ゼミナール説明会で話したように,メールによる質問と回答を公開します

最終更新日 02/03/24

ここにある【質問1】から【質問25】までは,研究会紹介1999年度用バージョンに寄せられた質問に答えたものです。1999年度用バージョンと2001年度用バージョンの違いは,「研究会紹介」にある,両バージョンを参照してください。

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【質問1】  Dec 1998
> ゼミの紹介書を読みまして、先生のおっしゃっている「合理的個人を住まわせ、
> 合理的個人にシュミレートさせる」ということが、どのようにして行っていく
> ことなのか、具体的なイメージを掴むことができませんでしたが、今まで、他
> のものを通して物事を考えたことなどないので、それゆえに、この作業には大
> 変興味を抱いております。

たとえば,君がある問題に直面した時,君の両親ならばどう考えるか,君の尊敬する人ならばどう考えるか,ということを想定したことがあると思います。そうした人たちの中に,経済学に登場する合理的個人も加えてもらえればと願っている訳です。

ところで,この合理的個人は,君の両親や君が尊敬する人などとは違い,少々落ち着きがない。いろんなことに疑問をもっては,「この原因は,こうではなかろうか? いや,ああではなかろうか?」,さらには「もし,思った通りならば,つぎはこうなると予測できるぞ!」と,思いをめぐらし,こうした考え(仮説)が当たっているかどうかを,確かめてみなくては気がすまない性格をもっています。

もし,この合理的個人を君のなかに住みこませることに成功した暁には,君は,この好奇心旺盛な合理的個人のおともをして,いやいやながら図書館に足を運ばされたり,君自身はあまり関心がない難しい本に付き合わされることになります。

付け加えておけば,この合理的個人は,幸か不幸か,ものを考える上でタブーというものを知らない。
それゆえ,合理的個人が集まれば,いろいろな場面で腹を抱えるほど面白い議論ができるのは,請け合いです。

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【質問2】 Dec 1998
> ゼミナール紹介についてですが、卒業論文のことで質問があります。
> 「とりかかりたいテーマを決めている人は、事前に連絡してほしい」との
> ことですが、やはり公共政策に関連したテーマでなくてはならないのでしょうか。
> 私が現在考えていることは、それに当てはまらないような気がします。
> しかし、〈応用ミクロ経済学〉の範囲にはきっと含まれると思うのですが。
> もちろん、まだそんなにはっきりと考えているわけではありませんが、気になっ
> たのでお尋ねしてみました。

いずれ具体的に伺いたいと思いますが,参考までに一言。

短期的には,政策の対象でなくても,長期的には,政策の対象でないものはないように思えます。
もし時間がありましたら,福沢諭吉『文明論の概略』岩波文庫,p.86-8.に目を通してください。

もちろん,長期的に眺めてみても,政策の対象とは認めがたいものもあります。ゼミナール説明会で話したように,お月様の位置がどうも気にくわない。もう少し,右にずらしたいというようなことは,このゼミで対象とする政策ではありません。境界線を推論してみてください。

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【質問3】 Dec 1998
> まず、私は現時点で「財政的に自立した現在の都道府県の枠を越
> えた地方政府による連邦制国家」を月並みですがアイデアとして考えておりますが、
> これはゼミのテーマとして適合するでしょうか。

「なぜ,現実の日本は,連邦制国家ではないのか?」,「連邦制国家にした場合,どのような日本が生まれるのか?」を合理的個人に徹底的に考えさせるというアプローチをとるのであれば,十分に適合します。

このゼミでは,みんなでミクロ経済学を中心とした経済学を勉強し,合理的個人の考え方,そしてテクニカルタームを身につける努力をしてもらいます。その上で,先にあげた問題設定にもとづくアプローチをとる限り,君が思考の矛先をどこに向けようが,それは自由です。

合理的個人の考え方,テクニカルタームを理解した者同士で話しあい,討論すれば,研究対象がばらばらであっても,不思議と問題の構造がよく似ていることに気づいたりして,議論はかみ合うものです。ミクロ経済学から,公共選択論,新制度派経済学,家族経済学などが生まれたことを思い出してください。

なお,君のテーマは,決して月並みではありません。
ほんのちょっと思いつくくらいのことは皆,経験しているかもしれません。
しかしながら,このテーマを真剣に2年間も時間をかけて考え抜くような奇人は,研究者を含めてほとんどいないと考えても良いと思います。
ここで,奇人を,良い意味を込めて使ってます。私自身は,上の文章の意味で奇人でありたいと常々思っており,松陰の言う「狂」という言葉に,妙に惹かれます。

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【質問4】 Dec 1998
> その政策アイデアが入会までにどの程度具体的でなければならないかお教えください。

その必要はありません。
もし時間に余裕があるのならば,数学,統計学,経済学を勉強しておいてください。

〔関連質問へジャンプ〕

そしてさらに,お金に余裕のあるのならば,来年度の始まりまでに,良い小説を読み,良い映画を観て,良い旅でもすることに時間を費やしておいてください。 なお,君たちが入ゼミした後でも,読書,映画,旅などは,奨励しつづけて行きます。    

〔関連質問へジャンプ〕       

 

