気温25℃、最低気温10℃、平均気温18℃
ガンガー、デリー行きの飛行機大遅延
08/12/29
ガンガーの上から見たダシャーシュワメード・ガート(沐浴場)。このあとすぐにお祈り料Rs. 500をまたも取られてしまいました。
ガートの対岸から昇る日の出。ヒンドゥー教徒たちは、日の出に向かって一斉にお祈りをはじめます。
ガンガーの沐浴へ気合いを込める家族。昼間は25℃ほどになりましたが、早朝は5℃程度しかありません。ちなみに一番手前のオジさんは小生ではありません。