ガルブレイス『バブルの物語』

玉津くん 日本の証券価格、土地価格の暴落に始まるバブル経済の崩壊は、倒産や失業などの多くの社会問題を生み出した。しかし、バブル経済のときはバブルがはじけるとは思ってもいなかったのである。我が家を例にあげることにしよう。私は小6のときまで飛行機というリッチな乗り物に乗ったことがなかった。ところが、我が家にもバブル経済の恩恵が訪れ、2年間の間に海外旅行等で、十数回飛行機に乗ることとなった。だが、日本経済のバブル崩壊とともに、我が家のバブルは崩壊し、私はそれ以降飛行機に乗ったことがない・・・。あの当時の我が家の生活は今では考えられないバブルな生活であったが、家族の誰一人としてバブルだとは思わなかった。力のある日本経済の繁栄によるものだと信じていたし、日本中の誰もがそう思っていたのではなかろうか、それがバブルである。
世界で最初のバブルといわれる、オランダのチューリップ価格の異常な高騰は、あまりにも単純でばかげていると思った。しかし、その後のサウスシー・バブル、1929年、1987年のウォール街での株価大暴落、1990年前後の日本での株価および地価の大暴落は、実はチューリップの例と全く同じ原理によるものだったのである。NTT株も、光通信株もチューリップと同じなのである。投機の対象となる証券市場などにおける価格は、そのものの価値ではなく将来価格の上昇あるいは下落が予想されるかという、人々の予想によって決まっている。人間は感情的なので、価格が上昇傾向にあれば楽観的にこの状態が続くと信じて価格が上昇していくが、一度下落に転じると極度に悲観的となり大暴落となる。『バブルの物語』を読んで、投機の対象となる市場の性質がわかっただけでなく、人間の性質が分かったような気がする。バブルははじけるまではバブルとは気づかない。このことを肝に銘じて、将来、投機というギャンブルに参加したい。
嶋田くん 「人は最も幸福な時に最もだまされやすいものだ。」最近、本を読んでいるなかでピンと来たもののひとつである。バブルの物語を読んでいくにしたがって感じることは、これは単に経済的バブルに対しての警笛を鳴らしているにとどまらず、もっと違う人間の本質的な資質についてシグナルであることである。大学3年になってから、自分は経済学を勉強していく上で感じていることが実感として今回のバブルの物語を読んでいるうちに把握することができたと思う。バブルが起こっているなか、それに利権のかんでいるものは、自分の権益を守るため、それに対して警笛を鳴らすものには絶対的な非難を浴びせ、社会的な悪であるというような状況を作り出し、そのものの意見を封じるのである。たとえそれがどんなに正しかったとしても。確かに社会科学において絶対こうなるという予測というものは当てにならないが、現象について事後的に予測が正しかったと判断されるまでその予言者は変わり者であるというレッテルを貼られてしまう。何がいいたいのかというと、世の中の大勢のなかにおいてその大勢が明らかに間違っている、もしくは、望ましくない状況に向かっていることに対して警告を鳴らすものというものは必ず弾圧されてしまう運命にあることである。ファシズムもしかり、経済もしかりである。また、伝統的にここでは金貸しのものが挙げられているが、社会的に権力を握っているものはいつも他人からの敬意を持って接せられるので自分はなかなかできる人間であると勝手に決め付け、自信過剰となり、自己反省という最も人間にとって必要不可欠な要素がぬけていることが多いことが指摘されている。なんか、先にも述べたが、久々に「そうだそのとおりだ!」とうなずける内容がこの本に集約されておりすっきりした感じがする。
斎藤さん そもそも、人類は世代から次の世代へと文化を継承していくことが可能であったがゆえに、ここまで自然界において勝ってきたのである。歴史の教訓を知らないものは、過去の歴史を繰り返すように運命付けられている。そこには進歩はないであろう。しかし、金融史上の記憶ほど忘れられがちなものは珍しい。ここでは人類は、動物と同じように同じ過ちを繰り返すのである。
それは本書で言うところの陶酔的熱病というもののせいであろう。投機の特徴は驚くほどいつも同じであって、おもしろいほど簡単に説明できる。すなわち、投機が陶酔的・熱病的な楽観ムードを伴って展開したあげく、ついには破局がきてバブルが破裂するにも似て急激に崩壊し、悲惨な結末になるのである。こういった状況を防ぐには警戒心を強く持つこと以外にはありえないのであるが、警戒心を持つチャンスは大きくないとガルブレイスは言っている。なぜなら、投機のエピソードのなかには陶酔的熱病が組み込まれており、それがあるために、現実に起こっていることの本質を真面目に考えてみることができないような状況になっているからである。唯一の矯正政策は高度の懐疑主義である。すなわち、あまりに明白な楽観ムードがあれば、それはおそらくおろかさの表れだと決めてかかるほどの懐疑主義である。このことは「信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し」の格好の例であろう。
こうした投機のエピソードはまた生まれるだろうし、そのさきにはもっとあるだろう。というのも、ガルブレイスは本書において投機で儲けようとする人々に警告を与えているのであるが、ガルブレイス自身でさえも投機に対してノスタルジア、憧れにも似た特別な関心を持っているように思われるのだから。これほどまでに陶酔的熱病に打ち勝つことは困難なことなのか。
山田さん 日本がちょうどバブルと浮かれていた頃、私は小学校高学年から中学に入る頃あたりだったので、日本が、あるいは自分が「好景気の中にいる」という記憶はない。(親が公務員ということもあるからかもしれないが。)なので、私の知り、生活している環境は気付いたときからこのような「低迷状態」なわけである。(といっても、この状態しか知らないのでこれが「低迷」、「不況」だということすらいまいち実感がもてないのだが。)
そんな中で育ったことと関係あるのかないのかわからないが、私の中には「金融」に対する不信感がある。昨今の金融機関不祥事や、利子があんなすずめの涙ほどなのに手数料はちゃっかり取っている銀行に対する怒りから生じた不信感、というよりも「金融」という考え方そのものへの不信感である。
授業で銀行の「信用創造」というのを習ったが、どうも腑に落ちない。「金融」というシステムがあったからこそここまで資本主義社会が発達してきたのだろうということはわかるが、なぜ「信用創造」がこんなにも受け入れられるのかが、私の感覚では理解できない。
この本でガルブレイスは、何度となく投機が繰り返され、そして崩壊するのに、その度多くの個人の責任が問われないことが同じことを繰り返す原因にもなっている、と警鐘を鳴らしている。彼は、投機に参加する人は2タイプあると述べているが、その第2のタイプの、投機の上昇気運に便乗して、終わる前に手を引くというのは私にも理解できるのだがこのタイプは少数派とあったのが驚きだった。多数派の第1のタイプは、市価は際限なく上昇すると信じているみたいだが、歴史上何度となく、投機熱があがった末に暴落、ということが繰り返されているのになぜそう信じれるのだろう?しかも大勢の人が。「今度は今までとは違うぞ」と思うようだが……よく考えてみたら、他のことで私でもそう思うことがあることに気付いたから、人間とはそんなものだ、といったところなのだろうか。
馬場さん  私の勝手な解釈だが、ガルブレイスも「世俗の思想家たち」に出てくる経済学者と同類なのではないかと思った。ただ違う点は、現代に生きる人であることである。彼は“異端者”ではないようだが、自分の立場が「経済学の公認の立場とはある程度矛盾している面がある。」と言っている。これだけではどういうことを言っているのかわからないが、彼がマーシャルの「経済学者は喝采を受けることを何よりも恐れるべきだ」という言葉を引用していることによって、彼もまた経済危機を誰よりも憂い、それを阻止すべく世間に呼びかけている人物だと私は知ったのである。
 私が興味を持ったのは投機に共通する要因のところで、金と知性が一見密接に結びついているかのように思われている、というところである。なるほど確かにお金を持っていればいるほど成功する確率が高く、その成功の土台となった知性も優れていると考えがちである。私もそうであった。しかしよくよく考えてみると、冨を得るには半分以上運も必要だということもなんとなくわかっている。だから冨=知性ということはないのだ。これさえわかっていれば、投機にのって陶酔的熱病にかかることもなさそうだが、そう簡単にはいかないものらしい。こんなにも歴史が人間の愚かさを露見するような現象を繰り返し起こしているのに、陶酔的熱病を撲滅することはできないのは、経済の構造が“予測”を前提に成り立っているものであるからであろう。人間は将来を考慮に入れて行動する。しかし経済に関しては、予測が外れることが多い。それはそうである。経済活動を行っている人間自体が予測不可能な存在であるからだ。こうした考えがいつの時代も「大多数」を占めてしまっていつも同じことを繰り返しているのかもしれない。この辺りは人間には欲の限度というものがない、という点によく表されていると思う。経済活動には陶酔的熱病はつきもの、と諦めてしまうのはだめなのであろうか。
小南さん  私は、当時小学6年生であったと思う。親たちがある時、「とうとうバブルがはじけた。」と落胆しながら話していたのを聞いた覚えがある。その時は、株やバブルというものがなんであるかさえもわからなかった。それから数年たち、どうやらバブルというものは、株や土地の値段が上がることの予想で、人々がそれを買うようになり、そうすることで又値が上がり、さらに多くの人がそれを買うようになる…ということの繰り返しであることがわかってきた。しかし、その時にはすでにバブルの残骸が日本にもたらした大きな暗い影響をも同時に肌で感じていた。そして、「なぜ、いずれ終わりが来るとわかっていることに 人々は夢中になって金をつぎこんだのだ?ばかみたいではないか」という思いを抱かずにはいられなかった。  本書を読んで、私の直感めいた考えは、間違ってはいなかったのだということが確かめられた。投機のとりこになった人々は、富が得られ、自分に知性があるのだと信じ込む。誰も将来を疑う者はいない。何しろ、投機の対象の価値はどんどん上がってゆくのだから。しかし、やがて必ず暴落の時がやってくる。だが、先頭を切ってそれを仕掛けたほんの数人以外の、後から追随した多くの人々は、何の責任も問われない。それが起こった要因も市場の中にではなく、外部に探し出される。そしてまた一世代後には同じような過ちが繰り返される。これが、本書の言いたかったことだ。それなら、ガルブレイス自身、日本の将来はどうなると見ているのか、聞きたかったが、彼は予測はしない。逆に彼は問い掛けてくる。「次の投機はいつ来るだろうか?それは何について起きるだろうか?」。私が頭の中で考えようとした瞬間、間髪をいれずに彼は言う。「答えようとする人は、自らの無知がわかっていないのだ。」と。彼の鋭い指摘には完全にやられた、という気がした。  しかし、彼の言うように、歴史は繰り返す。この平成の大不況がやがて過去のものになった時、再びまた、日本に投機のユーフォリアはやってくることは確実だろう。その時少なくとも私は、愚かな人にならないように、自分のスタンスを持って、日本の経済の中に立っていたいと思う。
奥川くん この本に首尾一貫して書かれていることは、投機に対する陶酔的熱狂は一定の間隔を置いて世界に訪れ、市場はその際に発生する失敗をほとんど記憶しないということと、投機で成功している人間は自分が金融的洞察に優れており、逆に遅れを取った人物は成功した人物よりも愚かであると勘違いしやすいということではないだろうか。
前者に対しては全くその通りだと私は感じる。実際、市場を長期的に観察すると好景気、不景気の波が交互に市場を襲っているし、株式に対する興味・関心も少しずつ蓄積されていき、ある日突然、暴落を迎えるというのは何度も繰り返されてきた現象だろう。それにも関わらず、人は投機をやめようとしないし、企業側もそういった投機無くしては成り立たない。現在の日本はインターネットを使って手軽に株式が買えるようになり、市場での失敗を忘れ、投機熱が再び高まり出しているように思えるのは私だけだろうか。
次に後者であるが、私はほとんどの人はそうなのだろうが、これが全ての人に当てはまるとは思えない。現在、投機で成功している人達はどうであるかわからないが、過去に投機で大成功を収めた人達は実際にいるわけだし、そう言う人達にしても全てがそうであったのではないかもしれないが、やはり金融的才能に恵まれていたのではないだろうか。“一部の真の天才を除き”、投機で成功している人間は自分が優秀であるという錯覚に陥っている、という言い方が正しいのではないだろうかと感じる。
最後に、今まで経済学に関する本というものは難解でもあり、洋書の原文をとりあえず日本語に訳してみました、というような前後の脈絡のわからない文章が多かったりで、敬遠しがちであったが、今回のガルブレイスの「バブルの物語」はその点で、私の考えを覆してくれたと感じる。正直に今回の本は読んでいて面白いと思えたので、そのことは私にとって大きな収穫であったと考えている。
中嶋くん この『バブルの物語』を読んでみてまず言えることは、結局オランダのチューリップバブルから始まり自分の父親も犠牲者(?)として絡んでくる身近な日本の不動産バブルまで時代は違えどその中身にさほどの大差はない。ガルブレイスが言うように金融上の記憶はすぐに忘れ去られてしまうと言うのはどうやら間違いないらしい。というか忘れると言うよりも人間誰しも、特に素人ならば目先の利益に目が言ってしまうのも当然だろうか。しかし結果だけを見れば要するにこういうことだとも言える。「楽をして(この場合投機)金を儲けようとする考えは甘い」ということを神が教えてくれた。どの例を見てもガルブレイスが言うように「暴落の前に金融の天才」がいた。そして何の知識もない一般人達が投機に走った。暴落を予期した頭の切れるごく少数の人間が早めに手をひいた。それを見てみんな手を引こうとするがもう遅い。暴落が起こってしまった。暴落が起こった後には最も責任がありそうな人を処罰する。あくまでも責任がありそうな人をである。そう、責任はそれに関わった全ての人間にあるはずである。しかしながら損をした非常に多くの人間たちを自分は犠牲者だと思わせなければならないために多くの人間が納得する人間を処罰するのだろう。これが「自分達は間違っていなかった」というような考えを植え付け、その後の連発につながったのかもしれない。本の最初にガルブレイスが「この本のおかげで金を損せずに・・・」と書いている。だが全ての人がこれを読み教訓とするわけではない。きっといつかまたバブルの崩壊といったものは現れるだろう。きっと歴史は繰り返される。結局人間の私欲の強さは他のどんなものにも打ち勝ってしまうだろう。次のバブルはいつやってきて、どのようなバブルだろうか?ひょっとしたらもうすぐそこまで来ているかもしれない。「ITバブル」なんてのも考えられなくもないが・・・。
水野くん  日本のバブルの頃私は小学校から中学校へあがったちょうどそのときだったと思う。経済に何の興味もなく、いわゆるバブルの塔といわれる超高層ビルをテレビで見るなどして凄いなぁとおもっていた。昨年からアメリカの株価が急上昇しそれにつられて日本の株価も限られた業種のみだが、上昇気流に乗っている。これがバブルかどうかはわからないが、おそらく同じものだと思っている。今回は土地でも絵画でも、もちろんチューリップでもなくネットバブルだそうだ。
 株式に興味はあるものの、残念ながら(?)株式投資を行っている身ではないのでその恩恵にあずかっていない。もし本当に上昇しつづけるというのなら欲しくなるのは誰でも同じではないだろうか。本当に上がるというのなら、そして下がらないという保証があるのなら私も欲しい。不本意ながらバブルを支える立場になってしまった投資家の人たちの気持ちもわからないでもない。
 この本に出会うまで、バブル経済の仕組みや歴史について正確な知識はまったくもっていなかった。チューリップに踊らされたオランダがあり、『金融に関する記憶は短い』ということからだろうか、ありとあらゆる時代にありとあらゆる地域で起こった株式バブルがあったそうだ。話の中に再三出てくる『記憶が短い』とは、なかなかおもしろい。例えば最近の一部の株の急上昇と急落について、現在投資している人の大部分は10年前のバブル経済期にも投資を行っていた人だと思うが、なぜ当時を思い起こさないのだろうか。それともインターネット関連株は絶対に上がるという『神話』を信じているのだろうか。10年前には『政府及び大証券会社によって操作されているため、日本の株式市場は上昇以外ありえない』という神話があったが、それは幻だった。それでも『神話』信じるのだろうか。今回も同じようなことが起きそうである、と考えてもよさそうなのだが、記憶が短いのか、どうやら覚えていないらしい。
 私が感じたところ、結局人間はレベルこそ違え、欲望に勝つことが出来ない生き物なのだろう。もちろんより良い生活を、との欲望があるからこそ、動物からここまで成長してきたのだと思うし、欲のない人はそれ以上のレベルアップを望めないかもしれない。大体株式投資自体が欲望の塊のようなものでそこに集まる人が自分を儲けさせてくれている株の価値を下げて、本当にそれに見合う金額にしようなどという意見を出すはずがない。だからこそいつの時代でも、歴史をかえりみることなく儲け話に食いつき痛い目にあう。またバブルが起きればまたそれに食いつくことになる。私もおそらくこの先、運転資金が出来たなら株式投資をすると思う。そのときは歴史を肝に銘じて、本当の価値にたどり着いたら身を引く意志を持って望もう。まぁそんなことができる性格なら株式投資など行わないだろうけれども。
堰口くん  既成のやり方を少し変えただけの「革新的な」金融的手法に人々が魅せられ、陶酔的熱病(ユーフォリア)におかされ、投機を繰り返す。期待が期待を呼び価格はどんどん上昇する。そして、それがピークに達したところで暴落する。これがバブルの本質であるようだ。とすると、結局のところ私の朝寝坊と本質的に大きな差はない。一回いつもより遅く起きて学校に間に合うと、だんだん「もうちょっといける」と思っておきるのが遅くなる。そして、限界をむかえたところで大切な行事に遅刻して大変なことになる。冗談はさておき、バブルとは人間の本能(欲望)の暴走である。そして、それが起こるときには必ずその暴走を正当化する人物なり学説が登場する。日本のバブルのときにも、書店に行けば、日本経済のすばらしさを絶賛する本があふれていたし、世界にも「日本に倣え」という風潮があったようだ。そして今ではアメリカがその状況に当てはまる。ニューエコノミーだなんだといって書店にはアメリカを絶賛する本ばかりならんでいるが、私にはバブルの本質にぴったり当てはまっているようにしか見えない。  ひとつ疑問に思ったのはバブルの原因の一つは「人間の知性が金の所有と結びついてしまうこと」であるという個所である。この文章を読んだとき私はドキッとした。確かによく金儲けをしている人にはそれなりの知性があるはずだと私も考えていた。しかし、よく考えると、一般的によく金儲けをしている人(相続などで財産を引き継いだ人は別にして)はそれなりに知性を兼ね備えていると考えてよいのではないか。バブルの原因はそういった人たちが、盲目的に投機に走ってしまうことと、それに盲目的に追従してしまうこと、つまりユーフォリアの一点にあるのであって、知性が金の所有と結びついてしまうことにはそれほど問題がないのではないだろうか。  結局結論としては、明日の天気予報も外れるような社会にそんなうまい話があるはずもなく、地道に稼ぐのが一番のような気がする。
   