【質問5】 Dec 1998
> 私はC言語の方はわかりませんが、メール、ワード、エクセル、パワーポイント等は
> 使うことはできます。

十分です。

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【質問6】 Dec 1998
> それ以上できる人を「パソコンのできる人」おっしゃるのであれ
> ば、一通り基礎はで きていると思いますので入会までには先生のお望みになるレベル
> を習得できると思います。

日吉で,統計パッケージを利用できるのでしたら,その使い方を勉強しておいてください。

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【質問7】 Dec 1998
> 「統計パッケージ」とはどのようなものでありましょうか。

SPSS,SASおよびSTATAのようなものです。 データをインプットして,回帰分析などを指定すれば,一気にやってくれる便利なソフトです。 こういうソフトが日吉で公開されているかどうかを,今度,問い合わせておきます。

〔数日後〕
日吉のPCにインストールされているソフトは,
    TSP:全PC(400台以上)
    SPSS:一部屋、31台
Mathematica:全PC(400台以上)もあるそうなので,試しておいてください。
http://www.hc.keio.ac.jp/MC/CC/app.html#1 (日吉PC 導入アプリケーションの一覧参照)

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【質問8】 Feb 1999
> ゼミナール紹介のなかで,経済学に登場する合理的個人は,「情報獲得作業」と「分析作業」は得意だが,
> 「評価作業」は苦手と書かれてます。そして,「評価作業」は経済学のみならず,
> あらゆる学問が苦手としているとされています。
> それではいったい,どのようにすれば「評価能力」が身につくとお考えでしょうか。

まず,評価能力をどのようにして,私が評価しているかを説明します。私は,人々の現実への評価能力は,その人が定めるビジョンの位置と現実との距離,および,その人の論評がもつ説得力という二つの座標軸上で測ることができると考えてます。そして普通は,ビジョンと現実の間の距離と,論評の説得力とは,トレードオフ関係にある――つまり,ビジョンが現実から離れるほど,その人の説得力は弱まる――とも考えています。この二本の座表軸のなかで,ビジョンが現実からかけ離れているにもかかわらず,なおかつ説得力のある議論を展開できる人を,私は評価能力の高い人とみなしているわけです。

ビジョンが現実にきわめて近いのであれば,その人の現実評価は,それなりに説得力をもつ――というか,批判を免れることはできるのですが,そういう人は,私の座標軸のなかでは,評価能力の高い=魅力のある人にはなりえません。また,ビジョンが現実からかけ離れ,それゆえにその論評がなんら説得力をもち得ないような人も,同様に,評価能力の高い=魅力のある人にはなりえません。それでは,質問にあるように,評価能力の高い人は,どのようにして育つのでしょうか?

残念ながら,これについては明確な解答は持ち合わせていません。しかしながら,この問いに対して,解答は「これだっ!」と胸を張って応えるような人は,あまり信用しない方が良いとも思います。ただし少なくともつぎのことは言えるのではないかと感じてますので,参考までに。

凡人には想像もできない位に,現実離れしたビジョンを掲げているにもかかわらず,ものすごい説得力をもつ議論を展開できる人が,まれに現れます。このような,人として非常に魅力のある知的巨人は,とにかく本を良く読んでいる。そして世界中のことを,縦(歴史的)にも横(地理的)にも知っている。そして彼らの生涯は,激しい人間の憎愛で彩られている。結果,彼らは,かなりの人間通である。これらのことから,私はつぎの命題を得ています。

T 本を読み,映画を観ること
U 旅をすること
V 人とは真剣に付き合うこと

ちなみに,Tの「映画を観ること」は,多分に私の趣味に流されたものです。すみません。なお,非凡な想像力をお持ちならば,本を読むだけで十分であり,旅をする必要はないと思います。しかしながら,いかんせん我々凡人には,机上で知り得た世界と,実際に歩いてみた世界との間には,計り知れない距離があります。さらには,好奇心は,かなりの部分,見聞の増加関数と考えることもできるようで,旅をして,好奇心が駆り立てられ,その後,情報獲得作業に乗り出すということは,日常茶飯事です。それゆえ,Uも加えさてもらいます。

そしてここで再び,研究会の紹介で記載している文章を繰り返しておきます。

「なお,合理的個人を君たちの人格と一緒に,君たちのなかに住まわせることが,このゼミの目標なのであり,君たちの人格と入れ替えることが目標ではない。合理的個人は評価作業がとても下手な一種のロボットなのであって,思考という知的作業のなかで最もエキサイティングな評価作業は,君たちが全人格をかけてやるしか方法はない。そうはいうものの,評価作業は,いかなる学問も不得手としているので,経済学に対してことさらに落胆する必要もないと思う」。

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【質問9】 Feb 1999
> 1・2年の成績は入会選考の際に考慮されるのでしょうか。

成績は,良い方が望ましいに決まってますよね,やはり。
成績が悪い人は,それを補う長所あってこそ,成績が良い人と同じ水準に評価されてしかるべきでしょう。
ただし,成績だけが良ければ,それで良いと言うわけではありません。 普通にやっていたんだけど,賢かったから,思わず良い成績をとってしまったというのが,理想ですね。

