Taj 多事
Taj 多事
2008
5時起床。読書して、論文を読んで、9時に家を出る。今日は、露店街を使わずに、陸橋通りを使ってみる。この経路だと20分で到着。
今日もRituがいないので、Rituの席を借りるが、いったいいつまでこの状態が続くのだろう。とにかく届いた荷物を解きたくてしょうがない。もうしばらくの我慢であろうか。
今日は、日本の総合エネルギー統計とIEAのエネルギーバランスの部門調整をやっている。今日中には終わりそうだ。
ランチは、27JBGHとHabitat Placeの中間にいつも出ている中華屋台に行く。チキン・チャーハンを食べようと思ったが、ないらしい。らしいというのは、どうも注文を一手に引き受けているおじさんは、英語がほとんどだめのようだ。”Steamed”と言っているのだが、蒸した焼き飯なぞ定義に反するから、チキン焼きそばを注文。何かまた言っているのだが、わからいので、とりあえずうなずいて、メニューにRs.60と書いてあったので、Rs.60を出すと、Rs.45だと言う。どうやらハーフサイズでRs.45ということらしい。足りなかったら、Samosaでも食べよう。中の調理人の手際が、これまたひどい。違うものが二度出て来た。そのたびに、注文のおじさんに怒鳴れている。三回目には、なんとビニール袋に入って出きた。つまり、take outの意味である。おじさんが、”Pack?”というので、”No”と答えると新しいのを皿に盛ってくれて、やっと食べることができた。味は、Defence Colonyの焼きそばより塩味が薄くて、こっちの方が食べやすい。量は、ハーフで十分です。Defence Colonyの焼きそばの三分の二の量という感じ。残さず食べました。帰りに隣の屋台でコーラを買ってTERIに戻る。
4時。ノーベル経済学賞発表の時間だ。なんと、Paul Krugman。いつかは、必ず受賞すると思っていたが、こんなに早いとは。1953年生まれだから、55歳。これまでの経済学賞は、70歳代、80歳代が相場だったと思うけど、異例の若さではないだろうか。こんな早くに取ってしまうと、これからの仕事やりにくくないのかしら、と思ってしまう。次元が違うからわかりませんけど。そういえば、修士2年のとき、はじめてのFactor Contents of Tradeの計算を慶應とNew York大学の共同コンファレンスで黒田先生と発表したとき、コメンターがクルーグマンだった。コンファレンスの間中なにかを計算していたようなので、聞いていないのかと思いきや、しっかりコメントしてくれたことを覚えている。宇沢先生に初めてお会いしたのもこのときだった。宇沢先生もズーット数式を書いておいででした。このときのFCTの計算が、慶應の助手になるときの論文の基礎であるし、AERに掲載された論文の基礎でもある。大変多くの人たちに支えられてきたものだ。感謝しなくてはならない。
6時過ぎに仕事を終えて、ground floorのSudheerさんところに寄ってみる。何回か訪ねたけれど留守だったのでメールを入れておいた。Josephさんとお取り込み中で、部屋で5分待ってくれという。相談に来たのは、引っ越しの件。「ずっと外にいたので、 メールはさっき見た。お前が引っ越したいのなら、何の問題もないよ。どこだっけ」、「Shukapur」、「Congested areaだけど、いいのか」、「気に入っている」、「それじゃ問題ない」、「鍵はどうする」、「車が要れば、出すからドラーバーに渡してくれ、そうでなければ次の日でいい」、ということで、いつでも引っ越せる。なるほど、TERIとしては、なるべく静かなところ紹介していたわけだ。Jor BaghにしてもDefence Colonyにしても区画が整理されていて、ブロックごとにゲートがある。27JBGHのように、まかない付きで、何もかもやってくれるならいいのだけど、一人で何もかもやるには、すぐ手の届くところに必要なものがあるcongested areaの方が楽なのだ。確かに、向かいの人は、此方人等20分から30分かけて歩く距離をおかかえ運転手車が運転する車でご出勤だ。 此方人等、それが楽しくてやってるからいいんですけど。たぶん、そういうインド社会に生きている人には、こういうところが相応しいのだろう。
帰宅早々に、セナさんに電話をして、いつでも移れるのでセナさんの都合のよい日を連絡してくれるようにお願いした。早ければ土曜日にも引っ越しだ。
きのう買って来た洋梨を食べてみたけど、こいつはハズレ。まるでジャガイモを生で食べたような感じ。本当に洋梨か?
ノーベル経済学賞はクルーグマン
08/10/13