シュンペータ

斎藤さん

シュンペーターの考えは経済理論だったのだろうか。「経済学はただ、戦場や宗教界よりむしろ市場で用いられるような技能に対して報酬を与えるような作用を社会に生じさせる手段について、描き出す」のである。経済学者は、専門的になりすぎるのもよくないのだが、主観というか、個人的な体験のようなものがはいるのもよろしくないのである。しかし何人にも彼らの最深層にある価値や選考は不可避であるとおもわれる。彼もまたそのひとりであったようだ。彼は経済学者というよりは、むしろ夢想家ににより近かったとさえ思う。しかし、環境に左右されずに思想を展開していくことのできる人など、ロボット以外わたしには思い浮かばない。もしそういった人がいるとするならば、間違いなくその人はどこか歯車の狂っている人だと思う。それに、経済を展開しているのはほかでもない複雑な感情を有する人間であるのに、それを分析する人には、人間味の排除が求められるのはなんだか寂しい気がする。
 この本を通しさまざまな経済学者について触れてきたのだが、なによりも経済予測の難しさを痛感した。今の時代になってさえ、結局のところ誰の思想が正しいのかはっきり断言することはできない。社会主義の崩壊を目の当たりにしたわれわれでさえ、資本主義に絶対の信頼を寄せることは危険なことであろう。専門家による経済予想より、素人によるそれの方がよっぽどあてになる、と以前聞いたことがあったが、そんなことだと、毎日テレビや新聞などで熱心に議論されている専門家による経済予想は、一体何なのだろうか、とむなしい気持ちに陥ってしまう。今日の世界で、アダム・スミス、ケインズに匹敵するような救世主が現れることはないのだろうか。あと何年待てば経済が完全にコントロール可能なものになるのだろうか。あるいは、それは永久に不可能なのだろうか。

奥川くん

シュンペーターとはどのような人物だったのだろうか。彼は、「立派な恋人になること、優秀な騎手になること、偉大な経済学者になることの三つの願い事を持っている、と好んで言い張った」そうであるが、彼の名前がアダム=スミス等と同じ位知られていないことからも分かるように、彼が偉大な経済学者であったのかどうかは定かでない。だが、彼が経済学に重大な影響を与えたのは間違いのない事実であるようだ。
「資本主義・社会主義・民主主義」の中で、彼はマルクスについて多くを書いている。彼の考えはある部分ではマルクスに似た考えを表明し、またある部分ではマルクスを攻撃している。彼の描いたヴィジョンによると、これから、資本主義は他の制度が持つ道徳的権威を破壊し尽くした後に、資本主義そのものに反抗し、代わって官僚制的な計画経済が台頭してくるという。果たしてこれは正しいのだろうか。この「資本主義・社会主義・民主主義」が出版されたのは1942年であるが、発行後58年たった現在のところ、私にはその兆候を感じることができない。
では、彼のもたらした意義とはなんだったのだろうか。物語の本文を引用すると、「シュンペーターのシナリオが意味しているのは、これらの見方の全てがいまや過去のものであり、経済学の予測能力がいかなるものであれ、そんなものは既に重要事では無くなっているということではないだろうか。」ということである。私はこれを、国家の経済体制が資本主義であろうと社会主義であろうと、一部の圧倒的に力を持つ多国籍企業が世界を動かして行くことに変わりはない、ということではないかと解釈している。聞いた話であるが、共産主義体制下のソヴィエト連邦でも、コカ・コーラは街頭で売られていたそうである。これは、国家の体制がなんであろうと世界経済にとっては些細な問題でしかないことを示す一例ではないだろうか。近年、ケインズ型経済学の限界が問題にされ、経済学が見直されているが、1942年当時に、経済学の限界を示したシュンペーターはもっと評価されてよいのではないかと感じた。

山田さん

今回の章では、先生に日頃言われていることと通じるな、と思う箇所がいくつか出てきていつもよりも色々考えながら読んだ気がする。
「すべての知識と習慣はいったん獲得されると、大地における鉄道の土手と同じくらい堅固にわれわれのうちに根付くようになる。」…シュンペーターは、人々にとって最も有利な経済的経路が試行錯誤によって見出され、人々はそれを日常業務として反復するという、慣性が経済生活の習いとなっていることを言おうとしてこの言葉を言っているが、私はこの一文から、今自主ゼミで読みすすめている、『「文明論の概略」を読む』の、「惑溺」をなんとなく連想してしまった。最初に読んだときにそう連想してしまったが、読み返してみると、ここでシュンペーターが言わんとしていることと違うとは思ったが、私の思ったことを書きとどめておくことにした。
また、「論理的なシナリオに先行する「前分析的」過程は避けることの出来ない過程であり、人々の最深層にある価値や選考に不可避的に彩られている。」というのは、先生のいう、「最終的に『〜するのが望ましい』という政策アイディアを決めるのは個々人の価値観によるところが大きい」ということと同じことかな、と思いながら読んだ。シュンペーターという名前は初めて耳にしたが、この部分を読んで何か一気に親しみが湧いた。
彼は著作の中で「エリート」について述べている。彼は、エリートが中心的な活動勢力になるような彼自身の歴史観に導入された価値をもってエリートについて述べている。私の中では「エリート」というと「へんにエリート意識をもって…」などという言葉がまず浮かび、あまりいいイメージではない気がする。彼の言うエリートは、血統によってではなく、「知性と意志」によって選ばれているとあるが、今の時代では、この、「知性と意志」の部分を「学歴」におきかえるのではなく、「血統」の部分を「学歴」とすればいいのかな、と思った。

小南さん

 この章は、正直に言うと、非常に感想が書きづらい。今までの人物たちよりもページ数は少ないが、何となくもって回った言い方が多い。それは、作者の、シュンペーター(この章の主人公)に対する好意や人間的興味度などを測りかねるからだろうか。作者は、直接彼から講義を受けるなど、今までの“世俗の思想家たち”の中で、一番接点がありそうなのに、彼のことをどう思っているか、学者としての彼への評価ではなく、人間としての彼への感想が、あまり伝わってこない。もしかしたら、あまりにも近すぎて、書きにくかったのだろうか。  そういう作者の筆をもってすると、シュンペーターは“偉大な経済学者たらんと切望し” ていた。そして、“偉大な空想家たらんと切望し”ていた。だが、彼の行ったのは、経済学的予言ではなく、歴史的予言だった。彼もケインズと同様、様々なことをやった男だった。“医者”として産業の国有化委員会に参加し、社会主義政府の大蔵大臣となり、銀行の頭取も勤め、倒産後の処理もこなしている。だからこそ、机上の論理ではない、彼なりの洞察ができたのであろう。作者が言うように、シュンペーターは、経済学の予測能力は重要事ではなくなってきていることを述べたかったのだとしたら、私は、彼の意見に賛成できる。シュンペーターのような“偉人”と並べるのも、悪いかとも思うが、テレビで評論家や、教授が言っている経済的な予測も、ほとんど当たっていない。経済学に限らず、どんな専門家も、現実の事柄に対する正確な予測をするのは、無理なのだろう。しかし、やはりそれでも、人間は将来をうらなってみたくなる。今まで出てきたたくさんの奇人・変人も、空想や夢想と呼ばれるような、考えを頭の中でめぐらせていた。それは、すごいことだと思う。私たちは、過去に人が考えてきた“常識”や“習慣”以外のことを思いつくことができるだろうか。私の思考なんて、もう既にあるアイディアの組み合わせで出来ていると、よく思う。何か一つでも、自分の頭を使って、とっぴな空想を思い描けるようになりたいものだと思う。

玉津くん

シュンペーターによるイノベーションのメカニズムの分析はとても興味深い。彼は『経済発展の理論』で資本主義システムにおける利潤の源泉であると述べたのである。これはとても的をえていると思う。革新は一時的に膨大な利潤をイノベータ-にもたらすが、革新が普及することによって革新者にとっての利潤が消失する。これは正の外部効果になっているので、景気循環にはプラスである。彼はイノベータ-や企業家となりうる才能を持ったブルジョア・エリートの役割を説いている。そこで私は、彼はプロレタリアートという革命勢力に関するマルクス主義的な観念に対する反発があったのではないかと思った。ウィーンの貴族的な学校環境でシュンペーターが育ったため、そのような価値観を身につけたのだと思う。このことが、マルクスの考え方の相違を生んだ源なのではないかと思う。エリートではないものが、エリートによる社会が望ましいなどというはずがない。逆にエリートから言えば、それが望ましいことになる。まさにこの考え方の相違は階級の相違によるものだと思う。現在の世の中では、血統によるエリートと才能によるエリートが均衡している。今の日本は血統によるエリートが幅を利かせているが、シュンペーターの主張した才能によるエリートが活躍しなければ、新しいイノベーションは起きないかもしれない。

中嶋くん

 長かった『世俗の思想家達』の最後を飾るのはシュンペターでした。シュンペーターは資本主義についてケインズの考えが政府の適切な手助け次第だったのに対して政府支出を恒常的な補助エンジンとして必要とは考えなかった。また利潤に対しての考えもミルやマルクスやスミスとは違い循環する流れが決まりの経路を踏み外したときに現れるものと考えた。そして、その循環的流れと言うものについて「革新」や「企業家」という言葉を用いて説明してくれた。「革新」によって生まれた投資支出の増加が好況を生み出し、「革新」を他の者が追随することによってそれまでの差別的優位性が薄れて利潤が縮小し、その結果として投資も縮小して景気が下向きになるというものだ。  また彼は『資本主義・社会主義・民主主義』で好敵手としてマルクスについて論じているが、二人が考えを同じくしていた「資本主義の内在的発展」の原因はマルクスが労働者階級と所有階級の間の闘争に置いているのに対し、彼は「近代的な背広の起源」と言っていることから分かるように、これは前に述べた「革新」や「企業家」に通ずるものである。  彼はこのように資本主義について論じ「社会主義は作用しうるか」という問いに対して肯定しているが、それはマルクス的な理由からではなくあくまでも彼の述べてきた「革新」が制度化され、日常の業務に組み込まれ、官僚制的な管理の重みが増した結果であると言っている。また現在社会主義に移行してはいないからこの考えは間違っているということになるがこれは経済的予測ではなく「歴史」的予測である。  「才能の貴族制度」のエリートとは血統ではなく「知性と意志」によって選ばれるとある。彼は貴族学校でエリート中心の考えをもったがその結果はこのように一般的エリート制度の考え方とは違う。変化と発展にはこういう意味でのエリートの推進力が必要なのだ。時代が変わって環境が変わってもトップにいるのは常に「エリート」でなければならない。

水野くん

 シュンペーターによると『社会主義であったとしてもそのシステムを指導するに必要な技能は、資本主義システムを運営するのに必要とされる技能と同じである。』そうである。実際、社会主義国であっても、資本主義国であっても国の運営を任されているのは一部の人間であり、私にはその人達をいくら見比べたところで社会主義国と資本主義国の違いなど分らない。『彼のいう国の主義が変わったところでトップ層には何の影響も無い。』という意見が正しいのなら、資本主義が社会主義に代わったとき、トップ層にいればよい。ということになる。それが彼のいうエリート(『革新の才』の所有者)というやつなのだろうか。少々疑問が残る。ソビエト連邦が崩壊して現在、資本主義と社会主義の争いはほぼ資本主義の勝利の形であるためか、いま一つシュンペーターのいずれは社会主義に、ということが想像できない。
 また、シュンペーターは、本質的に景気後退の可能性によって脅かされている資本主義において自著『景気変動論』の中で景気の変動について、@持続期間の短いもの A7〜11年のサイクルのもの B画期的な発明によってもたらされた50年の巨大な流れ、の三種類ある、と述べている。現在のアメリカでの好景気はインターネットの出現による50年の巨大な流れであるといわれているが、今私が読んでいる本の中ではインターネットは50年どころの騒ぎではなく、ユカタン半島に落ちた隕石以来の出来事であるとまでいっている。その流れにうまく乗った、いや、作り出したのがアメリカであり、7年〜11年のサイクルの不況に陥っていた日本はその巨大な流れに乗ることも出来ずに未だ不況のど真ん中にいる。資本主義社会から社会主義社会になることを恐れるよりも、今の時代流れに乗り遅れることのほうが恐ろしいことになりそうである。

嶋田くん

今まで、世俗の思想家たちを読んできて最後にこの章を読んで感じたのは、どの人物も自分の中で描き挙げたモデルでかなり遊んでいるのが見えた。遊んでいるなんて言うと怒られてしまうかもしれないが、遊んでいるというのは悪い意味ではなく、それぞれが考える条件で縛りを加えて、それについて仮説を持って世の中を証明していくのである。まさしく、知的な遊びなのである。人格者であるとか、そういうことを抜きにして尊敬できる人物、勉強になる人物は多かった。
今回のシュンペーターに関しては、なんか他の経済学者とは違った抽象的なヴィジョンというか複雑というか、とっつきにくさを感じた。資本主義の担い手が資本家ではなく、革命的企業家であるという提言については納得できる部分はあるのであるが、最終的にその役割がなぜ、ブルジョアが担っていくだろうと予想を立てなのかがわからない。教育の水準の問題であるのかなぁ、とかいろいろ思いをめぐらせてもいまいち確信がない。継続的技術革新がないと資本主義が停滞し、「不況は資本主義にとって適度なお湿りである。」とまで言っているが、最後には資本主義は長く続かないということと、社会主義の到来を予想していたことはかなり悲観的な考え方が入っていると思った。悲観的というのはおかしいが、世の中のトップが全体を計画し動かしていくというのがどうにも納得できない部分であった。世の中に知的な人物、有能な人物がいるのは良いことであるがそれとこれとは別問題と私はしておきたい。まあそれはそれとして、一番びっくりしたのはシュンペーターが日本にきていたという事実であった。何をしにきたのかは知らないが・・・他の人物たちがどうなのかは知らないが、でも日本に来ているのは驚いた。よくわからない。