悲しいことですが,成績だけで学生の能力をスクリーニングできるほど,大学の成績評価は完全ではありません。
かつては私も君たちのように学生だったわけですから, 良い成績だけを狙って姑息な手段を講じているずるがしこい人や,有意義な講義の参考文献に没頭していたために,成績は全体的にあまり芳しくなかったすばらしい人などは,成績表をみれば,ある程度見抜けると思います。

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【質問10】 Feb 1999
> 面接の際に政策アイディアを聞かれるのでしょうか。それとも、別のことを答えることになるのでしょうか。

関連質問へジャンプ〕〔このページのTopへ

 
【質問11】
 
> ホームページのQ&Aで、「余裕があれば数学、統計学、経済学を勉強しておく
> といい。」と、ありましたが、ゼミナールでは、どの程度の知識が必要とされる
> のでしょうか?私は数学が苦手なので、自信がありません。
 

どうも。
これらのものは,教え方次第だと思ってます。

決して落ちこぼれがでないようにやっていきますので,ご安心を。

それにしても,
春休みに,数学,統計学などを勉強しておくようにと言うのは,
不親切な言葉ですね,考えてみれば。

これらの科目に興味もないけど,律儀な学生が,まったく無駄な,そして眠い時間を過ごしてしまうおそれ大ですね。
このページでは,消すか,ここに書いていることをもう少しリファインしてアップしておきます。

そして,春休みは,小説を読み,映画を観,旅に出なさい,ということを強調しておきましょう。
ただ次のことは分かっておいてください。

福沢先生は,社会科学の教育のなかで数学を非常に重視してました。
1980年代はじめまで,法学部の入試には数学が必須でした。
諸々の事情で,法学部は数学を入試から外しましたが,
社会科学をやるうえで数学の発想が,重要なのは変わっていないと思います。

たとえばホッブスは,41歳のときにユークリッド幾何学にはじめて触れ,
彼の思想に飛躍を得ました。しかし彼の本にはどこにも式はありません。
また,福沢先生と同時代を生きた佐久間象山は「詳証術こそ,万学のもと」という言葉を残しています。
詳証術は,幾何学に相当します。

こういうエピソードは,いくらでもあります。

「もし・・・ならば,・・・となるであろう」というような,そういう脳味噌の使い方や,
疑いのない前提から,演繹によって重要な結論を導くというようなスタイルは,
やはり数学の論理に頼って磨かれる話です。

もっとも,ミクロ経済学を理解するための単なるツールとしての数学という側面も大切ですが,
これは公式の使い方をいくつか練習する程度で,どうにか乗り越えることができるレベルのものです。
とまぁ,いろいろと書きましたが,

数学は苦手だから,合理的個人の考え方を身につけるのを避けたいという学生が噴出しては,本末転倒。
実は,ミクロ経済学に登場する合理的個人の考え方は,数学や論理学そのものでして,
ミクロ経済学を勉強してもらいたい理由には,
これをやれば数学や論理学の長所が知らず知らずのうちに身につくよっということもあるわけです。

そうであるのに,合理的個人の考え方を身につける準備として,数学をやっておくようにというのは,変な話ですね。
ここは,教師の腕の見せ所です。法学部が数学を受験科目からはずしたのも,似たような理由からかもしれないですね。

とにかく,春休みは,思いっきり元気のいいことをやっておいてください。

〔数時間後〕

いま,数学の先生と話をしてきました。
数学が得意であっても,数式のもつ具体的なイメージがつかめない人は,世の中に沢山いるそうです。

彼が言うには,それまでに社会について思いをめぐらしていたホッブスだったから,
ユークリッド幾何学が意味を持ったと思うということでした。
なるほど,そういうものでしょうね。
シャーロック・ホームズに恋愛は語れないってことです。

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【質問12】 Feb 1999
> 卒論のテーマは,途中で変更することはできますか?

できます。これについては,少し,詳しく説明しましょう。この研究会の紹介では,研究テーマについて,つぎのように記しています。

「この研究会では批判精神が要求される。批判精神といえば堅苦しく聞こえるが,もしある状態に対して不満,違和感を抱いているのであれば,それで十分である。そして君たちが現状に対して,「こうすれば,今よりはましだ」と考えるとしよう。このアイデアが政策アイデアである。当ゼミでは,君たちが批判の矛先を向ける現状が存在する理由を合理的個人に考えさせ,君たちの政策アイデアが帰結する社会経済を合理的個人にシミュレートさせる」。

基本的には,君たちが批判の矛先を向ける対象そのものは,変更して欲しくありません。しかしながら,政策アイデアが変更されることを,私は内心,予定しています。というのも,「こうすれば,今よりはましだ」と,君たちが素朴に抱く政策アイデアが,いつまでたっても変化しないというのは,私にはちょっと信じ難いことだからです。自分の主張する政策アイデアを心から正しいと信じ込むことができる人は研究者を含めて,余程の無知か思いこみの激しいおっちょこちょいのどっちかだと私は思っています。ここで,12月の説明会で私が話した,「一私人の立場」と「一研究者の立場」について,再び説明しておきます。

