Taj 多事
Taj 多事
2008
今朝の目覚めは4時20分ごろ。いつもように7:25にMunnaが朝食を運んでくる。ジュースはマンゴージュース。いつもはバターのほかにイチゴジャムがついてきたが、今日はマーマレードだ。
今日は、ガンジーの誕生日(Ganghi Jayanti)で休日。昨日IDカードをもらえなかったので、TERIに入り込むことは難しい。こないだの日曜日に覗いてみたら、受付はいつもと違う人なので、3Fに知っている人がいないと疑われるし、そもそも決まった席がないのだからどうしようもない。
ガンジーの火葬がおこなわれたデリーのラージガートでは祈りの集会が執り行われるそうだ(Lonely Planet)。ラージガートへは、2006年10月に訪印したときに、アーグラへ行く途中で寄った。人ごみを狙った本当に卑劣な無差別爆弾テロが、ここNew Delhiでも起きている。今回は、人ごみに出かけることは避けるべきだろうな。ひったくりの類いならよいが、相手が爆弾ではイチコロだ。ここに来て一週間が過ぎたばかりだし、先は長いし、まだ外国人登録も日本大使館への在留届も出していないのでテロにやられても身元不明で終わってしまうかもしれない。今回は自重しておこう。
ということで、今日こそ、Defence Colonyまで歩いてみよう。昨日、H君にメールでだいたいの道程を聞いておいた。1時間近くかかるらしい。10:30頃に27JBGHを出発。IHCへの途中でリクシャのおじさんが寄ってくる。「どこへ行く」、「Habitat Placeだ」と嘘をつく、「乗っていけ」、「すぐそばじゃないか」、「これならダイレクトだ」、「おれは毎日通っているんだ」、「この辺に住んでいるのか」、「そうだ」、「それなら別のところへ行くときに使ってくれ」、「OK」。知らないとぼったくられることになる。
毎日使っているIHCの西ゲートを通り過ぎてSecond Ave.を道沿いに南下する。15分ほどのところで露店が出始める。ほとんど果物屋だ。これが正しいルートなら果物の買い物には困らなそうだ。すぐに踏切がある。踏切は閉まっているが、歩行者と自転車にとっては関係ない。遮断機の下をくぐり抜けてわたってしまう。合理的といえば合理的だが。小生もその流儀にしたがう。
踏切を渡ると道の両側に露店がずらりと並んでいる。食事を出している屋台もたくさんある。食べたい衝動にかられるが、すべての手続きと引っ越しが終わるまでは、体調を崩すわけにいかないので我慢する。いました、いました、今回初めてお目にかかる牛が一頭何かを食べています。
店の並びが途切れたあたりを左に向かえば、目指すDefence Colonyがあるはずである。適当に左に折れてみる。正面に見覚えのある橋が横切っている。あの橋の向こう側にTERIのGuest Houseがあるはずだ。無茶苦茶にあるいて、橋と続く大通りに出る。この大通りを渡るのがインドでは大変である。だんだん慣れてきたが、緊張する。
ありました、ありました、10/5に移り住む家です。中に入るわけにはいかないので、あたりを散策してみよう。まずは、何度か来たことがあるマーケットを探してみよう。Guest Houseがある場所は、Defence ColonyのAブロックであることがわかる。このあたりも高級住宅街で、小生が住むところは回り比べると少々見劣りがする。近くにDudrga Puja Parkという綺麗な公園がある。暑くなければベンチにころがってぼんやりしたり読書するのもわるくなさそうだ。ぼんやりしている人はすでに何人かいる。公園を抜けると道幅が少し広くなり、車の往来が多くなる。車の向かう方へ行けば目指すマーケットかもしれない。ビンゴ!目の前に、二度きたことがある高級インド料理「MOETS」を発見。近くには、地元の人にも大人気の南インド料理Sagarがある。昨年12月にきたときにイドリーとマサラドーサを食べて美味でした。ラッシーもおいしかった。ここには週一回は来たい。家から5分もかからないところに、このように日常品もほとんどそろうマーケットがあるのはありがたい。家の2軒隣も雑貨屋でした。こちらへ来るほうが多いかもしれない。
さて、TERIまでの時間を確認するためにIHCまで戻ろう。橋に続く道を行く方がどうみても早そうであるが、あの露店街をCaw Dangを踏まないようにどきどきしながら歩くのも捨て難い。露店街経由でいこう。また大通りをわたると、少年たちが5、6人たむろしている。手に注射器と小さな瓶をもった少年が一人いる。顔をみるとイチャッテル子供もいる。さすがにカメラを向けるわけにはいかない。ここも、この大通りを境にして天国と地獄があるわけだが、貧しいが故に、こいうものに手を出す者も出てくるのだろうか。さらに針の使い回しが、なんらかの病を感染させるにちがいない。農村部にける貧困の解消も喫緊の課題であるが、都市部においてホームレス化するこのような子供たちの問題も深刻である。