馬場さん

 今回で「世俗の思想家たち」の感想ももう終りかとおもうと、なにやら感慨深いものがある。今まで一体何人ぐらいの話を読んできただろうかとぱらぱら他のページも見てみたが、きれいさっぱり忘れている部分が多かった。その中でもケインズは私にとって愛着のある一人である。なぜなら彼の人々に愛された所、特に芸術をこよなく愛した、という点が気に入っているからである。この本に出てくる思想家たちは大多数が“根暗”な人物である。その中で際立つように、ケインズは明るく陽気な性格だったということで、私の印象にも残っていた。今回のシュンペーターの話には、ケインズとマルクスがよく出てくる。それは、シュンペーターが彼らと比較されて描写されているからである。シュンペーターの考え方は、ケインズが資本主義社会を楽観的に考えていたのに対して、マルクスと同じように資本主義社会は生き伸びない、と考えるものであった。
 こう言ってはなんだが、私にとってこの辺はどうでもいいことである。実際、現在まで資本主義は生き伸びてきた。私にとって興味のあるのは、シュンペーターの経済に対する予見が当たるかどうかではなく、彼がこのような考えに至った思考の過程を考えることである。彼は意図的に「偉大な経済学者たらんと切望した」。しかもそれを公言することをはばからなかったのであるからその意思の明確さは、逆に戦略ではなかったのかと私に考えさせる。彼は自分自身の体験から、社会はエリートが常に導いていくという考えを持っていた。彼の偉大な所は、学者とはいえどもやはり自分の育った環境という「色眼鏡」なしではものごとを分析できないということを示したことである。それを悪びれもせず堂々と見せ、経済学者であると同時に「偉大な夢想家」になることを切望したシュンペーターを凌ぐ思想家はいないのではないだろうか。彼はまさにこの本の最後を飾るのにふさわしい経済学者である。

関口くん

 「世俗の思想家たち」も最後の章になった。振り返ってみると出発地点ははるか下になっている。達成感のようなものがわいてくる。(どれだけ身についているかどうかには触れないが・・・)
 さてこのシュンペーターなる人物であるがケインズとは違い、「不況は資本主義のお湿り」であり、「資本主義は成長に導かれるものだ」といい、その成長は「企業家(革新者)」によって生み出されるとした。そしてさらにこの革新者とは「非凡な才能を持った少数の個人(=エリート)」であるとした。つまり、資本主義の本質はエリートによって担われた社会に活性化であると説明したのだ。この考え方には非常に納得できる。歴史を振り返ってみても、時代の空気から生み出されたごく少数の偉人によって世の中が動かされてきた。時代の変わり目や各時代が最盛期を迎えたときには必ず偉人が登場する。明治維新以降はそれまでのような強力なリーダーは現れなくなったように思われるが、それでも時代を動かしてきたのは一部のエリートたちである。現代でも、世の中を動かしているのはエリートたちであり、彼らが時代を引っ張っている。彼の言葉をかりるなら「歴史とは社会における不活発な大衆に対してエリートが与える影響の物語である」ということである。しかし、エリートが登場するためにはそれなりの環境が必要でもある。エリートになりえない人、つまり非凡な才能を持たない人たちが作り出す環境があってこそエリートが生まれるのではないだろうか。しかし、エリートでない人の歴史における存在価値がそこにしかないのだとしたらなんだかやりきれない気持ちになってくる。
 最後に、少数のエリートが時代を作るという考え方は前章の異端の考え方と、少数の「非凡」な人によって時代が作られるという点でつながっているように思われる。彼が言う「エリート」と「異端」は同じなのではないだろうか。

久田くん

 私は、シュンペーターという人物の名前をこの本で始めて知った。もちろん、何 を考えていたのかも知らなかった。目次でケインズの次の章にかかれていたので 、ケインズより後に生きた人物で、きっと最近の人物だと思い込んでいた。ところ が・・・だ。ケインズと同じ1883年に生まれていたのだ。  ケインズは、偉大な経済学的思考でもって我々にケインズ経済学というものを 残してくれた。シュンペーターは、経済学的思考だけではなく社会的、政治的そし て文化的と実にさまざまな視点から資本主義社会に或るヴィジョンを与えた。 「資本主義は生き延びるのか?――いや生き延びないであろう」、「社会主義は作 用しうるのか?――もちろん、作用しうる」と。これは驚きである。しかし、シュ ンペーターの説明を聞くと、「なるほどな」と納得する。資本主義は、経済学的に は成功するかもしれないが、その成功は社会学的な成功ではないのである、と彼は 言っている。資本主義が向けた矛先が結局は自分自身に向かってくる。資本主義 の環境が変化するから、資本主義は生き延びられないと言っているのだ。社会主義 の作用に関しても、官僚による計画経済に見て取れるのだと言っている。核兵器、 エネルギーそしてコンピューターなどの彼が予想もしなかったものの出現により 、資本主義は彼のヴィジョン通りに行かなかったけれども、彼の考えたことには感 嘆せざるを得ない。  また、シュンペーターの考えで面白いコンセプトがある。それは「階級」である。 資本主義に革新を持ち込み、利潤を生み出す企業家は普通の人々とは別の階級の人 たちであるし、経済的指導を含む指導能力を持つエリートも特定の階級の人々で ある。階級といっても、ブルジョワやプロレタリアートのような階級ではない。 「知性と意思」によって選ばれた階級、つまり能力の違いによる階級なのだ。血 統による階級の中で育ったシュンペーターが、このように考えるのは納得できるし、 意外とも思える。  このように我々に全く違う土壌の上でのヴィジョンを見せてくれたシュンペー ターには畏れ入るばかりである。

ビクトリア朝の世界と経済学の異端者たち

馬場さん

 前回の「ユートピア・・」と同様、今回も世間ではあまり認められなかった“異端者”たちの話である。私の印象に残ったのは次の最後の文章である。「・・いかに異端であろうとも思想を無視してすませることはできない―とりわけその人の関心が、誤用されている言葉のもっともよい意味における保守的な人々にはできない―ということをわれわれに教えているのである。」最初にこの文を読んだ時に私は文章の意味が理解できなかったのでもう一度読みなおしてみたがそれでもよくわからない。訳が悪いのではないかと思ったが、自分なりに解釈してみた。筆者が言わんとしていることはマーシャルに対する批判と、“異端者”に対する敬意を改めて示そう、ということではないだろうか。“異端者”が“異端者”とされてしまう所以は、彼らの思想があまりにも突飛過ぎて当時の人々には理解できないからである。しかし当時の人は未来に起こることを実際に目にすることはできないが、後の時代の人は当然彼らの予想が正しいか間違っていたかを判断することは可能である。例えばボブソンの、資本主義的不均等分配が帝国主義へと向かわせるという見方は、私はかなり当たっていると思う。確かに帝国主義を経済学だけで分析するのは間違っているのかもしれないが、だからと言ってそれが彼の考えの全否定につながるわけではない。実際に帝国主義は経済的状況においても、多国籍企業の出現などを通して様相を変えていき、それが資本の流れを大きく変化させるのである。一方マーシャルは正統経済学を確立した点で多いに評価されて当然である。しかし当時の人々は“教科書の経済学”だけを求めていたのではなかった。その時代の社会の状況を基本対象とする経済学も必要としていたのである。それを人よりも強く痛感していたのが“異端者”たちであった。彼らとマーシャルの思想がお互いよい刺激を受けあっていたならば、歴史がまた違った方へ行っていたかもしれない。

奥川くん

ヴィクトリア朝の時代とは、「陽が昇ることはあっても沈まぬ帝国」という言葉に象徴されるように、イギリスの歴史の中でも輝かしい一時代であったと認識している。だが、その時代の経済学の世界では、正統でない=異端の烙印を押されるという厳しい時代であった。この「ヴィクトリア朝の世界と経済学の異端」の章でも、異端の烙印を押された経済学者達が登場している。中でも印象に残っているのは、エッジワースのような、経済を数学に置き換えて経済事象を数字で示そうとする数理経済学者の話と、経済学を嘲笑したバスティアの話である。
前者の数理経済学者については、経済学の説明しにくいところも数字で示し、理由はどうあれ、結果として数字の上ではこうなるだろうという具体的な予測が立つ指標を持ちこんだことは経済学にとって非常に貢献をしていると思う。誰だって、「10年後に世界は不況に見舞われ、経済活動は著しく悪化するだろう」という予測よりも、「10年後の景気は次のような計算式で求められ、これによると経済活動の活発さは、現在の65%となるだろう」という予測の方が分かりやすくて、ためになると思うのだが。
次に、バスティアについてであるが、突拍子も無いことを言い、経済学を嘲笑した人物であったそうだ。彼の主張したいくつかの事例が引用されているが、かつてこれほど経済学に皮肉を込めて痛烈に風刺した人物を、私は知らない。私は、彼のことを深く知っているわけではないが、彼は当時の経済学が正統とされないものは全く顧みられるないという状況を嫌い、そういう性質を持った経済学を嘲笑することで、そのことを人々に気づかせようとしたのではないかという印象を持った。
今回の章を読んで、歴史上で偉大な経済学者として名前を知られている人物は何人もいるが、彼らの主張ばかりが今の経済学を作ってきたのではなく、それらの偉大な経済学者達の陰で異端とされてしまった者達の主張の多くからも影響を受けて、今の経済学があるのだということを忘れてはならないと感じた。

嶋田くん

「結局、経済学は人々の集合体の行動を扱うものであり、そして人間集団は、原子の集合体同様、統計的規則と確立法則に従うものとされた。このようにして、教授陣が「均衡」という考え方の探求に目を転じるにしたがって、経済学は社会的世界のある傾向を解説するようになったのである。」という一節があったが、このあとにもマーシャルの部分で出てくるのであるが、経済学が社会に貢献することの意味というか、誰にでもわかるように簡単な原理で現象の説明をしている学問は数少ないし、そのようなことをすることができるところに経済学の面白さがあるのではないかと思う。象牙の塔ではおもしろくない!また、今回の章では結構、複雑な利権の構造が政策を縛り、その政策がいかにも世の中全体の利益であることを装って世の人々に納得させるかということを痛感させられた。色々な政策の意図を考えていくとほとほといやになってしまいそうだ。本当に合理的無知とはよく言ったものでそれが望ましいのかとさえ思ってしまいそうになった。あと、今回の一番おもしろかったところは、バスティアのところで、「信じられない低価格で明かりを提供しているライバルを国内市場から締め出そう」という一節の保護貿易主義への皮肉はなかなか凡人には考えのつかない知的さを感じた。説得力とか、現実とかを超えた部分でおもしろさがあった。それにしても競合相手が太陽とは・・・。最後に帝国主義に触れていたのだが、帝国主義に関しては以前日本史を学んでいく上でなんとなくその生成過程を知ってはいたが、今度ははっきりと体系的に理解をすることができた。アメリカの植民地支配の軍事力を背景にした政策というものが反共産主義の影響からであることが頭の中でぼんやりしていたことであったのであるが今回ではっきりした。真理とか正義とか平等とか公平とか世に氾濫しているものの中に利権の絡まないものがいくつあるのであろうか。やはりないのかなあ。

小南さん

 この章では、様々な異端の経済学者たちが紹介されている。「人間は全て快楽機械である」 といったエッジワース、経済的詭弁についての著書をしるし、ユーモアいっぱいの説を展開したバスティア、地代の公正についてのべ、「進歩と貧困」を書き、今もなお信奉者を生んでいるヘンリー・ジョージ。そのどの人物の意見も目の付け所がおもしろいが、中でも、私が驚かされたのは、ボブソンという人物の述べる帝国主義についての説である。  帝国主義と資本主義。そのどちらも我々にとっては、高校までの歴史や政治経済の授業で出会う言葉だ。資本主義は主に、現代の社会に存在する主義として政経で登場し、現在形のニュアンスで説明されるころが多い。一方、帝国主義は近現代史であらわれる言葉であり、一昔前の戦争時代の象徴的な体制として取り扱われている、過去のものである。そういう印象をもっていた私にとって、この2つの主義は、全く別の、はっきりと断絶したものとして、とらえてきたものだった。なんとなく、資本主義はすばらしいもの、いいもの、帝国主義はひどいもの、わるいもの、というイメージができあがっていた。しかし、ボブソンは、資本主義が変化したもの、発展したものの姿が帝国主義であると言う。ボブソンは言う。「国内では使い切れない貯蓄を活用すべく、海外市場へ投資をむける」これが帝国主義なのだと。最初は違和感があったが、説明を聞いているうちに納得できてきてしまった。2つは、無関係のものではないのだ。そんな考えを聞いたのは、今までの授業では、1度もなかった。  しかも、今は、帝国主義の時代なのである。昔と違うのは、それが領土の拡大を目的とするものではなく、資本の輸出で企業が多国籍化することをさしているところである。この帝国主義は今まさに現在進行形であり、インターネットの普及によって、今後どうなっていくのか、予測ができない。それにしても、こういった、ボブソンのような、人々を驚かせるような視点は、経済学の王道を行った、優等生的なマーシャルには真似のできないような、どんな波をものりこえる力をも備えていたものであると思う。

玉津くん

ヴィクトリア朝の世界の異端な経済学者たちは何を主張していたのだろうか?マンデビルは「罪深き金持ちの浪費的支出は貧しきものに職を与えるが、有徳の倹約家のけちけちした実直さは貧しきものに職を与えない」と消費することの重要性を説いた。今我々がこれを聞くと納得するが、当時の人には倹約するのが美徳で浪費することが悪徳だったわけで、全く理解できなかったのかもしれない。たしかに現在でも、あるアメリカの有名人が召使を何十人も雇って贅沢な豪邸に住んでいるなどと批判的に報道されたりしている。しかしその人が消費することによってたくさんの人に職を与えているのだ。金持ちで倹約かは社会のためにならないが、浪費家は社会に貢献しているとはまさに的を得ている。日本の小中学校では生徒が掃除をするが、アメリカでは決して生徒に掃除をさせないそうだ。生徒に掃除をさせれば清掃員の仕事を奪うことになるからである。この当時にマンデビルは消費を主張して異端扱いされたが、現在ではこの考え方に違和感を覚える人は少ないと思う。
ジョン・A・ホブソンが1902年に記した『帝国主義論』はまさにその後の帝国主義の拡大による二度の世界大戦を予見していた。資本主義国が自国の未利用の富の販路を求めて競争し、有利な市場を自国のために確保しようとし、世界分割競争が起こるため、戦争を避けることができないと主張した。彼も消費の重要性に着目していた。貯蓄によって投資が増えても物が売れ消費が増えなくては何も得られないことに気づいていたのだ。しかしホブソンも異端扱いされ、誰も彼の警告に耳を傾けずに、世界は帝国主義に走り世界大戦への道を進んだ。もし人々や学者が彼ら異端の経済学者に耳を傾けていたら、二度の世界大戦は避けられたかもしれない。私たちは、たとえ現在の世界で異端な考え方であっても、無視するのではなくきちんと耳を傾けた上で判断しなければならないと感じた。

山田さん

今回の章はいつもより幾分かページ数が多いのと、何人か登場人物がいたので、1年のとき履修した心理学で習った「初頭効果・親近効果」というのを思い出した。これは、最初と最後は記憶に残りやすい(逆にいえば真ん中のことは忘れやすい)、ということだ。そのときやった実験では、私の場合は初頭効果の方がより顕著だったようだが、今回は(!?)親近効果があらわれたようだ。…というのは、どの人物に関する文章も面白いと感じながら読んでいたはずなのに、読み終わってみたら、ホブソンとマーシャル以外は曖昧な記憶しか残っていないからだ。
経済がうまく発展するには、貯蓄が利用されるようにしなければならないが、どう貯蓄を発動させるかの古典的な解答は、より多くの工場や生産に貯蓄を投資することによって生産と生産性をより高い水準にひきあげることができるというものである。ここでホブソンは、一般大衆の所得が少ないがゆえに市場の商品をすべて買うことが「すでに」困難であるならば、どうして資本家が、市場にさらに商品を投じるような設備投資をするだろうか、と尋ねている。これには何かとても納得した。それから、資本主義は解決不能な内的困難に直面して、純然たる征服欲からではなく、自らの経済的生存を確かなものとするために帝国主義に向けられてしまう、という主張も目から鱗、という感じだった。毎週感想を書くことで、ふと思ったのだが、もしかしたら私がなるほどと思う主張は、マルクス主義や共産主義のような色合いのものが多い気がする。
マーシャルに関する記述では、その段落に「マーシャルの貢献」とあるくらいだが、経済の調整過程が、短期的な期間では需要が市場に直接的には影響を及ぼし、長期的には供給が優位を主張する、という考え方が勉強になった。また、マーシャルは需要と供給は「ハサミの両刃」のようなものだといっているが、イメージ的にわかりやすく、うまい例えだなと思った。