私は,「一私人の立場」と「一研究者の立場」の使い分けを,意識することにしています。だいたいいろいろなことに対して,私は,「こうすれば,今よりはましだ」と思えるような,政策アイデアをもっています。それゆえ,私が望ましいと思う政策アイデアを実行してくれそうな政治家や,あるいは組織の上司に対しては,「一私人として」即座に支持する準備があります。しかしながら,「一研究者の立場」から言えば,「人が,ある政策に対して信念を持ち得る」ということが,不思議でなりません。

政策に信念をもつためには,政策によって達成される目標と,その目標を達成するための手段との両方に対して,確信を持つ必要があります。ところが,人が,正しいとかあるいは望ましいと信じることができる目標というものは,いろいろな経験を踏むなかでぐらつくものです。仮に目標が定まったとしても,ある手段がその目標を達成することができるかどうかは,よほどの無責任さがないと自信をもって明言することはできません。ある目標を達成するつもりで,ある手段を講じたらば,予期せぬ結果になってしまったというようなことは,いつも起こり得ることです。政策を評価する価値基準のぐらつきをゼロにするとともに,目標と手段との工学的関係の不確実性をゼロにすることは,「人知の限界」を超えた作業なのであり,こうした限界が存在することは仕方のないことだと,私は諦めています。そして人知の及ぶ領域をほんの少しでも拡張するために,研究者は存在するとも思っています。君たちには,研究会に所属する2年間,「一研究者の立場」に徹して,研究テーマに取り組んでもらいたいと願っています。研究の途中で,当初抱いていた政策アイデアが修正を余儀なくされることは,当たり前のことです。「君たちの政策アイデアが帰結する社会経済を合理的個人にシミュレート」させたら,「あれっ,日本がつぶれてしまった!」となってしまえば,方向転換すればいいのです。

また,私が「一研究者の立場」から政策アイデアに触れる時は,「 〔将来どうなるのか,本当のところは責任持てないけど〕 現段階では,???政策が, 〔今の私にとっては〕 望ましいと思われる政策である。 〔ただし,数年後も同じことを言っているとは思わないでくれ〕 」という,〔 〕内の言葉をついつい口にしてしまうことを,覚えておいてください。人知の限界はいたしかたなく存在するのであり,この限界を意識しない「一研究者の立場」としての発言の方が無責任だと,私は思ってます。それゆえか?,「知り得ることを知り尽くし,知り得ないことを敬虔に敬う」という,20歳前後に目にしたぎょえてさんの言葉が,その後も時々,思い出されます。

関連質問へのジャンプ〕    研究会の学生に政治活動を禁止する理由について
関連質問へのジャンプ〕     政策を評価する価値基準について
関連質問へのジャンプ〕      研究テーマ選定について
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【質問13】 Feb 1999
> 研究会の学生に,政策アイデアを実現するための政治行動を禁止する理由は?

これも日吉での説明会で話したことを,再び述べます。

まず,状況Xを状況Yに変えるための行動の質量aは,行動主体のもつ権力ポジションpに依存する,と私は考えています。ゆえに,権力を持っていない者が,採りうる行動は,実にたいしたことがない,と思っていることを確認します。

ところで,学生時代から,私は,学生という存在を「エネルギーと時間はあるが,やることと金がない存在」と定義してきました。最近は金について若干は異なった定義が必要かもしれませんが,まぁ,大勢の学生にとっては大きな違いはないでしょう。このように私が定義する学生という存在は,まったくもって権力をもつポジションから程遠いところに位置する集団です。それゆえ,学生が,政治的な行動をとろうにも実にたいしたことしかできず,その行動コストに比べてベネフィットは少なすぎると思ってます。

その一方で,私は知恵――そして知恵から生まれる政策アイデア――は,時に力となり得ると思ってます。大方の知恵は無力ですが,すばらしい知恵は,時に,発案者の権力ポジションを引き上げる力を持っています――ただし,知恵が力となる完成形態は,発案者の名前が消えて,政策アイデアが世の中を一人歩きする状況だと考えていることも付け加えておきます。こうした事情ゆえに,学生の時は,大人しく研究に時間を費やし,同時に知恵が力であることを,少しでも理解することに時間を費やす方がましだと考えています。

したがって,君たちには,「君たちが批判の矛先を向ける現状が存在する理由を合理的個人に考えさせ,君たちの政策アイデアが帰結する社会経済を合理的個人にシミュレートさせる」というただ二つのことのみを要求し,「政策アイデアを実現するためには何をすべきか」とか,はたまた「君にもでき得ることを,今すぐ実行すべきだぁ\(゚o゚)/」というような10円の役にもたたないことは,意図的に外しているわけです。

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【質問14】 Feb 1999
> 春休みに,余程お暇な人にお勧めする本は?

