企業評価の視点と手法

序章


 1980-90年代の我が国の経済環境は明治維新以来の大変革期1)と呼べるほどの変化 を遂げ、同様に企業経営にも革新が迫られてきた。円高に始まり、バブル経済、そ の崩壊、そして日本が未だかつて経験したことのない不況。それらの原因はマクロ レベルでの経済政策に問題があったことも否めないが2)、企業経営の側で経営戦略 の策定と執行に適切さを欠いていた点も否定できない。従来、公表データや未公開 の内部データをも用いた各種意思決定情報を提供するための企業評価手法・モデル が開発されてきたが、近年の企業の不祥事等はそれらの手法・モデルが十分に役立 っていないことを示し、現在の環境変化、企業経営の実態に対応した手法・モデル の継続的開発の必要性をも示しているといえる。

 企業評価理論研究の歴史をひもとくと、大きく2つの流れがある。1つは企業の valuationを考える流れであり、設備投資決定理論、ポートフォリオ理論などがある。 これは“設備投資によって企業の利益がどれだけ増大し、その結果株価がいかほど 増大するかという観点で企業を評価するもの”、“当該企業の株式および各種の債 券の価額を通じて、その時価総額によって企業価値を評価しようとするもの”であ る3)。これらはすべて企業評価を資本価値の測定によって行なうものであり、その 根底にある考え方は、企業経営は株主の立場で行なわれており、企業の目標は発行 済株価の最大化である、というものである。これに対してもう1つの流れは経営分析 論、財務分析論の流れをくむ。これは“企業の利害関係者が合理的に経済的意思決 定を行なうために、その企業の現状と問題点を把握する必要上、企業が公表した財 務諸表を分析し、比較し、解釈すること”4)、“企業にかかわる複雑な現象的事実 の背後にある実態を認識し把握するために、企業内容開示情報等を用いて、実体を 構成する諸要素、側面等の状況を明らかにする方法”5)である。この流れの根底に ある考え方は、企業経営は企業自体の立場で行なわれており、企業の目標はその企 業の長期の維持発展である、というものである。清水教授はこれらの企業評価を主 体、目的、調査項目により表1のように分類している。そして、大学・研究所・新 聞社が行なう企業評価を“何らかの意思決定のために、企業が持っている、長期に 維持発展してゆくための総合的な潜在能力を測定すること”と定義し、その目的と して企業行動および企業成長要因の正確な把握をあげている6)

表1 企業評価の主体、目的、調査項目
主  体
目  的
調査の重点
金融機関・信用調査機関
など
信用分析
(貸付の安全回収)

収益性、担保力、資金繰りなど
投資家
(証券アナリスト)
(年金・基金運用者)
投資分析
(株価の変動予測)
(社債の配当、償還の安
 全性確保)

成長性(増収率、増益率)など
収益性、経常収支比率など
一般企業 信用分析
(取引先などの実体把握)

収益性、成長性など
労働組合 支払能力分析 売上高人件費比率など
学 生 就職のための企業評価 安全性、成長性、規模など
大学・研究所・新聞社など 企業行動および企業成長
要因の客観的把握
成長性、収益性、総合経営力
行政官庁
(通産省)


(大蔵省)


(国税庁)

行政指導
(将来国際競争力を持つ
 企業の育成)
行政指導
(企業利害関係者の利益
 の調整)
徴 税


総合経営力、技術力、独占度など


粉飾防止など

課税所得の確定、脱税防止など
企業経営者・企業スタッ
フなど
計画分析
(経営戦略、長期計画の
 策定)
企業の強み弱み、総合経営力
出所:清水龍瑩[1981]p.2.

