Taj 多事
Taj 多事
2008
6時半起床。レシート貼り。今朝も早くから楽団の音が聞こえる。いったい何なのだろう。1時間以上かけて大量の洗濯。普段の量に加えてズボン、家着を洗う。ズボンの洗濯がとにかく大変。ジーンズに近い生地なので絞るのが一苦労。ちょっとしたトレーニングだ。 困った、 干す場所がない。貯めちゃいかんな。
昨日の帰りのRickshawは、いつもと違う方向からITO(所得税務署)やPolice Headquarter(警視庁?)に向かったのだが、それらの近辺には電光掲示板で「Please switch off your engine. Corporate with Environment Department, Government of India(停止時にはエンジンを切りましょう。環境庁からのお願いです。インド政府)」と掲示されていた。Rickshawの運転手は、コマメにエンジンを切る。だけど、これは環境に配慮しているのではなくて、ガスがもったいないからである( そもそも掲示板の英語が読めるのか怪しい。しばらく見ていたけどヒンディの表示はなかった)。しかし、環境政策としては、もったいないという経済的インセンティブを持たせてガスを節約させているわけだから上手く機能している。ただ、環境省が、その効果を狙ってCNGの価格を高くしているかどうかはわからない。マーケットには、「プラスチック・バックにはノーと言いましょう」という掲示も目につくが、追加料金を課しているわけでもないので、機能しているとは思えない。とにかくRickshawの運転手の所得水準からすればCNGは高価であり、できるだけ節約したいのだ。だからエンジンをコマメに切るし、客を乗せた状態でガス・ステーションに行く。
このような仕組みを普通乗用車やバイクにも応用できないだろうか。何しろすでに人口は10億を超えていて、いまだに増え続けている。2025年には中国を追い越して世界一になるだろうと予想されている。さらに、若年人口が多い。これらの若年人口が、一人一台のバイクやら自家用車を持つようになったらどういうことになる?いくら広い国土でも駐車場にする窮するだろう。ましてやエネルギー消費や環境負荷の量は、これまでに経験されたことのない量になるだろう(具体的数値を示せないのが残念であるが)。まずは、公共交通機関の整備が第一だろう。インドの長距離鉄道網は、歴史的に立派なものがある。問題は都市交通だ。New Delhiでは2010年のCommon Wealth Gameに間に合うようにMetroの整備が急ピッチで進められている。バスについてはどうなのだろう。先日乗った区間をRs.7からRs.10にして、台数の増加、車両の更新はできないだろうか。公共交通機関の整備にともなって、特にCycle Rickshawを排斥しようという動きもあるようだが、これには反対だ。CycleにせよAutoにせよ、Rickshawのメリットは、駅やバス・ストップのない所でも行けることだ。とくに買い物に歩いて出かけて、帰りは荷物が多いのでRickshawを利用するという使い方は大変便利だ。それに雇用創出効果も見逃せない。ただ組織化と料金の平準化は必要だ。運転手に携帯を持たせて、インタネットとGPS機能を使い、必要な場所に適宜配置するという現代技術を用いた効率化などは簡単に実現できそうなのだが。このような仕組みを整えた上で、自動車やバイクの取得にかなり厳しい税金をかけるというのも一つの方法ではないだろうか。つまり、自分で自転車以外の交通手段を保有するよりも、公共交通機関とRickshawを使ったほうがよっぽで便利で安上がりな都市にする。
慣習や宗教の問題、少々貧しいが忙しくない生活などを考えると、今の開発途上国が、すべての面で先進国と同じなることがよいのかどうかはわからない。ただ、外部性がありそれが生活に影響を及ぼすものについては対処が必要だ。そのひとつが公共交通であり,もう一つが公衆衛生だろう。Rickshawから眺めていても、大と小を問わず外気のもとでおおらかに放出している姿を頻繁に目にする。公衆便所の数は少ないし、綺麗なものは有料だし、無料のものは汚いので、外でやってしまったほうが気分がよいのかしれない。しかし、汚い公衆便所も含めて、河川や道端に放出してしまうことによる感染症の拡大などを止めるには、早急な整備が必要である。インフラの問題でもあり、もっとも重大なのは貧困の終焉だ。それと人々もそういうものに対する我慢を覚えないといけないだろう。また、牛や犬が完全に野放しという状況も考え直したほうがよい。農村部では、牛の糞の燃料としての再利用が普通に行われてるが、それもたとえば村単位の共同組織で集中して処理するほうが効率よいであろう。
この地には、騒音公害という概念はないらしい。クラクションもたまに鳴らされるから危険を察知することができるが、こうしょちゅう鳴らされえは意味がない。明らかに前に進めない状態でも、後ろについた車やバイクは必ずクラクションを鳴らす。鳴らしたから何か変わる訳でもなんでもない。インド国内でも海外での生活経験のある人がいるはずだから、少しは啓蒙できないものだろうか。このローカル・ルールでますます車が増えることなど、想像するだけでも恐ろしい。
騒音といえば、昨日からこのあたりを騒がせているのは、神様ではなく人間様であった。どうやら選挙活動らしい。先頭に太鼓が二つと鐘を持った人間が何人かでけたたましい音を奏でながら、その後ろから候補者とおぼしき人が首に花輪かけて周囲に手を振りながら更新して行く。昨日は、最初に聞いたのが朝の5時で、最後に聞いたのが夜中の11時半。票集めのためにご苦労なことだけど、こんな騒音公害をまき散らす候補者には絶対投票しないけどね。
神様ではなく人間様
08/11/09
騒々しい楽団は、選挙活動の一団でした。太鼓と鐘を打ち鳴らし、周囲に手を振りながら行進していきます。(部屋のベランダから撮影)
真ん中で花輪を首にかけているのが候補者。朝の5時から、夜中の11時半まで、騒音をまき散らしています。この地には、街頭で選挙活動をしてはいけない時間帯というのはないようです。