春休みに,暇な時間があるのでしたら,福沢諭吉『福翁自伝』,ハイルブローナー『世俗の思想家たち』でも読んでおいてください。

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ミレニアムバージョン(2000/01/23)

自分がどういうことに興味を抱くのかを,じっくりと考える時間に使っておいてください。たとえば,入ゼミの面接の時に,尊敬できる人についての質問が,当然あります。この時,ちゃんと答えることができるように,その人物について,数冊の本を読みこなしておくというような,そんな時間の使い方をしてくれれば,私としては嬉しいかぎりです。 

【質問15】 Feb 1999
> 経済学の「合理的行為者モデル」という前提に対して,「
本当に人間とは合理的に活動しているのだろうか?」
> という疑問が出されていると学びました。これまでの合理性に重きを置いた考え方に、
> 新たな「問いかけ」がなされていることは確かではないでしょうか。先生は、これについてどう思いますか。
> そして、合理的行為者モデルや、果ては経済学がどのようにこの「問いかけ」に対して答えていくのか。
> それが、これから「経済学」を何らかの形で学んでいこうとする私の今一番の関心ごとです。
> ぜひ、先生のお考えを聞かせて下さい。

私が目にする生身の人間は,経済学のなかに登場する,「合理的個人」と同じではないでしょう。それゆえ,私個人は,この合理的個人の修正を図る,the bounded rationalityや複雑系経済学に関する研究に興味がありますし,センなどによる「合理的個人」を核としたミクロ経済学への批判からも多くを学んでいます。

なお,私がいろいろなところで書いている文章の端々から,私が,合理的個人の考え方を無批判に受け入れていないことを察してもらえれば幸いです。とくに,合理的個人の「評価能力」は,まったく信頼していません。さらに,私が,わざわざ「応用ミクロ経済学」という言葉を使っているのは,収集獲得すべきデータとして,経済データのみならず,ひろく政治データ・社会データをも重視しているからであることも理解してもらえれば嬉しいです。

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【質問16】 Feb 1999
> 先生は、読書をとても重要視されていると感じました。私も読書の大切さをしみじみと感じています。
> しかしながら、小さい頃は本が嫌いで、いままで本を読む習慣がなかったせいか、なかなか思うように多く
> の本が読めません。よいアドバイスがあれば、お聞かせください。

良いアドバイスというものは別にありませんが,一言。
だいたい,人間は嫌いなことはやらない方が望ましい。
 
それに,本なんか読まなくても立派に生きていけるわけですから,
無理して本なんか読まないほうがましだと思います。
しかしながら,面白いことは多ければ多いほど,世の中,楽しく生きて行けると思うし,
面白い本を数多く読むことができれば,楽しいことが増えるはず。
ということで,面白くない本は無視して,面白い本しか読まないという方針がベスト。
ところが,どの本が面白いかどうかは,読んでみないとわからない。
 
そこで,一つ提案。
面白い本を求めて,いろんな本を眺めてみる。
始めの数ページを眺めてみて,面白くなかったら止めて,つぎの本にとりかかる。
もしかすると,君が面白いと思えるジャンルを見つけることができるかもしれない。
もしそれができなくとも,めちゃくちゃ多くの本について始めの数ページならば読んだことがあるという,人間になれる。
そういう変人には,不思議な魅力が備わってくるものです。
 
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【質問17】 Feb 1999
> 先生の「最近の関心事」を,大変興味深くよませてもらいました。
> ・・・ところで,先生はなぜ,社会保障や税制を研究されているのでしょうか。
> もしよろしければお聞かせください。

あはっ,照れくさい質問ですね。でも,お答えしましょう。
実は,三つの頃から社会保障や税制が好きだったからです。

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【質問18】 Mar 1999
> 先生は【質問13】のなかで,「知恵は,時に力となり得る」と記されています。
> ここでおっしゃられている知恵とは,知識や情報と同じと考えてもよろしいでしょうか?

面白い質問ですね。
回答を先に言えば,私は,知恵は,知識・情報とは異質なものだと考えています。といっても,知識と情報との違いについては,まだかなり時間をかけて考えなくてはならないと思っています。それゆえ,ここでは,知恵と知識の違いについて述べることにします。

知識の理想形態は,できの良いデータベースや,何十冊にも及ぶ百科事典でしょう。しかし知恵の理想形態は,物に譬えることはできません。
知恵の理想形態を強いて言えば,カエサルや,シャーロック・ホームズのお兄さんのマイクロフトの頭脳から涌き出るアイデアと言えるでしょうか。
また,研究の完成形態は,百科事典などではなく,研究は知恵を身につけるためにやりたいものだっと,思っております。はいっ。

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【質問19】 Mar 1999
> 日吉の「産業経済論」で先生にお会いして、先生のメリハリのあるお話しの仕方や、
> 講義や学生に対する態度に好感を持ちました。でも、その時点では、私は他に志
> 望のゼミをほぼ決めていたので、来年度から先生のゼミが始まることすら知らず、当
> 然の事ながら、ゼミの説明会にも行きませんでした。そこで、先生のホームページにアクセスしてみました。
>
> ざっと一通り目を通してみて、「熱心な学生がたくさんいるんだなあ…」と正直
> 言ってかなり驚きました。今から卒論のテーマを考えている人が
> いることや、研究内容について具体的な質問をしている人がいることを知って、「本
> 当に同じ学部の2年生なのか!?」とあ然としました。
>  
> 先生の研究テーマである公共政策については、ホームページを読んでみてもはっき
> り言ってよく分かりません。「合理的個人」と言われても「何の事やら…」といった
> 感じです。逆に、たいして専門で習ったわけでもないのに理解し
> ている人がいることが信じられないくらいなのです。「教えて」もらっていなければ
> 何も知らなくても良いとまでは思いませんが、ゼロに近い状態から「学ぶ」ために今からゼミに入るので
> はないのでしょうか?こんな考えは甘いでしょうか?