 さて、本書は現在の環境変化と企業経営の実態に対応した手法・モデルの継続的 開発の必要性と企業自体の立場で行なわれている日本の経営に鑑み、従来の企業評 価理論の延長線上に新たな視点と手法を加え、より論理的・体系的、より実践的な 企業評価理論の構築、ひいては経営学理論の構築を試みるものである。そこで本書 では企業評価の定義として前述の“何らかの意思決定のために、企業が持っている、 長期に維持発展してゆくための総合的な潜在能力を測定すること”を用いることに する。企業評価理論研究は、どのような要因が企業の維持発展要因となるかを明ら かにし、これが経営学理論構築につながっていく。経営学理論から企業の維持発展 要因を探り、現実のデータに当たり、それを企業評価モデルに当てはめ、その適合 性を見る。この仮説=検証のプロセスが経営学理論の精緻化を促進するからである。 そのプロセスにおける企業評価理論研究の課題は何を基準に評価するか、という視 点の問題と、その方法をいかに開発していくかという手法の問題とに分けることが できる。以下、視点と手法という2つの企業評価理論研究の課題を設定した本書の 全体的流れを説明しよう。

 第1部ではまず手法の問題を扱う。企業評価理論研究は既に述べたように仮説= 検証のプロセスを踏むため、実証研究が欠くことのできない研究方法となり、その 武器としての手法の研究が重要なテーマとなる。第1章ではその実証研究の際に重 要な判断基準を提供する統計的有意性検定の問題を論ずる。ここではそもそも有意 性検定とは何か、という基本的な問題から出発し、それを経営学研究・企業評価理 論研究に当てはめた場合、どのような基準を設定すべきかを考える。第2章では現 在多く使われている多変量解析法を用いた企業評価を取り上げる。ここでは企業評 価に使われる公表データの代表格である財務データを用いて、定性データをも加味 して行なわれる社債格付け説明し、財務データにどれほどの説明力があるのかを検 証する。第3章ではより新しい企業評価手法としての人工知能、エキスパート・シ ステム(ES)の適用を考える。ESをビジネスの世界で活用しよう、という試みは多 くなされており、論文も多く発表されているが、具体例となると数少ない。ここで はPC-PLUSというES構築ツールを用いて実際に企業評価システムのプロトタイプを構 築し、その構造、動きを実際に確認する。第4章では第3章の結果を受け、プロト タイプをより実用的なモデルにするため、フレーム理論という人工知能理論を導入 する。ここでは実際に企業評価システムが進化していく様子が詳細に論じられ、ど のようにESが企業評価モデルに役立つのか、が考察される。

 第2部では視点の問題を扱う。前述のごとく、企業評価は誰が、どのような目的 で評価するか、という評価主体・評価目的の違いによって様々なバリエーションが 考えられる。第5章では倒産企業の企業評価を考える。通常の企業評価では優良企 業を対象とし、何がその企業の収益性を向上させ、何がその企業を成長させるのか、 という長期の維持発展要因を探るが、何が企業を衰退させ、倒産させてしまうのか、 という倒産要因を探る。これは通常の評価とは逆側からの視点を持った企業評価で あり、維持要因、成長要因を考える上での重要なヒントを提供する。第6章では非 営利組織の企業評価を考える。具体的には農業協同組合を取り上げ、一般企業の評 価との共通点・相違点を探る。そして、非営利組織といえども一般企業同様なマネ ジメントの感覚が必要であることを述べる。第7章では企業にとっての社会性の問 題を考える。企業評価理論研究において、実際にはどのような企業が良い企業でど のような企業が悪い企業かを評価するわけであるから、その基準が問題となる。従 来は収益性と成長性という2大基準による評価が一般的であったが、経済の成熟化、 企業のグローバル化、人々の価値観の多様化などにより、社会性が現代企業にとっ て無視できない大きな存在になってきている。第8章では第7章での新しい社会性 という視点を受けて、それを企業評価基準とした場合の評価を考える。ここでは従 来の収益性・成長性と社会性との関係が論じられ、将来の望ましい企業評価につい ての考察が行なわれる。

  1. ) 清水龍瑩[1992 & 1994]各インタビュー。
  2. ) 小川洌[1994]p.11.
  3. ) 後藤幸男[1992]pp.23-27.
  4. ) 岡本清[近刊].
  5. ) ここで“企業内容開示情報”とは財務情報のほか、組織や人材に関する情報、技術水準、製造能力、販売力その他多岐にわたるものであり、また定量的情報だけでなく、定性的なものも含んでいる。若杉明[1993]p.4.
  6. ) 清水龍瑩[1981]p.7.

企業評価の視点と手法へ
岡本大輔の研究分野へ
岡本大輔ホームページへ