堰口くん

 ヴィクトリア朝といえば、イギリスの歴史の中でも最も輝かしい時代のひとつである。その輝かしい時代に異端と呼ばれる学者が多数登場したことはとても興味深い。やはり、多事争論によって社会が発達し、社会の発達によって多事争論が生まれるという好循環があったのだろう。さて、たくさん登場した異端者の中でも、特に印象深かったのはエッジワースとホブソンであった。エッジワースは、人間は「快楽機械」であるとし、経済学に数学を持ち込んだ数理経済学者の先駆けであった。人間の営みのあらわれである経済現象を、人間の非妥協的態度を排除した考え方で説明しようと考えたところはいかにも異端者である。ホブソンはエッジワーストとは正反対に個人の感情を交えない科学としてではなく人間性追及の科学として経済学を学んだ。彼は資本主義的な不均等分配、つまり富の偏った分配が貧乏人も金持ちも十分な材を消費できないという逆説的な状況を導くとした。そして、その結果金持ちは貯金を「強いられ」、それが国内ではなく海外に投資されることで、帝国主義が発生すると結論づけた。すなわち、資本主義の必然的な結果として帝国主義が生まれ、資本主義によって暴力と闘争が生じているとしたのだ。もちろんこの学説も、良識的な学説を踏みにじる経済理論だとして異端とされた。
 しかしながらこれらの学説は現在から見ると異端には見えないような気がする。現在の経済学においては数式は欠かせないものになっているし、資本主義が内部に問題を抱えていることも明らかであるし、帝国主義についての考え方も資本主義の拡大の結果であることは否定できないであろう。思うに異端の登場というのは進歩のための第一ステップではないだろうか。既存の理論体系に対してそれに対抗した考え方がでてくる。そしてその両者が弁証法的に、旧来の理論体系を包括する形で新たな理論体系が出来上がる。異端の登場なくしてこの構造は成り立たない。異端の登場とは逆に発展のチャンスであると私は思う。

水野くん

 ヴィクトリア朝の世界について考える時、帝国主義が無視できない問題であることは、疑い様のない事実である。経済思想についてもまた、帝国主義全盛は大きな要因となっていたのだろう。もちろんそれは純粋的に経済的な関連について、でもあり、又多くの学者達の発想の源としても、である。ここでは、ヴィクトリア朝期の経済学者、とりわけ異端、すなわち正統とされる人々から受け入れられない者達の思想や行動を通じて、この時代の経済活動を考証しているのだが、大きな流れとして帝国主義が関連してくるところが非常に興味深いと感じた。
 異端者達の思想をみるにつれて私が強く感じたのは、彼らの思想が時代を反映している、という点である。(もちろん筆者がそう解釈しているからだろうが。)筆者自身章の最後に述べているように正統とされる学者達が自己満足していたのが、急激な社会変化に対応できなかった要因であるかもしれないし、それはやはり、正統な学者達が時代に取り残されていた事を示す事実となったのではないだろうか。
 異端者達の思想が正統的な学者達から評価されなかった大きな理由として、筆者はおもしろい事柄をあげている。いわく、異端者たちの注目は変化、取り分け暴力的変化にあるというものである。これは確かに正統としては受け入れがたいものであっただろうと思う。数学的な観念の元に予期できないファクターであり、計算できない要素を持ち込むのは私ですら違和感を覚える。しかし筆者の文章を読み進めていく内にそれはとても自然なこと(経済活動を行っている人間として)ではないだろうかと感じ始め、異端者達に親近感すら覚えてしまった。何故なら現実の社会を見つめながら考えていたのは明らかに異端者達だからである。筆者もアルフレッド・マーシャルと比較することによって暗にその事を述べているように思われるし、結果として正統的な学者達が見落としていた問題は実は、異端者達が取り上げていた問題に含まれていたかもしれないからである。様々な角度から現実問題を取り上げるという視点が机上の空論の欠点を指摘しているという論旨は私にとって、非常に明快だったといえると思う。

斎藤さん

 ヴィクトリア朝―イギリスが活気と明るさを取り戻した王朝である。マルクスの人々から希望を奪い去るような予言をよそに、このころから帝国主義を掲げて列強諸国が第三世界を奪い合い、おおいに栄えはじめていた。それとともに労働環境においてもこの頃からだいぶ人間らしい制度が整ってきたように思える。そんななかでは経済学もほかの時代のそれと少々趣を異にしていた。マルクスや、たいていの経済学者たちは将来に関しての予測をしてきたのだが、この時代の経済学者たちは違っていた。  数理経済学派はこの時代に台頭してきたものである。彼らは経済学を人々の集合体の行動として扱い、そして人間集団は、原子の集合体と同様、統計的規則と確率法則に従うものだとしたのだった。わたしは2年間経済学を勉強してきたのだが、経済学というと数学的な要素ばかり含んでいて、機械的な学問だという先入観を持っていたものだが、意外にもそれは方程式の塊ではなかったことを、数学嫌いのわたしは安堵感を持って実感してきた。そういった動的なもの、例外的なものを無視して、均等化してしまう彼らの思想はまったく無意味ではないが危険なものだと信じる。  今回取り上げられていた数々の異端者たちは、その名のとおり確かに異端者であったし、そう呼ばれるだけの理由も見受けられた。しかし彼らの思想を異端者のものだとして看過することは、よりいっそう危険なことであると思われる。彼らの独創性にとんだ主張からは学ぶべきことがたくさんあるし、理にかなったものも数多く存在する。とにかく少数意見にも耳を傾けることは非常に大切なことであろう。彼ら、異端者が存在して初めて、現在正しいとされている一般的な意見の真の姿が映し出されるのだから。

中嶋くん

 今回も前回と同様にたくさんの変わった人たちのお話であった。エッジワース, マンデヒル、バスティア,ヘンリー・ジョージ,ホブソン,マーシャルの六人が 出てきたはずだがこれら全員が異端者たちとして扱われているのではなく,どう やらマーシャルは異端者というよりはここでは正当な経済学者として扱われてい るようであるが。  エッジワースは「すべての人間は快楽機械である」と述べ、また数理経済学と いうものを使っているということで数学好きの私にとっては印象深い。バスティ アの面白いところはなんと言っても彼が不条理を指摘する天武の才能をもってい ることだ。彼は経済学上小さな存在であったがそれはビクトリア時代は世の中が 一見うまくいっていたから誰も何かを指摘せず指摘するものは奇人・変人と扱わ れたからであろう。保護関税に対する指摘は非常に面白いものであった。ヘンリー ・ジョージは地代の不公正から単一課税の導入を訴え、ホブソンは「帝国主義論」 を著し海外への投資のことなど興味深い考えを示してくれ、これは現在の多国籍 企業につながるものでもあった。  それに対しマーシャルは時間の重要性を述べ需要と供給ははさみの両刃といっ たように市場均衡理論を打ち立てたという意味では経済学への貢献は大きい。し かしながら経済思想史においてのマーシャルの立場は「大学人たちが異端の世界 に注意を払っていたら・・・」とかかれているように高くはない。  異端者たちは確かにここにあった人たちのように誰もが名を知っているわけで はない。いやむしろこの機会がなければ知らないままだったのかもしれない。で も偉大な人の影には異端者がいることも事実であることを忘れてはならない。  

久田くん

 ヴィクトリア朝の時代、経済学の異端とされ、あまり多大な評価を受けなかっ た人達がいた。バスティア、ヘンリー・ジョージ、ホブソンなどの経済学者たち である。彼らにとって、自分たちが経済学の異端とされたことは納得いかなかっ たことであろう。彼らは経済学における暗い地域、つまり経済学の不穏な部分を 当時の経済学者とは違った視点で、かつ大胆に観察し、指摘しただけであるのに 異端者としてみなされてしまったのである。
  特にJ・A・ホブソンは経済学の異端とされただけでなく、彼の考えがまった く共感を抱いていなかったマルクス主義者たちの議題にされてしまった。本当に 納得いかなかったのだろうと思われる。彼は帝国主義へと進む過程を大胆な視点 から指摘した。いくら金持ちでも消費できる所得は、彼らの持つ全所得の部分的 なものでしかなく、残りの分は貯蓄に回さなければならない。その未消費所得を 海外で投資を行うことによって、消費しようとする。そのために海外に新たな市 場をつくらなければならない。そして強制的にその市場を開拓するために植民地 をつくった。これがホブソンのいう帝国主義化のプロセスである。資本の国際化 という面においては、現在の世界がホブソンの指摘したようにはなっていないと 言えるだろうが、ホブソンの考えにも説得力がある。
  ところで、当時の経済学界でもっとも名高かった経済学者はマーシャルである。 彼のなしたことは素晴らしいものであったのだが、彼が異端とされた学者たちの 考えをもち備えていたとしたら、もっと素晴らしい経済学者になっていたであろ う。そして20世紀の劇的な変化への準備をしていてくれたのであろう。
  だから、どんなに異端であろうとも我々は無視することは出来ない。そしてこ のことを我々に教え、大胆な視点から我々があっと驚く考えを残してくれた、こ の経済学の異端者には畏れ入るばかりである。

ユートピアン

斎藤さん

 夜、ベランダに出て空を見上げると、なんだか無性に恐ろしくなる。星はき れいで、本来かなりの熱を帯びているはずだが、どうしても人間味のない冷た さしか伝わってこない。そうしていつしかベランダからのパノラマは徐々に高 いところへと広がっていき、最後には理科の教科書に載っていた水・金・地・ 火・木、、、の宇宙へとたどり着く。すると雄大な空間にひとりポツンと取り 残されたような気がして、身震いひとつして部屋に戻る。人間というのは、自 分の力が及ばないようなものに出会ったときには恐怖感を持つのでしょう。今 日にいたるまで人類は、洪水を防ぐためには堤防を築くなどして、そういった 不安の源泉をコントロール可能なものに変え、できうる限り取り除いてきた。
 ユートピアンが生きていた時代は劣悪な労働条件、国内外の戦争が正当化さ れ、マルサスやリカードのような陰鬱な考えが蔓延していたし、さらにそれは残 酷なだけでなく、経済法則を装ってそうした残酷さをも合理化していた。アダム ・スミスなどが説いた味気ない論理で埋め尽くされた世の中は、経済法則にし たがって動かされており、経済法則は人間がもてあそぶことはできなかったし、 それの働きに逆らうことはばかげたことだった。そうしたことは自分を規則正し く従順な機械の歯車のひとつの部品にしか投影できなかったのではないでしょ うか。心やさしい、善意あふれる彼らはわたしが宇宙に対してそうしたように、 そんな世の中に背を向けたくなったのでしょう。
 レモン水、アンティ動物達、ビーバーが人間にとって代わる。これらのことは ほとんどの人がそうであるように、わたしにも理解しがたいが、こういった夢 想家たちが世界を動かしてきたこともまた事実である。奇抜な意見を恥だと思わ ず、勇敢に立ち向かう。今の世の中は常識のない人を批難する傾向にあるが、彼ら は絶望的な陰気さを取り払い、希望的な見通しを与えてくれたという点では当 時の世の中に大きく貢献したのではないでしょうか。

水野くん

 ユートピア、『現実には存在しない、理想の社会。理想郷。』の考え方。社会主義的だとか云々は関係なく私は好きである。ロバート・オウエンの作り上げたニューラナークは、資本主義の名のもと労働者をめちゃくちゃに働かせて資本家達だけが儲けていたその時代に、整然とした町並みを保つ労働者階級コミュニティーをつくり、比較的少ない労働時間を守り、労働力としてしか考えられなかった子供達をきちんと教育させるという理想道理のまさにユートピアといえる革新的な街づくりであった。しかし、やはりいつの時代でも保守的な人間はいるもので、悪いことに大抵の場合その保守的な人たちのほうがより力を持っている。例に違わずオウエンの街づくりも失敗に終わってしまった。今までどんな世界でも革新的なことを始めると初めは嫌われてきていることのほうが多いように見受けられる。人間は常に保守的なのかもしれない。オーエンの街づくりは失敗したが、彼の『人間は環境の生き物である。』には恐れ入る。『人間は環境の生き物であり、環境を創るのも人間。だからそこに存在する人間によって必然的に世の中が良くなったり悪くなったりする。』もしこの仮説があたっているのならば、最近、過去に例を見ない凶悪事件が続出している日本は危ないのかもしれない。
 そしてサン・シモン。相変わらずこの本には奇人が多い。もう驚かなくなってしまった。しかし、彼の考えた『産業宗教』って、なにやらワイドショーのネタになりそうな言葉である。そういえば宗教というヤツはユートピアを掲げているものが多いような気がする。『極楽浄土』にしても死後の世界と現の世界で違うだけで同じユートピア構想なのだろうか。でもできれば生前にユートピアというところに行ってみたい。
 ユートピアン=夢想家、はいろいろな種類の思想家の中で一番好きな部類である。みんなが(家族が)楽しく暮らしていける世界があればなぁ、なんて考えていることは誰でもしたことがあると思うし、考えていて楽しいものの一つだと思う。

玉津くん

それまで労働者に対して性悪説に基づいて接するのが普通であったが、ロバート・オウエンは、ニューラナークにおいて性善説の目で労働者を扱い、事業を成功させるとともに労働者を豊かにしたことは画期的な成功だった。しかし、その後彼の建設した、所有権を否定した「共同村」は失敗した。現在、私の実家の近くに、「ヤマギシの村」という、彼が目指した共同社会を実践している団体があるが、子供や寄付を巡る裁判沙汰が多かったり、そこの子供たちの教育環境を見るとどうもうまくいっていないようだ。やはり人間は怠け者な動物で、性善説だけで社会を築こうとしてもそこには無理があると思う。ジョン・スチュアート・ミルは優れた経済学者で、アダム・スミス、マルサス、リカードの考え方をよく研究した上で、「経済学原理」という本を書いた。そこで彼は新たな理論を打ち立てた。しかし、やはり彼は性善説的な考え方をしていて、例えば、「労働者階級は教育を受ければマルサス的危険を理解し、自発的に自分たちの人数を調整する」という考えには私は同意できない。人間は自分自身のために行動するのであって、社会全体のことを考えて行動しているのではないと思う。彼は人格的にいい人だったそうだが、そのために性善説で世の中を見たのかもしれない。いずれにせよ、彼らは当時の労働者階級を豊かにしようと思い、ユートピアを創造したのだから偉大である。ただそこで、人間というものをよく理解して、人間の怠惰な部分や自己本位な部分を考えてモデルと作らないといけないし、逆に人間というものをよく理解して考慮した上で社会を作れば、まさに現在の社会もユートピアに近づくと思う。

馬場さん

 今回は風変わりな4人の話であったが、私は最後に出てくるいつものように非凡な人物の典型のミルよりも、オウエン、サン・シモン、フーリエの3人の方に興味を持った。まず3人に共通する点は、3人とも善意な人物でかつ「ユートピアン」であったことである。私は「ユートピアン」という言葉は正統な歴史の中などでは使われないものだと思っていた。しかし彼らは正式に「ユートピア社会主義者」として定義されている。彼らの思想の特徴は、実際に改革を具体的に示すのではなく、“汝の隣人を愛せよ”を重視する社会を望んだというところである。つまり彼らは財産を共有し、共同所有という状況においてこそ始めて、人間の進歩の基準が見出されると考えた。私は彼らが連帯意識の重要さを説きたかったのではないかと思った。彼らの名称には言うまでもなく「社会主義」という言葉がつくし、オウエンのユートピア建設は失敗に終わるが、彼の一連の行動が労働階級の指導者を引き寄せることにつながり、その後イギリスで産業別労働組合の先駆けを生むことになるのである。しかし一方で世界がすべて経済法則によって動いており、それは人間がどうすることもできないと硬く信じられていた時代に、彼らが奇抜とも思われる思想を世に打ち出し、諦めずに時の有力者や権力者に会って、けなげに彼らの理想への協力を求めたりする姿は実に勇敢なトップランナーとして映る。そして理想を生み出す者は志し半ばで終わるいう定番を踏みつつも、きちんとそれを裏付けてくれる強力な助っ人が現れるので、やはり彼等3人は結果的には“先駆者”であり、同時に狂人でもよいのである。ミルに関しては、彼のビジョンが、将来の北欧の福祉資本主義への変遷において、道徳観念を植え付けることによって社会の「自然の」働きを改善しようというやり方に影響を与えているということを知り興味を惹かれた。そしてそれがどういうことなのか更に考えたいと思った。