別に,甘くはないでしょう。
よぉく読んでください。質問する段階では,誰一人,本当には理解していないことがわかります。
私自身が,「合理的経済人」(もしくは,「合理的個人」)の冒険活劇として経済学を教えていくこと,
さらには,人間の幸せとは何なのか,人間にとって望ましいこととは何なのかという,
口に出すと気恥ずかしくなるようなことを絶えず自分で考えてもらうために,
「合理的個人」は評価能力に欠けたロボットだと明言しながらミクロ経済学を教えていくこと,
こうした教育のメソッドを思いついたのは,君たちの年齢から経つこと十数年も後のことです。
そして,このメソッドは私のオリジナルなのですから,私のゼミナール紹介のような形で経済学が教えられている場所が,
他にないのは当たり前のことです。
ちなみに,ゼミナール説明会では口にしたのですが,
私自身は,普通は,伝統にしたがって「合理的経済人」,もしくは,これを茶化して「エコノ君」と呼んでいました。
「合理的個人」というのは,ゼミナール紹介を書く時に,「エコノ君」じゃ,ちとまずいよなぁと思って,講義要綱むけに作った言葉です。
私にとっては,経済学とは,少々おっちょこちょいなエコノ君の考え方の集大成であり,
真理とか永遠普遍の理法がそこにあるなどとは,ちっとも思っていません。
それゆえ,しばしば人が口にする,「経済学的にみれば・・・が望ましい」という大げさかつ気恥ずかしい表現を耳にすると,
私には,「エコノ君に,魂まで乗っ取られたアホちんだな,こいつは(6_6)?」と思え,何やら可笑しさを感じます。
 
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【質問20】Mar 1999
 
> ゼミの願書提出まであと2週間となったというのに迷っているのもどうかとは思う
> のですが、先生のゼミを知ってから、それまで他のゼミに心を決めていた自分の中
> で、少し揺れ動くものがあるのです。研究内容ももちろん大事だとは思うのですが、
> 残りの大学生活の重要な部分を占めるであろうゼミに関しては、それだけでは決めら
> れないような気がするのです。先生にしても、仲間にしても、ゼミの生活を左右する
> 大切な要素であることは確かですよね?でも、90分の講義だけで先生という人を
> 判断することは出来ませんし、ゼミに入る前から学習意欲の旺盛な学生と何も分かって
> いない私がうまくやっていけるのかも分かりません。そこで、少しはアドバイスをい
> ただけるかもしれないと思ってメールを書いてみることにしたのです。
 
大学1年の時,経済学の教科書を,2年の先輩から譲り受けました。
2年になるとき,その教科書を,後輩に譲り渡しました。
その後,ひょんなことから,大学院入試の受験をすることになり,
準備のために後輩から教科書を返してもらいました。
 
人は,自分がやってきたことをあまり否定したくないものです。
私は,「入会希望者への要望」として,知的好奇心の量の多さのみを記しています。
 
知的好奇心旺盛だけれども,2年生時ではなお知識がとても未熟な人・・・何も問題はないでしょう。

なお,私は,「ゼミは友達や仲間を作る場所」と思いませんし,
こうした学生さん受けする言葉を否定しつづけ,「ゼミは学問をする場所」と言いつづけていきます。
その理由は簡単。友達作りが目的となる集団は,白けた雰囲気が漂い,その集団内の人間の紐帯は軽薄になるからです。

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【質問21】 Mar 1999
> ゼミの選考方法は面接ということですが、どんな内容が問わ
> れるのか、またその他にも細かいポイントなどを教えてください。どうかよろ
> しくお願いします。

このメールには,つぎのような返事を出しました。
 
しかし推敲の末,いまは返事の内容を修正しようと思ってます。
人数によって,聞く内容も変わると思いますが,
日吉の説明会で,言ったことはいずれにしろ質問したいと思います。
それは,「君がいることで,他の人たちには,どのようなメリットがありますか?」ということです。
たとえば,経済学や数学が得意という奇特な人は,他の仲間には,とても重宝します。
また,ノートを取るのが得意だから,きっとみんな喜びますとか,
体育会でみんなのまとめ役や世話役をしているので,自分がいると重宝するとか,
自分がいると宴会が盛り上がってしまうのですがいかがでしょうかなどなど,
とにかく,勉強や遊びのことも含め,硬軟いろいろな面から,
自分をアピールする方法を,考えておいてください。
いずれの分野にしろ,一人か二人いれば十分なわけで,
 
この軸ならば,自分は3番か4番目にしかなれないと思う人は,
他のアイデアを考え出す方が,得です。
――――
この文章を,もう少し推敲した後――おそらく明日か明後日に,
Q&Aにアップしますので,そっちの方も見ておいて下さい。
 