気を取り直してIHCへ歩を進める。線路にはまた遮断機が降りているが、無視してくぐる。Door to doorで30分あればなんとかなりそうである。運動不足になりがちだから、往復のうち最低一方は歩くようにしよう。
さて、またもやEatopiaで昼食をとる。IHCに入るときにIDがないので、初めて荷物チェックをされた。どうやら警戒体制にあるようだ。タイカレーを食べながら、せっかくだからGandhi Smritiに行ってみようと思い立つ。Gandhi Smritiは、独立運動を支援したビルラー財閥のデリー邸で、Gandhiは晩年をほとんどここで過ごし、暗殺されたのもこの邸内で、映画『Gandhi』のロケにも使われた場所だ(『地球の歩き方』)。
地図を見るとJor Baghからさほど遠くなそうだし、朝、Munnaに聞いたときもすぐそこだし、混んでないと思うよと言うので歩いてみることにする。
順調に来たが、ここを右折というところが地下鉄の工事中で右に行けない。うろうろするうちに少し不安になったので、豪邸の警備員に聞いてみた。「Gandhi?」、「Yes」、「Indira Gandhi?」、ここで何も考えずに「Yes」と言ってしまった。「まっすぐ言って、右に曲がれ」。歩きながら気がついた、インディラじゃないマハトマだ。たしかにインディラ ガンジー記念博物館もそばにあるのだ。元の場所に戻ると、歩行者はここを歩けと書いてあった。最後の曲がり角を右折すると、警官やら銃を持った兵士らしき男がうようよいる。やはり警戒態勢にあるのだ。まだ場所が不安だったので、銃をもった男に場所を訪ねたが、「I’m sorry, sir.」と知らないという。でっかい兵士の100mほど先を見るとすごい人だかりだ。あそこに違いない、でなければあそで何かあったことになる。でも観光バスが何台も駐車してあって、何かあったという感じではないので、そこへ行ってみる。間違いなくGandhi Smritiだ。あの兵隊は、何の警備をしているのかわかっているのか?それとも聞き方がわるかったか?
さて入口には金属探知機のゲートが二機設置され、ヒンズー語で注意を呼びかけているので何を言っているのかわからなかったが、回りの様子を見ているとペットボトルを持ち込んではいけないようだ。それはそうと、入り口は、制服を着た小学生の長蛇の列である。さらにバスでぞくぞくと小学生たちがやってくる。休日でも今日はインド人には特別な日で、子供たちにとっては、貴重な歴史の勉強の日だったのだ。いつになったら入れるかわからないし、中も相当に混雑しているだろうから、今日は退散することにする。来る日を間違えた。さすがに疲れたので、Rickshawを拾う。40Rsで交渉成立。
途中で信号待ちで、子供がお金をせがみに来る。「10Rs。お腹がすいた。10Rs」そして傷ついた足裏を見せる。Rickshawの運転手も恵んでやらないのかという顔でこちらを見ている。こちらにしてみれば、お前の国の問題だろうと言ってやりたい。誰かが10Rs恵んだところで解決する問題ではない。逆に簡単に恵むことが、お金は簡単に手に入るものと勘違いし、その生活から抜け出す努力をしないことにもつながりかねない。屁理屈はよいとして、ここでお金をあげたら大変だ。回りを見渡せばわかるが、予備軍が待機している。
結局、今日も随分と歩いた。汗びっしょりだ。そういえばこちらの人たちは、そんなに汗をかいているように見えないのだけど、気のせいかしら。今晩は、日本から持参した映画『Gandhi』のDVDを見ることにしよう。
行く日を間違えた...
08/10/02
踏切。遮断機が降りていても関係ない。この大きな荷物を積んだ自転車でも。
TERIからDefencs Colonyへの途中。
電車はすぐそこまできています
踏切の中から撮影。。。
やっとお会いできました
TERIとDefence Colonyの中間にある露店街にて。
この建物の2F左側がTERIのGuest House。
Defence Colony
Defence Colonyにある高級インド料理MOETS。お客様が来たときに行きましょう。
Defence Colonyにある南インド料理Sagar。ここには何度もいきたいです。
家のそばにも雑貨屋が。ここに来ることの方が多いかな。
Ganghi JayantiのGandhi Smritiの入口。小学生の長蛇の列。
あとからあとからぞくぞくとやってくる。