奥川くん

 私は、前回のマルサス・リカードの章、そして、今回の「ユートピア社会主義 者の理想と現実」の章を読んで、一つ不思議に思ったことがある。それは、なぜ 産業革命以後の当時最も経済が発達していたであろう西欧(特にイギリス)から 社会主義を主張する者が多く現れたのかということだ。以前にも書いたが私は世 界史受験なので、世界史の授業では、産業革命以後から20世紀初頭までの世界経 済の中心はイギリスだったという様に教わったはずだ。だが、現実には世界で最 も進んだ資本主義を取り入れていたはずのイギリスとその周辺国から熱烈な社会 主義支持者が多く誕生したことには驚くばかりである。実際のイギリスは、当時 の他の列強各国と同様、国内に様々な問題を抱えており、それは非常に深刻な問 題であったようだ。  さて、この章では4人の社会主義者について語られているが、歴史に名を残し ているだけあって、4人とも例外なく非凡な性格をしていたようである。その彼 らが主張したのは、経済的に平等な共同体を築き、新たな経済秩序を打ちたてる ことだったようだが、その試みは成功しなかった。彼らがこのような考えを持つ に至ったのには様々な理由があったと思うが、その根底には人道的立場から奴隷 のような扱いを受けている貧民層を救う目的があったようだ。そのせいか、彼ら は人道的な問題にとらわれすぎて、少しばかり経済的なものの見方が出来なくな っていたのではないかと思う。富裕な産業家が貧民を虐げているから平等な共同 体を作り、そこで生活するというのは、どうも現実から逃避するネガティブな考 え方ではなかったかと思うのだが。身分的に平等な共同体を作るのではなく、能 力主義を導入した工場を建て、貧民層であっても能力的に優秀な者を抜擢し、富 裕な階級へと成り上がれる見本を示すことの方がよっぽど効率的であったのでは ないだろうか。それが概ね実現可能な現代の資本主義体制の時代に生まれてき て、「自分は当時の時代に生きた人達に比べたら幸せだなぁ」と感じずにはいら れない。

中嶋くん

今回は豪華だ。何てったって奇人が四人も登場するからだ。ここではそれぞれの人物はユートピア社会主義者ということになっている。ユートピア社会、財産を共有し合い誰もが幸せに暮らしてい理想的な社会。そんなものがあれば素晴らしいし自分も行ってみたいが、そんなものが成り立つとは私はとても思えない。実際に、ロバート・オーウェンのニューラナークでのユートピア社会の構築の夢は成功のもとには終わっていない。ここに出てきた四人のように慈善的な人間もいるが人間が合理的個人の要素をもっている以上すべての人間が社会全体のことを考えて行動し全てが幸せであるということはおそらく無理であろう。しかしながらオーウェンが言った「人間は環境次第であり、環境が変われば、地球上に本当の天国を築くことができる」というなかの「人間は環境次第」という部分には共感する。確かに人間にとって環境は重要で今でもその差が後にもっと大きな差を生むことも十分あり得る話である。悪循環を繰り返している労働者階級の子供達に教育を受けさせる。それ自体は素晴らしいことだがそれがそのままユートピア社会につながるものとは思えない。いったんすべての人間を一直線に並べることができたとしても結局最後に出来上がる社会は同じなのではないだろうか。まあ、ユートピアはあくまでも理想といってしまえばそれまでではあるのだが・・・。 しかしながら、結果はどうあれ彼らの奇抜な考えがその後の世界に影響を与えたのは事実である。労働組合といったものもそのひとつといえるだろうか。広い目で見るとすれば現代の社会保障制度も現実の社会体制の溝を理想社会に近づけるために埋めるものかもしれない。とにかく保守的になりがちな人間の中において何か奇抜なことを考える人間はその時点で受け入れられなくても後々考えれば・・・・ということが多く貴重な存在である。

山田さん

この「世俗の思想家たち」で今まで読んできた章は、章題にマルクスやアダム・スミスなど人名が含まれていたが、今回はそうではなかったので、今までとはちょっと違うのだろうか、と思いながら読み始めた。が、ロバート・オウエンとサン・シモン、シャルル・フーリエにジョン・スチュアート・ミルと4人の人物がでてきたこと以外は他の章とかわりはなかった。
ロバート・オウエンについての記述で印象に残っているのは、子供に関して彼が妻に言った言葉の中の、「人間は環境の生き物」というところである。人は環境に左右されるものだが、その環境を作っているのも人間自身であり、世の中は必然的に良くなったり、悪くなったりするのではなくて、われわれが良くも悪くもしている、ということである。私達にはこの考え方はそれほど目新しいものではない気がするが、この思想を私達後世に残したのがこのオウエンだということを知ったことが新たな発見だった。
サン・シモンに関しては、貴族でありながら爵位の廃止を提案して自らも爵位を放棄したことと、ヴェルサイユに向かう途中の農夫とのいきさつがあらわしてる、彼の民主主義好みというキャラクターが印象に残った。
ジョン・スチュアート・ミルの名前は耳にしたことがあったが、授業で、女性の権利の問題などに関しての研究に力を注いだ人だということを知って、それからは私の中では、他の経済学者よりも名前と何をしたかが一致する人物であった。この章を読むと、彼に女性の権利や人間の権利に対する目を開かせたのはハリエット・テイラーという一人の女性とその娘であることがわかる。いわゆる不倫関係にあったわけだが、世間的、道徳的には非難されるような関係の中から女性の権利の問題を考える礎を築いたというのがなんとも人間のおもしろいところだなと思った。

小南さん

彼らは、ロマンティストというより、率直に言うならば、おめでたい。かといって、 私は彼らが嫌いなわけではない。「共同村」を作ったオウエン、「産業宗教」を興し たサン・シモン、「ファランクス(共同組織集団)」を考えたフーリエ、そして誰よ りも非凡なミル。ユートピア社会主義者たちの描く世界を読んでいると、まるで童話 のようだ。  中でも、オウエンの話を読んでいる時には、むかし国語の文章題で読んだ話を思い 出した。どこの国の話だか忘れたが、(もしかしたら日本かもしれないが)人間が一 番快適に過ごせる都市をつくったと言う内容のものだった。そこには、無秩序な危険 地帯はなく、整然とし、きれいで住みよいはずの町だった。しかし、そこに行くと何 かが変なのだ。その理由はすぐにわかった。明るすぎるのだ。どこにも影がない。あ まりにも人間臭さがなく、 居心地がわるい。結局その都市はうまくいかなかった……。という感じの随筆だっ た。人は、無秩序で混沌としている、なんだかよく得体の知れない存在があるからこ そ、生きられる、と言う内容のものだったような気がする。だから、全くの天国のよ うな世界がもしあったとしても、住むことはできないのではないかと思った。  また、祖先から啓示を受けたというサン・シモンの宗教もおもしろい。当時として は(今でも?)とんでもない新興宗教だったことだろう。しかし、定説を唱えたり、 足裏を診断したりするのとは、どこか違うように思えるのは、彼には全くといってい いほど欲がなかったからであろう。だが、これは果たして宗教なのだろうか。神もい ないし、経典もない。富の分配について指摘しているところなんか、まさに経済学 だ。それとも、今まで読んできた経済学者たちの説が一種の宗教だったのだろうか? マルクスには、いまだに信奉者もいる。こう考えてみると、宗教と学問の区別はなん とあいまいなものか。  一見、夢のようなことを考えた現実離れした人たちにも思えるが、私は、夢のよう な理想を抱きながら生きていくのが人間だろうと思う。そういう意味で、ユートピア ンたちは、“気が狂っていた”と言われようがどうしようが、やはり立派な“人間” だったと思う。

嶋田くん

今回の章はいろいろな人物が出てきて頭のなかで出来事がとぐろを巻いている状況のなか、そのなかで印象に残ったフレ−ズがあった。「人間は環境の生き物」であり、その環境を作るのも人間自身である。世の中は必然的によくなったり、悪くなったりするのではなく、われわれが良くも悪くもしているのだ。この言葉はオウエンがどんな主義で何を目指し、使った言葉なのかということを抜きにして、人間として誰しもがそのような気持ちを持って生活していくのが望ましいと考えている。今日において自分というものの存在や自分がこの社会の中で生きていくことでどんな価値を生み出しているのだろう、と悩み苦しむ人はたくさん現れてなくても潜在的にいるのではないだろうか。われわれが生きている環境というものがしょせん人間が作っており、自分たちの考え方や力で何とかなるという気持ちは各個人必ず心の底に持っていてもいいと思う。これはユートピアという意味で・・・だが実際の世の中でユートピアとはあざけたような表現で使うことが多いが、私はそのようなある種の理想がないと現実というものすなわち現状はよいものとならないと考えているのでどうも周りのニュアンスとしてユートピアという言葉を使うのに違和感がある。確かにユートピアをそのまま現実に組み込もうとしても無理なことであり、その辺を考慮に入れて現実の政策にあたることは重要なことであり研究をしている私たちも考えさせられる点はあると思う。最後に「経済学が明らかにしないとならないような「正しい」分配といったものはまったくなかった。」とミルのところに書いてあったのを見て「うんうん」と授業の成果ともいうべき納得を得ることができた。本当の平等って、本当の公平って、といった具合に考えることができるようになったのも大学に来て学んだことが自分にとって大きかったと感じた。

堰口くん

 歴史の教科書などでもよく出てくる空想社会主義者であるロバート・オーウェン、サン・シモン、フーリエが登場した。教科書等では空想社会主義者はマルクスなどから、実社会では通用しない理想ばかり追いかけた空想的な思想家たちであるといわれ、マルクスの共産主義の登場の導入部分として、マルクスの引き立て役としてしかでてこない。しかしながらユートピア社会主義者たちの考え方は単なる歴史のおまけではなかったようである。オーウェンはニュー・ラナークという共同村を建設し、彼が考える理想郷を実際につくろうとした。サン・シモンは「人間は社会の過日の分け前に与ろうとするなら、働かなくてはならない」ことを主張した。フーリエは最小限の労働だけで生きていけるファランクスをつくることを主張した。これらの意見は確かに、現実との乖離があまりにも激しく、実践性に乏しいものであった。しかし、これらの考え方を全否定することはできないであろう。なぜなら、彼らが考えたような理想郷が実現するなら、そこに住みたいと思う人はかなりの数になるだろう。現代では共産主義国家のボスであったソビエト連邦の崩壊やアメリカの史上空前の好景気の影響もあって、資本主義社会こそが唯一、最良の社会形態だという考え方が支配的であるように思われる。つまり、価値が一元化してしまっていると思われる。しかし、ユートピア社会主義者たちが考えた理想郷も、実践性を備えていれば、最良の社会形態となりうるものかもしれない。そういった意味で、ユートピアンたちは決して歴史のおまけではなくて、現在の状況に一石を投じる役割を果たすものであると私は考える。ただし、現実との乖離がなく、実践性のあるものであるという条件付ではあるが。

久田くん

 ユートピア社会主義者たち―それはロバート・オウエンであり、サンシモンで あり、フーリエである―は有名なことは有名であるが、アダム・スミスやリカー ドほどではなかった。しかし、アダム・スミスたちと並ぶほど有名人物であるJ ・S・ミルもまた社会主義に転向したと知り、私は非常に驚いた。
  オウエンの「共同村」の中身を見ると非常に陳腐なものであるなぁと思う。子供 は三歳以上になると親元から離され、より良い人間として育てるという理念にたっ て実行されたが、失敗したのは当然期待されたことだと思う。オウエンがニュー ラナークで、整然とされた街づくりに成功したのはそれが小規模だったからであ り、アメリカに渡ってニューラナークより大規模な街づくり、つまりユートピア をつくろうとしても無理が生じて仕方が無いと思われる。しかし、ロバート・オ ウエンほど波乱に満ちた人生にはロマンがあって興味深いと思う。もし、私がオ ウエンのような人生をたどるとしたら、ぜひそうしてみたいと思ったり、やはり 失意のままに死んでいくのは嫌だなと思ったり、と答えは出しづらいが、そんな 人生も面白そうだなと思ったりもする。
  また、サンシモンやフーリエのことも考えてみると、あきれてしまう。SF小 説―当時で言えば、神話か―並みの事をよく真剣に考えたなと逆に感心してしま う。ミルの社会観は多くのユートピア改革者が提起した「共産主義」の現代版といっ たものについて検討している。彼の検討はしっかりしており、感心するばかりで ある。そして、彼の著書が出された1848年にマルクスが共産党宣言を出した ということは感慨深い。
  ともあれ、理想を求めつづけた偉大な(?)ユートピア社会主義者たちには畏れ 入るばかりである。

マルサス,リカード

斎藤さん

 マルサスとリカード、楽観的な希望は彼らの一撃の下に粉砕されてしまった。その時代の視点を楽観論から悲観論に変えてしまった。見えざる神の手は実は悪意と脅威に満ちた悪魔の手だった、としたのだ。陰気な牧師と懐疑的な株式仲買人、または現実世界の実情に興味を持った学究の徒マルサルと理論家であった実業家リカード。彼らには何ら共通点も見あたらない。まったく奇妙な組み合わせだ。しかし「これらの討論は、われわれの友情に決して影響を与えるものではありません。もし貴下がわたしの意見に同意してくださったとしても、貴下に対して現在以上の好意を持つことはないでしょう。」とリカードが言っていたように、マルサスにとっても「自分の家族以外の誰をもあれほど愛することはなかった」くらいの大親友だったようである。これを読んで、先生がおっしゃったイギリスの学生たちの事を思い出さずにはいられなかった。彼らは仲間であろうがなかろうがお構いなしにお互いの意見を非難し、罵倒を浴びせあうが、いったんその討論が終わるとまた元通りなにごともなかったかのごとく、仲良しに戻るという。確かに日本の文化に慣れ親しんだわたしにはそういったことは努力と勇気を要するだろう。しかしお互いの発展を望むのなら、そうすることは必要不可欠であるから、やはりリカードとマルサス、イギリスの学生達を見習うべきである。
 リカードは、資本家と地主の利益はどうしようもないほど対立しており地主にとっての利益は社会にとっては有害であると説いたように、彼らの利益に対抗して戦った。マルサスは絶望の理論、つまり人口の激増による食料供給不足を説いて子供の生産のコントロールを掲げた。しかしリカードはのちに自らが批判していた地主になったし、一方のマルサスも「家族の害悪に対する説教をしておきながらのちに厚かましくも結婚した男。」といわれたように晩年にでこそあれ結婚している。こういったところを見ると彼らの人間らしさを感じ、なんだか不思議な気分になる。

馬場さん

 私はこれを読んだ際、なぜマルサスとリカードが比較されているのかに、非常に興味を持った。おそらくこれは二人が相対する立場を持っていたことと、それにもかかわらず二人は無二の親友だったことにある。これを読むと、マルサスの方がいくらか論理を組み立てる能力に欠けていたように思われる。しかし、これはマルサスとリカードの二人の考えが常に並べて考えることで、この欠陥を補っているようにも感じられる。
 判官びいきではないが、私は、人々から「これほどひどく罵られた学説はかつてない」というマルサスの人口に関する考え方に興味を持った。確かに、アダム・スミスが「楽観的な社会の繁栄」を謳った後で「社会は絶望的な罠に陥る。」と述べれば衝撃的であるし、人々の目を引くであろう。しかし、私でさえも、「うまくいく。」と言われれば、本当にそうだろうかと考えあぐねてしまう。ましてや社会の動向を常に観察しつづけている学者が、この事を見逃さずはずはないであろう。マルサスが『人口論』で、自然界の中で人口はあらゆる可能な生存手段を上回る傾向があり、貪欲でかつ増殖する人口と永遠に不足する食料との勝ち目のない競争が運命付けられると言うが、これは少子化に悩む今日の先進諸国の私たちから見れば嘘のような話で、到底信じられるようなことではない。しかしこの一方で深刻な人口爆発と食糧難に陥っている国もあることも考えると、彼の考えが現代の人口問題に応用が利き、且つ何かしら貢献しているだろうとも思うし、もしかしたらそれ以上かもしれない。一方で、人々に愛されたリカードの地主に対する反抗心は、私に日本の自民党と農家の結びつきを思い起こさせた。結局二人の悲観的な見方はどちらも実現しなかったのであるが、なぜこの二人の影響力は大きいのであろうか。それはどうやら西洋の人が最も価値を置く、「誠意に満ちた良心」を二人とも兼ね備えていたからのようである。