さて,一晩考えてみました。
 
上のような自己アピールの方法は,関西から西の人には得意だろうけど,
東北から北の人には,苦手そうにも思える。
 
私は,雑多な集団ができればと願っているので,それではつまらなさ過ぎる。
それに,「こうした自己アピールは苦手としてます。誰の役にも立ちませんけど,
勉強したいのです」などと,真摯な姿勢で言われたら,
ほろりときてしまいますね,確実に。
どういう面接をしようかと,いま考えています。
 
まぁ,そんなに多くの学生が,訪れるわけではないでしょうから,
一人一人に見合った世間話が,中心になるだろうと思っているのが,正直なところです。
ところで,雑談を一つ。それは,何を質問するかということを明確にすればするほど,
私が君たちから得たい情報が,異質なものになるという話です。
私は自分が学生の頃から,毎年,奇妙に思うことがあります。
 
就職活動の時期になると,学生さんたちは,へんてこりんな漢字の読みなどの常識がまとめられた本を読んで勉強し始めます。
その理由は,就職活動で常識問題が問われるからだと思います。
 
しかし,準備をすれば,それは常識ではなくなります。
ということは,そこで問われているのは,いわゆる常識ではありません。
企業側にしても,いまの学生さんたちが,漢字で書かれたお花の名前
 
――常識問題として出題される定番――などを常識として熟知していることを期待してはいないでしょう。
 
問う内容を明確にして,準備期間を与えれば,問うた内容から得られる情報が変質してしまうのです。
そのような場合には,変質してしまった情報を,はじめから問うていると考える必要があるでしょう。
 
ここの例では,企業側の関心は,常識が問われていることがわかっている時に,
それに対処するかどうかという常識的な姿勢の有無にあると考える方が妥当でしょう。
私もこの常識的態度の有無には関心があります。
しかしながら,この程度の常識的姿勢は,このゼミを志望しようとする君たちには備わっている,と私は楽観視しています。
 
なぜならば,私は講義でも,ゼミ説でも,そしてこのホームページでも,
一度も,学生さんに阿ったり,このゼミは楽勝ですというニュアンスが伝わる発言をしたことはありません。
むしろ,時代認識を見誤っているのではないかと思われるほどに,その逆のことばかりを書いているからです。
 
今の時代,数学,統計学が禁句あつかいされていることは,十分に分かったうえで書いています。
それにもかからわず,あえてこの研究会に入りたいと決めるような不思議な人は,
たぶん普通以上の常識的姿勢を備えており,私の苦手とするような輩ではないだろうと予測しています。
まぁ,君たちにとっても私にとっても,お互い無難なところということで,
 
この研究会の志望理由などから,話しはじめましょう。
君たちの話す内容に反応して,いろいろと質問し始めるかもしれませんが,
その時は,よろしくお答えください。
 
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【質問23】 Mar 1999
> ・・・

> 〔12月のゼミ説の時に〕「ゼミのメンバーがお互い基礎的な分析ツールを共有しあい、・・・」という主旨の話しを聴いて、
> それを勘案して先生のゼミに決断する事になった次第です。
> ・・・
> どの程度のツールが共有しあえるか、
> どのようにツールを共有するのか、
> 御面倒かも知れませんが、もう一度解説していただけないでしょうか。

研究会の基本方針及び活動」にあるサブゼミのテキストの輪読,および三田祭へむけての共同研究を通して,ツールの共有を目指します。
 
また,つぎのゼミナール紹介の文章にあるように,アプローチも共有してもらいます。

君たちが現状に対して,「こうすれば,今よりはましだ」と考えるとしよう。このアイデアが政策アイデアである。
当ゼミでは,君たちが批判の矛先を向ける現状が存在する理由を合理的個人に考えさせ,
君たちの政策アイデアが帰結する社会経済を合理的個人にシミュレートさせる。

ところで,おそらく君が知りたいことと関連する余談を一つ。
昨今の,インターネットの普及は,高等教育の在り方を大きく変えつつあると思います。
たとえば,三好万季(中学三年生)「毒入りカレー殺人犯人は他にもいる」『文芸春秋』98年11月号(PartU,99年2月号)
を読んでみて下さい。「インターネットで追跡する毒入りカレー事件」の紹介文も。
かつて存在したであろう情報独占型教師や事典型教師の存在意義が,揺さぶられていますね,確実に。
考えるための「核」となる部分の教育は担当します。応用部門はインターネットおよび様々なネットワークを大いに活用するつもりです。
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【質問24】    6 Nov 1999
> 社会保障、所得再分配、公共政策、政策アイディアシミュレーションなどの関係がいま一つつかめません・・・。

この質問には,卒業論文のテーマ選定までの流れを具体的に示すことにより答えていきたいと思います。研究テーマの選定方法については,つぎの流れで進めます。

ルートT
入ゼミの前にテーマを決めている人は,事前に連絡してもらいます。そこで,そのテーマが,私の関心をひき将来性のあるテーマかどうかの相談にのります。テーマとして成立する場合は,そのまま春休みくらいから研究にとりかかってもらいます。テーマがそぐわない人には他の研究会を勧めるか,テーマの再考をしてもらいます。昨年は,他の研究会を勧めた人も若干名いました。

