現代は知識の時代と言われている。ドラッカー教授が伝統的な生産要素である労働や 資本などに代わり、知識がその主役になる、と論じてから既に10年以上が経過した1)。 また近年では、今井教授が現代は近代科学主義の限界とともに迎えた知の組換えの時代 であり、同時にその知の組換えを支援するコンピュータの使い方にも発想の転換が必要 であると論じている2)。知識社会における企業の競争力の源泉は、知識を如 何に扱うか、さらにコンピュータをはじめとするIT技術を如何に活かして知識を取り 扱うかが焦点となっている。
本書は、知識の取り扱い方を企業評価という領域に限って検討する、という試みである。 具体的にはエキスパート・システムとニューラルネットワークという人工知能分野の二 手法の企業評価への適用を考えている。両手法ともエンジニアリングの分野での適用例 は多いが、ビジネス分野への適用例は少ない。またそれらについて言及する文献も、表 面的な機能に関しての記述に留まっているものがほとんどである。本書の大きな特徴の ひとつは、従来、ブラックボックスとして扱われてきた両手法の内部での機能にまで立 ち入り、実際にどのような動きをするのか、ということに関して言及し、それが企業評 価においてどのような役割を果たすのかを検討している、という点である。
本書のもうひとつの大きな特徴は、単なる手法の検討に留まらず、それをどのように 使うかという具体例を示している点である。これはすべての章で貫かれている特徴であ り、財務諸表分析、倒産予測モデル、ホームセンター店舗経営力評価モデルが取り上げ られる。以下、本書の全体の流れを各章ごとにを説明しよう。
第1章ではまずエキスパート・システムに関しての概観が行なわれ、それを企業評価 モデルに適用することによってどのようなメリットが生まれるのか、が検討される。そ の後、PC-PLUSというエキスパート・システム構築ツールが用いられ、実際に企業評価 システムのプロトタイプが構築され、その構造、動きが確認される。ここで用いられる 知識体系の具体例は財務諸表分析である。
第2章では第1章の結果を受け、プロトタイプをより実用的なモデルにするため、フ レーム理論が導入される。ここでは実際に財務諸表分析の企業評価システムが進化して いく様子が詳細に論じられ、どのようにエキスパート・システムが企業評価に役立つの か、が考察される。企業評価研究に人工知能の手法を適用することにより、従来の研究 によって得られた知識が蓄積され、多量の専門的知識を適時にそして瞬時に引き出すモ デルが示される。
第3章以降では、ニューラルネットワーク・モデルが取り上げられる。正確な知識が 得られ、表現でき、どのような場面にどのような知識を用いるべきか、がはっきりして いるケースにおいてエキスパート・システムは強力な武器となるが、知識の表現が困難 であり、また情報が体系的でなく、不正確であるケースにおいてはニューラルネットワ ークが大いに有用であると考えられる。第3章では、ニューラルネットワークについて の概観が行なわれ、学習され構築される処理プロセスを如何に客観的に扱い、解釈する か、という問題が検討される。その際、“ルールが不明確でデータは不完全ながら一定 パターンを生ずるような大量データ処理”の具体例として取り上げられるのが財務デー タを用いた倒産予測モデルである。従来の研究では、単に線形多変量解析(判別関数) モデルの代わりにニューラルネットワーク・モデルを用いることにより高い判別力が達 成されることのみを示したものが多く、構築された処理プロセスは解釈されず、ブラッ クボックスになってしまっていた。これは決してそれらの研究者の責任ではなく、ニュ ーラルネットワーク自体の問題点であった。ここでは企業評価という特定の環境におい てそれらの問題が解決可能であることが示され、ニューラルネットワーク・モデルがど のように適用可能であるかが検討される。
第4章では、ニューラルネットワーク・モデルのもう一つの適用例として、ホームセ ンター店舗経営力評価モデルが示される。日本のホームセンターという市場はまだ新し く、一定のフォーマットが存在しないため、今後の成長要因を探るための理論的フレー ムワークは不十分である。そのために、「21世紀HC経営研究会」によるデータが用いら れるが、これには複数のホームセンター企業の店舗別の経営要因(戦略関連、店長・社 員関連、財務データetc.)170項目が含まれており、このような分析がなされるのはおそ らく日本で初めてである。というのは一企業による店舗別データの分析はあったが、複 数企業の店舗別データ、それも営業利益段階にまで踏み込んだ店舗別財務データは皆無 であるからである。このようなデータを分析するには第3章の倒産予測と同様、ニュー ラルネットワーク・モデルが最適であることが示される。
第5章では、ニューラルネットワーク・モデルのさらなる精緻化検討と、前半で論じ られた、エキスパート・システムとの統合を含め、全体のまとめとしての考察が行なわ れる。ニューラルネットワークは自ら学習する能力を持つという大きなメリットを持っ ているが、それは通常複雑なネットワークになってしまうというデメリットをも誘発す る。そこで第5章ではニューラルネットワークの構築した情報をルールという形にして 抽出し、より理解の容易な人間の言葉に変換するという試みが検討される。そのために 開発されたフレームワークがKNNA-RXであり、これにより、構築された複雑なネットワ ークがより理解の容易なルールとして抽出される。第4章のホームセンター経営力モデ ルのデータを用いて、実際のルール抽出が行なわれ、さらにその知識をエキスパート・ システムにおいても利用するという、ニューラルネットワークとエキスパート・システ ムとの統合も検討される。
このように本書では、知識の扱い方に関してエキスパート・システムとニューラルネ ットワークという2つの人工知能の手法を用い、企業評価分野という特定の領域への適 用可能性を具体例つきで探っている3)。従来、科学的に手法の理論面のみに 着目したものと、それとは対照的に手法はブラックボックスのまま如何に実践的に使え るかという利用面のみに着目したものが多く見られるという状況において、本書は、時 空を限定した中理論4)ではあるが、科学性と実践性の両立を目指した研究 となっている。