水野くん

 マルサスとリカード、生まれた環境は大幅に違う。片や裕福で、片や貧乏。しかし、貧しいマルサスが裕福な地主層を擁護し、裕福なリカードがそれを批判するということに。ぶつかり合うかと思えば二人は無二の親友。そういった本来つながりのない人間との友人関係は非常に大切なことだ、と聞いたことがある。まったく違う角度から見た物事についての知識を得られるからだろうか。大学に入ってからいろいろな種類の人と出会ったが、バックグラウンドの違う人の意見は何気ないことでもまったく違う。しかも友人の意見ということでテレビでのそれとは違い、素直に受け入れられる。(テレビ、本等ではだいたい批判的にしか見られない。)とにかく、自分の研究でも、生活でも友人という信頼の置ける第三者の意見を取り入れることが大切なのだろう。
 マルサスの『人口論』、世界人口が60億人を突破した今でこそ多くの人の懸念するところであると思うが、『全世界の人口を例えば十億人とするなら、人類は1-2-4-8-16と増え続け、生活の糧は1-2-3-4-5としか増えない。そして、二世紀後には、人口と生活の糧の比率は512対10となる云々』に関して、まるで時限爆弾を抱えているようだと感じた。マルサスの考えでは戦争や病気、事故も人類減少に"貢献"しているそうだが、それではあまりにもひどい。中国では一人っ子政策が一応の成果をあげつつあるというが、それもまた的確な政策なのか疑問である。どんなことにしろ制限されるということは気分的によろしくない。地球に人類が存在する限りついてくるこの問題はいつ解決するのだろう。早くしないと地球が人で溢れかえってしまう。いっそのことみんなで宇宙にでも"疎開"してみようか、とも思う。
 一方、その限られた土地を管理する地主を説いたのはリカードであった。彼は地主を『唯一の受益者』と見なしていた。彼自身『かなりの地代を受け取っていた』のに、である。彼の法則である『人口増加→穀物生産の費用の増大→地代・賃金の上昇→資本家(経営者の苦悩)→唯一の受益者は地主』を考えてみた。確かに場所を提供するだけで地代が入ってくる地主は楽チンだ。しかも貸すだけで何も減らない。彼の時代には輸入規制が撤廃されたことによって一応の解決を見たらしいが、現状はどうなっているのだろうか。資本主義の世の中、特に土地の少ない日本において、生まれながらにして土地が有る、無いで差がついてしまうのは紛れも無い事実である。この問題を解決するためにもやはり土地が無限にある宇宙に"疎開"することが必要になるのかもしれない。

小南さん

 私は、卒論の発表に行き詰まっていた。自分の考えようとしているテーマは、どこに歩を進めてゆけばよいのか。最終的に、何を目指して研究をしてゆけばよいのか、と。  私は「少子化」について考えていた。そして、人口が減るということを、本で得た知識を捨てて、単純に自分の頭の中でイメージしようとしていた。自分なりの視点を持ってみたかった。少子化についての問題は、昨今、高齢化と伴わせて、メディアをにぎわせているが、それだけに独自の研究テーマとして取り入れるのは難しいことだということに気付いたのだ。
  そんなことを考え、夜も深くなりつつある中、眠気と戦いながら、ふと気分転換にこの章を読んでみた。奇しくも今回は、マルサスとリカードという、二人の人口論者の話だった。そこで問題となっているのは、人口の増加に関することだったが、人口というものを別の視点からみることができておもしろかった。  現代から考えれば、「人口が増えれば、人々は不幸のどん底に落ちる」という陰鬱な予言は、単純で、こっけいにも思える。しかも、それは、今日のアフリカや、アジアのことを予測していたものでもなかった。このマルサスとリカードの人口論は、主に農業社会であった時代のことに言及しているので、これをこのまま、現在の、しかも、日本という先進国にあてはめてみることはできない。しかし、少子化からくる社会保障給付の問題や、女性の働き方にばかり気をとられていた私にとっては、一石を投じてくれたものだった。ひとが言う問題や解決策をそのままなぞっていくことに終わりそうだった私の研究テーマも、もっと自分の頭で独自の考えをめぐらせていくことができるんじゃないかと思えてきた。しかし、それでもまだ道はみえてこない。
  それにしても、人は、人口が増えれば、危機だ!といって騒ぐし、減っても、深刻になる。なんでもほどほどがよいということか。ほんとは数の問題じゃなくて、そこに生きる人の生き方が、重要なんだろうなぁ、とおもう。地球は一つの大きな家なんだし、一つしかないんだから、みんなで掃除をしたり、食べ物をわけあったりして住みよくしていかなければいけないんだろうなぁと思った。  

山田さん

マルサスという人物のことは知っている。「食料生産の増大は算術級数的であるが、人口の増加は幾何級数的である」と、述べた人である。リカードも知っている。1年のときの「経済学」の授業や2年での「産業経済論」の中でなど、今まで何度か出てきた、ワインが、ラシャが…の、『比較生産費の原理』の人だ。
しかし、この二人が同時代人、しかも論敵かつ無二の親友だった、ということは今回この章を読んで初めて知り、驚きだった。マルサスは終生を学問研究に捧げ、リカードは株式仲買人であった。それなのに現実世界の実情に興味を持ったのはマルサスで、理論家であったのは実業家のリカードだった。そして、富裕な地主を擁護したのはつつましい収入のマルサスで、地主たちの利益に対抗して戦ったのは、金持ちで後に自らも地主になったリカードだった…。二人の素性や経歴、そして主張する考え方もかけ離れている。
この、まったく違う二人を結び付けたのは「学問」なんだなあと思うと色々と考えてしまう。知り合ったきっかけもそうであるし、これは私の推測の域を出ないが、無二の親友とならしめたものは「真理の探求」という共通の目的ではないかと思う。
私は、仲の良い友達といえば、もちろん人それぞれだが、やっぱり似たような環境で育ってきたような子が多い。よく「大学は色んな人がいる」というけれども、私の行動の仕方がいけないのか、そんなに色んな人がいるのかな、と思ってしまう。
この二人のように、素性をまったくかけはなれたものにする、というのにはいささか無理があると思うが、「学問」を通しての関係、論を戦わせつつも、ひとたび教室を離れれば無二の親友、そんな関係が、これからの2年間でゼミの仲間たちと築いていければ、と思った。

玉津くん

マルサスとリカードの名前はサブゼミの『比較優位』のところでリカードが出てきたな、くらいでほとんど聞いたことがなかった。しかしマルサスの『人口論』で唱えた考え方は有名だし、この人がいて、中国の『一人っ子政策』はあるのだなと感心した。リカードの資源は限られているという考え方は現在では浸透しているので、現代の我々にはこの2人が言っていたことを聞いてもあまり驚きがないが、アダム・スミスの楽観的な考え方が浸透していた社会では、特に『人口論』はショッキングな考え方だったと思う。
このマルサスとリカードは考え方や立場が対照的であった。地主を擁護したのは貧乏なマルサスで、地主に対抗して戦ったのは金持ちなリカードだった。それゆえこの2人はことごとに議論したのは納得だが、驚くべき点は、この対照的な2人が無二の親友だったということである。議論するときは相手の考え方を徹底的に批判しながらも、その人を否定するのではなく、その姿勢を認め合う、この辺はわれわれ日本人には理解しがたいところだが、この態度は真理を追求する上ですばらしいと思う。論敵でありながら無二の親友であったリカードとマルクスは、まさに批判的精神を持っていたのだと思った。私は自分と明らかに考え方の異なる、右・左翼的な人々、宗教を信仰する人々に偏見を持ってしまっているが、その人自身を否定するのではなく、その考え方を客観的にそして徹底的に批判することができるようになりたいと思った。激しく議論した後で一杯飲みに行こうなどと語れる、リカードやマルサスのようになりたい。

島田くん

私は論敵かつ無二の親友というところで「理論化肌の株式仲買人と実践家肌の聖職者」と表現されている彼らの気質、関係や、そして、マルサスとリカードが対照的な人物であるというところで「裕福な地主を擁護したのはつつましい収入しか持たないマルサスであり、地主たちの利益に抵抗して戦ったのは、金持ちで後に自らも地主であったリカードである。」とされている逆説的な彼らの行動はとてもおもしろいところだと思った。なぜなら、私の今まで生きてきた人間関係において、そういった関係を持つことのできる仲間というのに出会ったことは非常に少なかったように思うのと、リカードのように自分の立場を自ら批判することのできるのは自分がその立場でそのように感じることができるからだと思うからである。なぜ、そのような感じを受けるのだろうと感じたのは、議論を好まないという気質や慣習があるのではないだろうか。極めて私的な事柄であるが最近感じたことがある。それは、自分は議論慣れしていると感じており今までそのように振舞ってきたのだが、自分と極めて近い立場にあり信頼してきた者に状況を無視した批判を受けたとき感情的になってしまうのである。親しい立場というものと議論の場がごちゃ混ぜになってしまい、全くの他人なら流せることができる部分なのに親しいがゆえに流すことができないのである。それは私が未熟なのであるのかもしれないが、マルサスとリカードの関係についてやはり素晴らしいという感じを受ける。次に、マルサスとリカードのというより学者というものの影響力を感じることができた。それは2人の主張が時代の視点を楽観論から悲観論に変えてしまったということである。理論というものはそれを人々に気づかせ、納得させた時に、その人々の行動を変えることができる。そのことを改めて感じたのとそれゆえ現状の問題に対し絶えず論理的代案を考えていく必要性を感じた。

中嶋くん

 「マルサスとリカードの陰鬱な予感」という題を見てリカードといえば「比較生産費説」くらいしか頭に思い浮かばない私は何が陰鬱なんだろうか?とまず思った。読んでいくと確かにアダム・スミスの唱えた「神の見えざる手」つまり市場に自然のまま任せればよいといった楽観的な考えが出て来た後にマルサスの社会の絶望を暗示する「人口論」は強烈であっただろうし、事実かなり批判を受けたようである。人間であれば自分達の不利になるものは否定したくなるものであるのは当然ではあるが・・・。
  マルサスの「人口論」が現在のイギリスや西ヨーロッパを描いているかといえばむしろ少子化が問題になっているように当然ノーであるが、それは当時とはいろいろな条件が違うから何ともいえない。しかし現在でも人口の問題を抱えているところは多く存在し南北問題ともかかわる国際的な問題でもある。こういう場所ではマルサスの理論も現実味を帯びてくるのだろうか。  マルサスとリカード。一見するとマルサスは一般人でリカードは裕福であるように共通点はないようにも感じるのであるがどういう訳か彼ら二人は大の親友。しかもマルサスは地主を擁護して、それに対し自分が地主であるにもかかわらず地主を否定するリカード。何とも不思議な二人の関係である。ここでいう「親友」というのは何か?二人はお互いの意見や考えを激しく議論しあう仲であるがそれが終われば一般的な「友」なのである。私はこういう話を聞いたことがある。伊藤博文が憲法を作るためにヨーロッパに留学しているときに議会で激しく言い合っていた二人が議会の後に二人で仲良くお茶を飲んでいて、その光景を見た伊藤はこれが議論のありかただと感じたらしい。しかし残念ながらこのような光景は日本の一般レベルではあまり見ることができない。それが日本の恥の文化といった伝統であるといってしまえばそれまでだが少なくとも大学のその中でもゼミという中ではそういうことがどんどんできる環境を作っていかなければならないと感じた。

堰口くん

 これまで一人づつ紹介されてきたのに、なぜ今回は二人同時なのか、最初にこんな疑問をもった。その一つの理由は彼らが無二の親友だったからであろう。しかし、それだけでは理由としては弱すぎる。もう一つの理由は、二人ともアダム・スミス以来の楽観論を吹き飛ばし、世界を悲観論へと導いたということだ。マルサスは「人口論」で人口は生産の上昇を上回る速さで増加し、貧困、病気、戦争、飢餓などによって調整がなされるとし、リカードは穀物法による穀物価格の支配により、労働者、資本家はどんどん所得、利潤を減らすことになり、地主だけが受益者になるとした。このように彼ら二人は、アダム・スミスの考え方には問題があることを明らかにした。同時にこの問題に気付き、それを明らかにしたという偶然が彼らを引き合わせ、ここで同時に紹介されることになったのだろう。彼らは悲観的な将来を予測したのだが、現在ではその問題はほぼ解決されているように思われる。マルサスの示した人口の問題は技術の進歩、人口抑制政策、都市化によって解決され、リカードが示した問題は、資本家階級が穀物価格の支配を打破していくことで解決される。しかし、すでに解決されているからといって彼らの考えはかすむものではない。マルサスの経済学に対する貢献は、スミスが気付かなかった不況の問題について触れたことであり、リカードの貢献は経済学を極度に単純化し、模型の世界を作ることで抽象道具を提供したことである。このことによって、地代の法則だけでなく、外国貿易、貨幣などの問題が解明されることになった。しかし、学者であるマルサスが直感的な人間であり、実業家であるリカードがより理論家であったことはとても興味深いと書いてあったが、私はそれほど不思議な話ではないように思う。学者であっても、実業家であっても、直感と理論のどちらが重要ということではなく、その融合、相互関係が重要であると思う。その二つを兼ね備えていることが成功の条件ではないだろうか。

久田くん

 マルサスの予言は、果たして杞憂であったのだろうか?イギリスと西欧を対象 にした場合(マルサスはそこだけしか対象にしなかったが)、彼の予言は杞憂に 終わった。
  しかし、マルサスの陰鬱な予言は現代にも影響を与えている。マルサス自身が 思いもよらない場所で、彼の予言は現実となっているのだが。  マルサスの時代、ゴドウィンの説くユウトピアに人々は希望をもっていたが、マ ルサスが「未来はそれほど楽天的に見つめていても良いものじゃない。もっと悲 観的なものになってしまうであろう。」と主張したとき、人々はどれほど驚いたで あろうか?嫌と言うほど驚かされたのだろう。もし、私がその時代に生きていて 、彼の主張を聞いていたとしたら、私は非常に驚き不快感を感じていただろう。
  しかし、マルサスの主張を聞いた当時のイギリス・西欧の人々が産児制限を行っ たり、産業の予測外の発展と巨大な都市化現象との相乗効果によって、マルサスの 人口問題の絶望的な予言が現実化することを防ぐことが出来た。これらのことを 実行できなかったのが、アフリカをはじめとする後進国であろう。程度の差こそ あれ、もし世界全体がマルサスの言う通りになっていたとすれば、世界は本当に 絶望的なものになっていただろう。
  リカードもまた、マルサスほどには極端ではなかったが、同じようなことを説い ていた。そして、私が興味をもったことはリカードという人物は株式仲買人であっ たということだ。株式仲買人という一介のビジネスマンであるのに、現代にまで残 る考察を行ったことは驚くべきことだ。誰でも経済学者になれるのだということ を実感した。
  マルサスとリカードの関係。これもまた興味深い関係だ。立場の違い、待遇の 違い、そして論点の相違があっても彼らは無二の親友であった。この関係は非常 に羨ましい。
  人口問題という経済学的にも重要なテーマについて深く論じ、現代の我々にま で影響を及ぼしているこの偉大な二人には畏れ入るばかりである。
 奥川くん  マルサスとリカード、この2人の最大の貢献は、実は彼らの研究内容そのもの ではなく、アダム=スミス以降の社会分析をそれまでの楽観的な見方から悲観的 な見方に変えたことであると、この章の終わりの方に書かれている。ここで私 は、マルサスの人口論がそれまでの楽観論を覆し、悲観論を世に広めたというこ とは理解できるが、リカードの唱えた地代の定義がなぜ社会に対して悲観的な思 想をもたらすに至ったのかがよく理解できないでいる。リカードは、社会構成の 中の唯一の受益者が地主であると言っているが、仮にそうだったとしても、肥沃 な土地の地主は更なる利益の蓄積のために、多少利益回収率は落ちるが、結果と して利益をもたらす他人の土地の買収を始めるのではないだろうか。そうなると、当然買い占められる側の地主は買い占められないように地代以外の収入源を 模索するはずであり、それは資本家がしたような工場の建設であるかもしれな い。現実には資本家による反抗によって穀物法が撤廃され、地主の天下は終結を 迎えるわけだが、結局のところ地主が唯一の受益者であったとしても、地主同士 の競争が発生し、一番肥沃な土地を持つ地主以外の人が現実に資本家が行ったよ うな改革を求め、自ら地主の天下を破壊するように動くのではないだろうか。そ うだとすると、私はリカードの主張を受けて楽観的な社会分析が悲観的になった という考えは間違っていると感じずにはいられない。
 また、マルサスについては、彼の意見が当時の社会を陰鬱にさせるものであっ たことは想像ができる。だが、現在はどうであろうか。私は、幼稚な意見だと思 われるかもしれないが、現在世界の人口が年々増大しており、何年後には飢饉が 各地で起こるなどという話を耳にした時、なぜ人類が宇宙に進出する可能性を考 慮に入れないのかといつも疑問に思うのである。今から100年後の人類は宇宙に 出てほとんど無限の耕地と、それすら必要としないほどの生産技術を手にしてい るのではないだろうか。少なくとも私は、そうなると信じている。