ここで分かっておいてもらいたいことは,テーマは社会保障や税制と,一目でわかるほどの繋ながりをもつ必要はないということです。一見すれば私の専門とはまったく関係のないテーマにも,わたくしは関心を示すかもしれません。なぜならば,一つの研究は,違った領域の研究と触れ合って化学反応を起こしながら発展する場合があるからです。君たちが持ち込んだテーマが,私のアイデアに,将来的にはヒントをもたらすことになるかもしれないと思える場合には,私は大いに関心を示します。

ルートU
テーマはまだ決めきれないけど,この研究会に関心があるという人は,入ゼミ後,いつでも,そのテーマが私の関心をひき将来性のあるテーマかどうかの相談にのります。テーマとして成立する場合には,即座に研究に取り掛かってもらいます。そぐわない場合には,テーマの再考をしてもらいます。

ルートV
三田祭が終了して,12月に入ってもテーマを絞りきれていない人には,私が研究テーマとして面白そうな候補を毎年,10個ばかりあげますので,そのなかから選んでとりかかってもらいます。またこの時点で,「君には,これをやってもらうよ」と,テーマを個人的に割り振る場合もあります。というのも,12月の段階では,誰がどのようなテーマに向いているのかは,ある程度分かっているからです。

さて,どうしてこういうテーマ選定方法をとるのかを説明します。私の専門は,社会保障と税制です。ところが困ったことに,君たちが考える「社会保障と税制」のイメージと,私が考えるイメージとの間には,驚くほどの隔たりがあります。私にとっての社会保障と税制の守備範囲は,人間の幸福とは何か,経済思想や経済学の方法論およびその歴史,特殊法人はなぜ存在するのか,国家財政や財政投融資の問題,病院・保険・製薬業界の経営分析,さらには非営利組織の経営分析,年金から派生する金融市場の問題,人口問題,景気対策,労働市場政策,これに関連する教育政策,政府とは何か,その国の形を創り上げる要因はいったい何か,日本の政治の特徴はどこにあるのか,なぜ世の中には結婚という制度があるのか,この制度は継続するのか,分配面での利害が衝突する場合には民主主義はどのような調整機能を果たすのか,なぜ地方分権を進めることができる国とできない国があるのか,いったいぜんたい政治権力とは何か,いまイギリスの政治経済でいったい何が起こっているのか,なぜ北欧はああも高福祉社会となりアメリカではそうならないのか,北欧の経済は無事運営できているのか,などなど,君たちからみれば,想像できないほどの広がりをもっています。だいたい世の中のできごとは,社会保障と税制とかかわってきます。そしてこれがまた面白いことに,ほとんどのテーマを,ミクロ経済学を基礎として,分析可能だったりするわけです。

こうした君たちと私の認識ギャップが生まれる一つの理由は,社会保障とか福祉という言葉がもつ多義性(多くの意味をもつ特性)にあります。たとえば福祉は英語ではWelfareです。厚生経済学におけるWelfare EconomicsのWelfareですし,福祉政策はWelfare Policyとなります。このような理解をみんながしてくれるのであれば,面倒な問題は起こらないのですが,日本ではそうはいかない。選挙で「福祉の充実」を口にすれば,有利になる場合があると思えば,逆に,街の人が「福祉の世話にはならん」と息巻いている場合は,福祉はまた違った意味をもつことになる。社会保障も同じような状況で,福祉とか社会保障という言葉は,日本ではいまだ認識が混乱している不確定な概念です。さらには,君たちは,経済学の永遠のテーマが,Welfareを高めるための手段として市場と公共のどこに境界線を引くべきかという問題であり続けてきたことも知らない。そして,この問題が,どのような広がりをもつのかも知らない。これは,世の中に出回ってはいる「社会保障」や「福祉政策」関連の本が,問題の表層しか捉えようとしていないことにも原因があります。
こうした背景があるので,君たちの研究テーマは,いずれのルートを経るとしても,私との相談のうえで決めてもらうことになります。ここで再び分かっておいてもらいたいことは,たとえば,医療の問題を扱うとします。そのとき,君たちの書いた原稿の参考文献欄のなかに,「医療」という文字がある本や論文しか並んでいなかったとします。そのとき,私は,その原稿を非常に低く評価して,論文という崇高な言葉では呼ばないことにしています。医療の問題は,もっと大きな広がりをもった問題です。そのことに気づかずに,矮小化された視野でしかものを考えなかった原稿は,とてもつまらないものです――少なくとも私にとっては。付け加えておきますと,いまのところ,わずかの人しかその意義に気づいていないのですが,私のなかでは,ゼミ員に対する基礎教育として,ミクロ経済学のテキストの輪読と同じ程度,あるいはそれ以上に,「歴史を動かした人・思想・理論」に関するエッセイ書きを重視しています。「考える」ことを職業とした人たちの人生を知り,「考える」と言うことはこういうことなのかと面白がった経験を生かして,「医療」について考えはじめても,いろいろと突拍子もなく面白いことを考え始めてもらいたいと,期待しているわけです。正直言って,みなさんの脳みそのなかは,おとなし過ぎる。やっちゃいけないことはあるだろうけど,考えてはいけないことはありません。

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【質問25】 12 Nov 1999
> 茶パツで良いですか?  by man

似合う?