アダム・スミス

馬場さん

 アダム・スミスも今まで読んできた偉大な経済学者と同様に一風変わった人である。「国富論」を家の壁に頭をこすり付けながら口授したために、彼の髪のポマードの跡が残った、という文を読んだ時、私は「ああまたか。」と思った。それにしてもなぜこう、偉大な学者は皆同時に“変人”でもあるのだろうか。たまには「彼は普通で、特に変わった取り柄のある人ではなかった。」とかいう文章に出会いたい。普通に人生を送っているのではきっと何も成せないということなのであろうか。
 彼の名前は世界史をやっていない私にはあまり馴染みがなかった。アダム・スミスという名前に偉大な響きを感じず、何かの代名詞なのかとさえ思っていた。全く無知な私である。しかし大学に入って、おぼろげながらにも経済学をやる上では不可欠な人だということを知った。ちょうど今サブゼミで使っている「入門経済学」の“需要と供給”の所に、スミスが財の「使用価値」と「交換価値」の違いを述べた「国富論」の文章が引用されていた。それは水とダイヤモンドの例を挙げていてわかりやすい文章であったが、実際「国富論」は百科事典のようでかつ修飾部分が多く読みにくいものであるらしい。しかし私は東インド会社の説明の部分を面白いと思った。それによると、役人はみな一刻も早くその国を逃れたいと願っており、一旦そこを立ち去り自分の全財産を運び出してしまったなら、その国が地震に呑み込まれようとその利害には全く無関心でいる、とある。この文章は当時の西洋諸国の商人たちがどんな気持ちではるばるアジアや南アメリカまで貿易しに来ていたかがよく表されていると思う。彼の素晴らしい所は、人間の利己的動機のみの市場メカニズムの中に、社会調和を生み出す自己調整システムを見出したことだと思う。この「楽観的」な考えは消費者の恩恵を一番においているためになんとも輝きを持つのではないか。

水野くん

 アダムスミス、今まででてきた中で一番聞きなれた人物である。とはいえ知っていることといえば、『国富論』を書いた人、程の事しか知らなかった。
 今年からスティグリッツの経済学勉強していることもあり、経済学に触れることが多くなった。このアダムスミスの話の中には経済学のなかで耳にすることが良くある言葉、考えが多くあったように思う。中には私達が学んでいる現代においては当然とされていることも多くあるが、私は、『市場制度は人口も調整している』という項目に引かれた。『人間に対する需要は、他のすべての商品に対する需要と同じように、人間の生産を必然的に左右する』とは、画期的というか、なんとなくイヤな表現ではある。ではある、が、確かに彼の見方には納得せざるを得ない。ただもう少し人間味のある温かい表現は無かったものだろうか。
 アダムスミスといえば『国富論』ということしか知らなかったのに、その唯一聞いたことがあったはずの国富論だが、壮大なパノラマを持っていたことすら知らなかった。実物を見たことはないのだが、ここに書いてある限りでも、つながりがまったく見えてこない。「農業」「酒」「通貨」「軍隊」、普通複数の物事を考えるとき、人は同じものさしを使って考えようとするのではないだろうか。まして同じ本の中でならなおさらであろう。だが、彼はそうしなかった。やはり、『世界の偉人』は私達の考えの及ばないところにいるのだろうか。けれども幸いなことに、私も32時間連続で寝たり、70時間起きていたりと変なところもある。(自分では普通だと思っているのだが、、)もしかすると大成するかもしれない。

奥川くん

 アダム=スミス。この名前は世界史受験の私にとって馴染み深いものだ。「神の見えざる手」や自由放任経済などでよく知られた人物である。だが、アダム=スミスの生い立ちについての説明を求められたら、途端に何も知らないことに気づく。
 「世俗の思想家たち」で紹介されている偉人達には奇人(?)が多いように感じられるが、このアダム=スミスも例外ではないようだ。彼の放心癖は常人のそれとは比べ物にならず、一度考え事をしだすと完全に自分の世界に入ってしまう人だったという。 
そのアダム=スミスだが、彼の主張した自由放任経済というものは、全く理にかなったものだと思う。価格が自然に上昇・収束するという考え方も、市場制度は人口も調整するという主張も正しいと思う。だが、実際の現実世界はアダム=スミスが最終的に目指していた世界と寸分狂わぬ世界になっている(なりつつある?)のだろうか。私は、とてもそうは思えない。もちろん、アダム=スミスが生きていた時代と今は違うのだが、そうであっても彼の主張は自然現象や通貨価値下落による流通停滞など、経済に影響を与える様々な要因をあまりに考慮に入れていなさすぎのような気がする。そうでなければ、実質経済成長率が前年度に比べて下がっている経済などはどのように説明できるのか、と思うのである。
 そんなアダム=スミスだが、大量生産が人間を駄目にし、政府による何らかの防止策(特に学校教育の強化)を主張し、一方で、政府による市場メカニズムの介入は市場制度本来の働きを圧迫するものであるとして反対したのには、私は大いに賛同したい。アダム=スミスが、経営破綻した金融機関を政府が救済したりするのが平気で行われている今日の日本を見たら、はたして何と言うのだろうか。また、最近は少しずつ変わってきているかもしれないが、個性というものを排除し、社会の歯車の一つとして規格にあった優等生をひたすら生み出そうとする現在の教育について、アダム=スミスならなんというのだろうか。非常に興味深いものである。

小南さん

  人並み外れた“放心癖”の持ち主であったことを考えても、アダム・スミスはこの本に出てくるどの人物よりも正常な人であると思う。私は、どんなに頭が良くても、結婚相手やこども、友人などに迷惑をかけ続けていく人物は嫌いなのだが、彼は、それをわかっていたからか、一生を独身で過ごしているので、なんとなく憎めないのかもしれない。(まあ、彼なら、結婚していても、それなりに平穏な家庭を築いていただろうが。)  彼の言う、「市場法則」も、単純明快でわかりやすいし、彼の生きていた時代の社会を考えるならば、納得のいくものでもある。また、貧民に対する一般の認識が、非常に進んでいなかった世の中において、彼は、「貧しくみじめな者が多い社会が、繁栄したり幸福であるはずはない」と言っており、常識的な判断のできる人であったと思う。
  このように、比較的好感を持って、この人の物語を読み進めていたのだが、ある箇所で、「あれ?」と思う記述があった。それは、市場制度を発展させる、2つの行動法則について述べた部分である。その1つの、蓄積法則により、やがてより多くの労働需要を生み出すようになる。そして、今までの利潤は賃金を高くすることにより、なくなってしまう。それについて、スミスは第2の法則、人口の法則で解決をつけている。「人間に対する需要は、他の全ての商品に対する需要と同じように、人間の生産を必然的に左右する」と。だから、賃金の増加は、抑えられる、と。これは、少子化に悩む現代に生きている私にとって、考えられない発想である。労働への需要が増えたからといって、人は物みたいに、子供をポンポン生むのだろうか?確かに、この本でもすぐその後で、出生率が上がることを意味するのではないと、言っているが、それでもなお「人間の生産」という言葉を使ったことに対しての、戸惑いは残る。
  だがやはり、スミスは、自分の生きていた世界を研究におおいに持ち込んだという点で、説得力のある考えを打ち出せたと思うし、すっかりその様態を変えてしまった現代社会においても、経済学をやる者はみな、まず、彼の「神の見えざる手」を習うことを見ても、彼の言った市場法則は、経済学の根底に流れつづけていくと思う。

斎藤さん

 スミスは経済を壮大なパノラマから見ていた。すなわち、何が社会をうまく結合させているのか、そして社会はどこに向かっているのか、これらを広範かつ体系的なものの見方でその全図式を明確に示した。こうしたことを可能にしたのは、おそらく彼の百科全書的な知識であろう。 その反面で、細かいところにも目が行き届いていた。というのも彼はコトの両面を見ることを忘れなかった。分業による生産性の向上、政府介入による市場メカニズムへの阻害を認める一方で、分業制は「人間をなり下れる限り愚かにし、無知にする」といっているし、「政府がなにか防止の労をとらぬ限り」は、介入をむしろ勧めている。広さを保ちつつも深さを忘れないこのものの見方には、ただただ恐れ入るばかりである。  ところで彼は、社会をコマに例えて、旋回するコマが遠心力だけでまっすぐに立っていられるのは「見えざる手」によってだとした。またもちまえの鋭い洞察力で、コマがそれ自身の生活史を持つ有機体であるから、コマはその旋回力によってテーブルの上を動くことを見破り、ゆっくりとではあるがよりよい目的地に向かって動き続けるであろうと説いた。
  だが、彼はテーブル自体が時間とともに変化することを見落としていたのではなかろうか。凹凸ができるとは言わないまでも、ほこりがたまってコマが回りにくくなるかもしれない。彼は人間の利己的動機は相互作用を通じて、まったく予想もしなかった社会的調和を生み出すとし、利己的本能を社会的美徳として合理化したから、利益を追求する人々の自由な行為を好意的な目で見ることを可能にした。つまり人々の意識の変革に貢献したことで、産業革命の下地を用意したことになる。しかし実際のところ彼は産業革命を目の当たりにすることはなかったからこの欠陥には気付かなかったのだろう。もし彼が新しくかつ破壊的な力を持つ社会的勢力の最初の出現を見ていたなら、このテーブル自体の変化をどのように説いたのだろうか。

山田さん

 アダム・スミスというと(…というよりも、「経済学者」というと、かもしれないが)、頭のきれる、聡明な人というのが私の頭の中にイメージとしてあった。もちろん歴史に名を残すくらいであるから聡明な人であることに違いはないのであるが、ぼんやりしたところや、放心癖があったということを知り、意外であった。
 私もぼんやりと考え事をしたり空想をしたりするが、「よくボーっとしてるね。」と、まわりからいわれないところをみるときっと人並み程度のぼんやりなのだろう。何のCMだったか忘れたが、最近のもので、小学生の男の子が、教室の窓際の席でぼんやりしていると先生に怒られ、家に帰るとお母さん(?)が、「昔はお父さんもよくぼんやりしてる、っていわれたのよ。」というようなのがあったはずだ。あの子(とその子のお父さん)のように、個性として「ぼーっとしている」性格の人もいる。だが、この章でアダム・スミスのぼんやりぶりをみると、友人に「虫の動くよう」と評される歩き方をしたり、15マイルも空想にとりつかれて部屋着のまま歩いたり、突如催眠術にかかって衛兵を真似てあとに続いたり、と結構すごい。  今の時代の日本に彼のような人がいたら、たとえどんなに立派な論文を発表しても社会で認知されないのではないかと思う。しかし、彼は彼の生きた時代で認められている。学部長に昇進したりしているし、学生に愛され、講義は名高いものであったようだ。その奇妙な身振りや話し方は物まねされたようだが、それはからかい、というのではなく親しみのこもったもののようである。
 今までこの「世俗の思想家たち」に出てきた人物はどの人も変わり者という感じだが、社会がそのような人物たちの主張をどうやって受け入れていったか、ということに少し関心を持った。

中嶋くん

 恥ずかしながら私は世界史、日本史ともに人並みの知識があるとはいえない。高校(特に2年)のころ授業で寝たり、サボったりしたりしていた事が今になりつけがまわってきてしまい今は後悔している。ということで私は本来ある程度知っているべきであるアダム・スミスについははっきり言って名前と国富論くらいしか分からず何をやったのかもほとんど知らなかった。
 読んでみるとうっすらと記憶にある「神の見えざる手」という言葉が出てきたが、それは自分の利益を追求した競争は皆を幸せにし、しかもそれは自然に実現するということを言っていて、当時の重商主義を批判し、また重農主義を一部訂正して、その見えざる手が政府は余計な介入をしてはならず、市場を「自由放任」の状態にしておかなければならないという「経済的自由主義」の考えにつながることを知りアダム・スミスがよく経済学の祖といわれる理由がわかった。
 また需要と供給の関係を述べた話などは今の自分にも関係していることなので身近さを感じた。
  また彼の本意とは異なって彼の著書『国富論』が人道主義的立法に反対するためにふんだんに引用されたとあり、それに今日でも彼は保守的な経済学者であると考えられているとあるが、彼は決して富がすべてであるとは言ってるわけではない。市場の欠点も認めていて、そのために普通教育の必要性を主張している。もちろん当時と今とでは政府の役割などの多くの違いはあるけれど、彼は大きな富が市場を通すことによって社会の悪い部分をも解決することができると考えたのだ。実際に彼は富のことばかり考えていわけでないことは彼が平穏で満足しきったおそらく最後まで放心の癖を伴った生活を送ったことからも明らかである。

嶋田くん

私は、今までアダム・スミスは市場メカニズムを阻害する規制についてすべて否定的である、つまり政府が市場に介入することをすべて否定しているのであると勝手に思い込んでいた。市場に対する不必要な干渉をするべきでないと言う主張だと言うことをあらためて知り、その点については私も共感を得た。しかし、アダム・スミスのモデルには欠点があった。この欠点についても漠然とミクロ理論の市場調節機能が働かなくなり、マクロ理論が台頭してきたという具合ぐらいにしか考えてなかったが、アダム・スミスは18世紀のイギリスが永遠に変わらないことを前提にしており、成長があっても成熟はないと、考えていたところに欠点があることがわかった。それも無理もない話で、アダム・スミスは産業革命を目の当たりにしていないため、そのような仮説を立てざるを得なかった。だが、このような状況の中で現在でも多く用いられているミクロ理論を打ち立てることのできたアダム・スミスは言うまでもなくすごい。ただすごいと思ったのではなく、注目すべきはその理論の中に、人間の動機についてや、経済の機構ついてなど幅広い範囲にそれが適用されているところである。私たちが研究していくためのツールの原型がそこにあった。このことを今まで知らないでも生活してこれたが、頭の中でふと何かがつながったときというのはわかったことのよろこびをあじわうことができるが、今回はそれに近いものを得た。最後に、アダム・スミスのいう「利己心の副産物としての善」という言葉に感銘できた。それは介護の状況などについて頭にうかんだからだ。介護する側というのはされる側の人に対ししばしば無能であるからすべてやってあげるというような傲慢な態度で接してしまう場面がある。そのような、偽善についてまだ多くの人は気づいていないのではないだろうか。やってやろうという気持ちではなく、自分が一緒に生活していく中の結果として考えていくべきだと思う。

久田くん

 『国富論』。名前は聞いたことがある。著者はアダム・スミスで、「神の見え ざる手」という有名な言葉を残した人物。しかし一体、『国富論』とはいかなる 内容の書物なのか?知ることはなかった。  「この本は『たんにある偉大な人物の手になるというだけでなく、時代全体か らほとばしり出た産物』と言われてきた。しかも言葉の厳密な意味では、『独創 的』な著作ではなかった。」この文章を読んだとき、私はいささか面食らった。 『国富論』という200年も昔に著された、かの有名な書物はたしかにアダム・スミ スの手によって作り出されたが、創り出されたものではない。これはどういうこ とか?市場、また経済、つまりは社会というものの全体像を描き出したのだ。
  彼に言わせれば、社会は市場法則によって動いているのだ。株式会社、政府の 介入、市場構造の変化などの現代の社会をもたらした諸要因を除いて観察してみ ると、これは社会の原理をうまく表している言葉であると思われる。市場法則に よって、市場に競争がもたらされ、競争をすることによって、人々はまんべんな く向上してゆく。この向上の仕方、進歩の形態は市場制度を破滅に導くようにみ える要因そのものが、同時に制度を一段と健全にしていくだろう、というもので あった。 「よく、ここまで考えられたもんだなあ」と感心してしまう。他の多くの偉大な 人物たちの考え、ことばを使いながらも、ここまでまとめられるとは凄いと思う。 いや、思わざるを得ないだろう。
  社会構造は、アダム・スミスの生きていた時代とは大幅に変化している。しか し、その原理的なものは変わっていない。アダム・スミスの人となりは、いわゆ る「変人」であろう。この「変人」ぶりは、気にする必要はないだろう。彼は、 現代に生きる我々にいまだ影響を与えているのだから。墓碑に「『国富論』の著 者、アダム・スミスここに眠る」と記させるだけの偉業を成し遂げた、この偉人 には畏れいるばかりである。

堰口くん

 毎回思うことであるが、ここに登場する偉人たちには「まとも」な人がいない。「まとも」でないから偉人なのかもしれないが、それにしてもみんな個性が強すぎる。アダム・スミスも例外ではなかった。放心癖があり、衛兵の敬礼で催眠状態に陥ってしまい、衛兵と同じように杖を銃に見立てて構えたり歩調をあわせたりしたらしい。およそ常人のすることではない。こんな側面もあったが、かれはこれまでの偉人の中で、初めての(私の勝手な思い込みかもしれないが)学者らしい学者だった。会社を経営して成功を収めたり、政治の世界に介入し要職についたりすることもなく、ただ学問だけに集中して、他の方面にむやみと手を広げることをしなかった。しかし、彼の思想は政治、経済に対して多大なる影響を与えた。
 彼はその名著「国富論」で、富とはストックの概念ではなく、フローの概念であるとし、社会全体の富の増進を目的とした。そして、市場法則を定式化した。これらの考え方は、革命的であったとおもう。各個人が私利私欲に基づいて行動することで、社会全体がもっとも望ましい方向へ向かうとしたのだ。しかし、時代は資本主義がまだまだ未成熟な状態にあったときであり、みなが私利私欲を追求しようとした結果、恐ろしいほどの貧富の差が出現していたときである。そんな社会の中で、この逆説的な考え方を作り出したことは革命的としか言いようがない。彼が考えた自由放任の考え方は、環境の変化の中で、時代に適合するものではなくなってきているが、時代の諸問題を解決しようとしているいろいろな学派の経済学の根底には今なおアダム・スミスの考え方が流れていることは驚嘆に値する。付け加えてもうひとつ気づいたことは、経済学における偉人たちはみな最初から経済学を学んでいたわけではないということである。このアダム・スミスにしても彼は哲学者であった。先生もおっしゃっていたことであるが、経済学を学ぶには哲学者でなければならない。いやむしろ、哲学的思考を「世俗」の世界に当てはめたものが経済学であるといえるのではないだろうか。

玉津くん

 私が、アダム・スミスに初めて出会った、というより経済学と初めて出会ったのは、高校1年の政治経済の授業でした。「神の見えざる手」による市場の自己調整機能のことを教わって、経済て面白い!と思って文系に進むことを決め、現在こうして経済学を学んでいるわけです。彼は私が出会った最初の経済学者であるが、彼のことについては全く知らなかったし、彼の理論の長所と短所について考えられるようになったのは大学に入ってからである。アダム・スミスの国富論は、経済を自然にゆだねておけば「神の見えざる手」によって自然に調整されることを示し、現代の経済学の基礎を築いた。
 しかしご存知のとおり、この古典派の考えには盲点があり、不況ということを考慮していなかった。1930年代の恐慌では、そのために古典派の考え方では解決策を講じることができなかった。アダム・スミスなどの古典派の考えには、失業による所得の減少が消費を落ち込ませ、労働の需要を減らし、失業が発生するというスパイラルを想定していなかったのである。
 しかし、だからといってアダム・スミスが間違っていたということにはならないと思う。アダム・スミスが生きた時代にはそのような恐慌はなかったし、当時の経済を説明するには十分だったのである。しかも、現在の膨大な財政赤字の問題に直面し、まさにアダム・スミスが提唱した「小さな政府」が見直されている。現在の新古典派の台頭を見てもそのことがよくわかる。市場の失敗要因を踏まえた上で、アダム・スミスが言っていたことを現在の社会に実践すれば、財政赤字などの現代の問題は解決できると思う。

マルクス

奥川くん

 私がマルクスと聞いて、最初に思い浮かべるのは、立派なひげを蓄えた気難しそうな人という印象である。実際のマルクスの性格は、肖像画から思い起こされる印象通りであったようだ。重苦しく、鈍重にして小心、そして物事に対して悲観的な性格をしていたようだ。資本主義社会が最終的には破綻をきたすという予言も、彼の性格を如実に顕わしているのではないだろうか。
 私は単刀直入に言うと、マルクスに対して良い印象を抱いていない。その理由は色々あるとは思うのだが、真っ先に思い浮かぶのは、個人的に共産主義というものを健全な社会であるとは思っていないことだと思う。現実に共産主義化の波を受けた東ヨーロッパ諸国等は、現在では西側諸国に大きな経済格差をつけられているのが事実だし、共産主義の大国であったソヴィエト連邦も崩壊した。それ以前にも、共産主義対資本主義の闘争はあらゆる場面で多くの資金と尊い人命を奪ってきた。現在でも多数の人が共産主義の後遺症で苦しんでいるはずである。これは資本主義世界に生まれた一個人の独善的な考え方かもしれないが、「共産主義は悪だ。」と私はずっと思ってきた。
 今回、マルクスの章を読んだ後でも、マルクスに対する自分の印象は概ね変わっていない。あるいは、マルクスの唱えた「本当の」共産主義は、レーニンによって遂行・建設された共産主義国家とはかけ離れていて、本当はもっと理想的な社会形態を採るはずだったのかもしれないが、私は「資本論」等を読んでいないため、本当にマルクスが目指していた共産主義世界というものがどのようなものだったのかといことはわからない。だが、少なくとも現在の資本主義がマルクスによって競争相手を見出し、共産主義の外圧を受け続けたことによって競争原理を失わず、更に自国の利益追及のみに走ることに対して抑制する力、すなわち急進的な資本主義化を防ぐ力、を発揮したのだとしたら、皮肉なことにマルクスは資本主義の破綻を防ぐ一端を担ったということになり、その点については評価されるべきだと思う。

玉津くん

 マルクスの世界に与えた影響はとても大きかったにもかかわらず、私はマルクスについてあまり知らなかった。例えば、慶應の商学部でマルクス経済学について学ぶことはあまりない。なぜなら、ソ連の崩壊とともに、マルクス経済学は事実上葬り去られたからである。
 それでは、当時のマルクスの見方が違っていたのであろうか?1850年代のイギリスの資本主義を見て、資本主義は最終的に崩壊するという予言はある意味的中している。当時の資本主義は貧富の差による貧窮という問題を抱えていて、そのために、その後の世界では社会主義の国が多くできた。戦後のイギリスでは、「揺り籠から墓場まで」の社会保障、戦後の日本では終身雇用を保障するなど、資本主義が目覚しい適応力を示し、貧窮などの問題を解決した。たしかに、1850年代の資本主義は死んだが、資本主義の問題点を認識した上で、資本主義に改良を加えたため、マルクスの予言は現在では外れている。
 マルクスの「労働者は資本家に搾取されている」などというのは当時のイギリス等の国々では当てはまっていたのかもしれない。しかし、もちろん現在のわれわれが見たら違和感を感じてしまうが。彼の理論がそのように悲観的であるのは、自分の生活の困窮や当時の大きな貧富の差などという社会情勢の影響が大きかったと思う。その悲観的なマルクスの「資本論」という本によって、社会主義の国々の形成に影響を与えたとともに、それ以降の資本主義の見直しと改善に引導を渡したのがマルクスであると思う。

嶋田くん

 マルクスが描き出した資本主義の崩壊に関する理論は、「競争下では資本家がより多くの利潤を得ようとするため生産ラインの拡大をしようとする。そこにはより多くの労働力が必要となるが人を雇うにはコストがかかるために機械化が進む。そうすると、労働者の賃金は生命維持水準まで押し下げられる。さらにその機械化の代償としてその機械を使用して上げられる利潤相当の資金を機械購入の時に資本家が払ったとすると剰余価値の減少が免れない。このようにして知らず知らずの間に資本主義の崩壊が、歩み寄ってきてしまう。」ということであった。なるほどと思った。資本主義がうまく回るためには、絶え間ない技術革新が必要不可欠であること。このことは、現在の不況がその証拠を示していると考えてよいと思う。このような状況が来ることを予測していたことは資本主義がようやく根付きだした頃であることを考えるとおどろくべきことだと思った。今回マルクスの章を読んで、剰余価値の発生源が労働者を搾取して不払い労働をさせた分であることなど、普段なんとなくわかったふりをしていたような事柄をしっかりと再認識できた。
 また、マルクスのいいところでもあり、欠点でもあった完璧主義のところについてはひとつ感じるものがあった。完璧にしようとすればするほど、問題ばかりにとらわれてしまいその問題の背後にある問題の本質を見失ってしまうということだ。現在の我われの生活の中でこのようなことは、多く存在している。飛躍しているかもしれないが、例えば病気になったところを切り捨ててしまえばよいというような考え方、環境の問題、経済の問題、いろいろな問題についての対策というものが局所的な切り捨て、薬づけの治療といった感じのものが多く見受けられ、そのつけが現在にいたるのではないだろうか。確かに、物事の本質を見極めると一口に言っても難しい事であるがその大切さは計り知れないと思う。

堰口くん

 今まで見てきた偉人達と同様、マルクスも各面において非常に深さのある多面性を持った人物であった。私はマルクスに対して、「共産主義を作り出した学者」といったイメージしか持っていなかった。しかし、彼にはそれ以外に歴史家、革命家といった側面が存在した。読後の私の印象としては経済学者というよりはむしろ、歴史家、哲学者といったイメージが強く残った。彼は歴史を今までとは違った切り口から再認識することによって、社会の変化の根本にあるのは、経済的基礎の変化である、つまり衣食住を獲得する活動の変化であるとした。これは正直驚きだった。私にはこの考え方が、「なんだかんだ御託を並べてみても、結局は食べて、生きるということから社会は成り立っているんだよ」といっているように聞こえたからである。これだけ高度に発達した社会においても、これだけ複雑に発展してきた経済学においても、結局のところ、最も根っこにあるのはいかにして食べるか、いかにして生きるかを追求することなんだと改めて気付かせてくれた。学生をときに困らせる経済学も根本は身近なところにあるんだということに気がついて、楽に取り組めるようになった気がする。
 もう一つ感じたことは、(言い方がおかしいかもしれないが)マルクスは私が思っていたほど共産主義者ではなかったということである。彼は資本主義の行き着く先として崩壊を示したわけだが、彼自身、資本主義の修正はシステム的には不可能ではないと考えていた。そしてそれは現在存在している資本主義国家を見れば明らかであろう。では彼を共産主義へと導いたのはなんだったのだろう。それは国家という組織への不信感であった。彼は「国家とは経済を支配するもの達の政治的な支配機関」に過ぎないと考えていた。これは、彼の史的唯物論の見解からでたものだと書いてあったが、私はそれよりも自らの政府からの弾圧経験がそういう考え方を彼にもたらしたのだと思う。こんな経験さえしなければ、彼は世界でもっとも高名な資本主義経済学者になっていたであろう。というのも、彼の資本主義に対する分析は現在においても、色褪せることなく意味を持っているからである。

小南さん

 マルクスは、この本に出てくる経済学者のたちの中で、私が最もなじみのある名前だと思う。彼は、経済学だけでなく、世界史や、倫理の教科書にまで登場する、非常に顔の売れた人物であると思う。 だが、厳格なイメージのある彼は予想外の人物像であった。経済学者という人たちは大半がそうであるように、彼もまた自分の身を立てることすらままならなかったのだ。彼は、貧乏であった上に、金銭感覚がなく、自分の家の金ですら運用することができない。貴族の娘で、非常な美貌の持ち主でありながら、生涯貧乏生活に陥ることとなった彼の妻、イェニーに同情する。きっと、彼女は、自分の父が言っていたヒューマニズムそのものを、身をもって示すために、彼と恋に落ちる運命にあったとしか、考えられない。 ところで、私は、マルクス主義というのは、共産主義に執着しているものだと思っていた。だがしかし、この本を読む限り、マルクスは共産主義を頑固に押し進めようとしていた人ではないと受け取れる。マルクスは、資本主義が、自らのエネルギーの源から、崩壊を招き、その過程において、自らの敵(怒れるプロレタリアート)を生むであろう、と言っていただけである。彼は、資本主義の跡継ぎは何であるかについてははっきりと述べていない。共産主義をかかげた、激しい革命家、という人物像はここからは、どうしても浮かび上がって来ないのである。 だが、いずれにしろ、彼の“予言”は当たっていた。第二次世界大戦期には、ロシア、東ヨーロッパでは資本主義は姿を消していたし、ドイツやイタリアでも、ファシズムが台頭していた。しかし、その後、世界的に見て、資本主義は、崩壊の危機を乗り越えている。 
 その一方で、今でも、マルクスが資本主義の中に見いだした諸問題はすべてが解決されているわけではない。十数年ほど前に書かれたこの本では、日本は生涯雇用を保障することにより資本主義の抱える問題を処理している、とされている。が、今また日本は、不況や日本型経営の行き詰まりにぶち当たり、暗中模索している。  日本だけでなく、世界各国がこれからの数十年で、確実に高齢化社会へと移ってゆこうとしている。その過程で、各国は、所得の再分配を念頭においた、新しい形の資本主義を編みだしてゆかねばならない。  
 そういう風に考えさせてくれる、という意味で、マルクスはそんなに受け入れがたい主張をしていたわけではなかったように思える。資本主義のもつ問題を、冷静に分析したという点では、経済学者として、評価されていいと思う。もちろん、妻に迷惑をかけた夫としての彼は、置いておいて。

馬場さん

 マルクスは資本主義を攻撃したが、だから共産主義が良いのだ、と明確に主張していたのかという点においては、私は疑問を感じる。彼は死ぬ間際に「私はマルキストではない。」と言い、彼自身経済学者であると同時に哲学者でもあって、世界を解釈するだけではだめでそれを変えていかなければならないと言っている。こんなに人類の行く先を憂慮していた彼がそう簡単に「これが正しい。」と明言することはないと思う。例えそう信じていたとしても、これを主張するにはまず今ある体制をきちんと批判せねばならず、マルクスは“先駆者”として何よりもまず先に、資本主義を論理的に否定せざるを得なかったのである。
  マルクスによって初めて資本主義システムが徹底的に分析を受けたということは私には大変な皮肉に思われる。彼が景気循環というものが資本主義にとって固有な特徴だと確証したり、彼の先見がことごとく当たっていることは、彼が資本主義滅亡を唱えたにもかかわらず、今日の資本主義や経済学に多分に貢献していることを明確に表している。悪く言えば「利用されている」のかもしれない。しかしそれでも天国のマルクスは憤慨したりすることはないはずである。なぜなら彼は歴史の流れに注目していたからである。歴史は「みずから選んだ環境のもとではなく、過去から直接に見出し、与えられ、受け継がれた環境のもとでそれを作り出すのである。」と彼は言った。この場合の“受け継がれた環境”というのは、マルクスの予見通り大恐慌へ真っ直ぐに突き進み、そしてまた持ち直し、現在の繁栄している資本主義社会のことではないだろうか。現在、共産主義の大国であったソ連は既に崩壊しており、資本主義体制を取っていない国は中国などわずかに過ぎない。これはマルクスの言う「環境が歴史を作ってきた」結果に他ならない。今回私は、彼を暗い人だとは感じず、むしろ将来を思いやる冷静で熱意あふれる人物の典型だと思った。

中嶋くん

 マルクスというと自分はあまり良い印象はなかったしまた多くの人がそうだと思う。マルクス・イコール共産主義者というイメージがとても強かったからだ。しかしどうもそれは間違いとも正解ともいえなくて、どうやら彼は共産主義を強く押し進めていたわけではないらしい。彼が言うには資本主義は崩壊するということだったが、事実一時的にはソ連や東ヨーロッパに代表されるように資本主義は崩壊していた。しかし現在ではソ連も崩壊し東欧の共産主義も崩壊したし現在も社会主義国として残っている国も名ばかりであったりする(事実経験上ベトナムはそう言える)。こう見てみるといかにもマルクスの考えは間違っているかのようであるが、当時彼が述べたことのいくつか、たとえば資本主義における景気循環についてなどはのちに正しいことが証明されているし、彼は先ほど書いたようにレーニンとは違って共産主義を押し進めた人物ではない。
 彼が『資本論』を書いた当時の資本主義は完全に崩壊してしまっているのは事実であるのだ。現在の主流は言うまでもなく資本主義であるがそれが完璧な社会体制かといえばそれには疑問符をつけざるをえない。今の日本が抱えているような失業率の高さといった労働者の問題など問題は多く存在するからだ。しかし多くの問題を抱えつつも第二次大戦後世界の大部分で資本主義が採用されてきた背景にはそれぞれの国が資本主義の欠点や課題に対して所得の再分配といった方法で対処してきた結果であるのだろう。そういうことを考えれば資本主義をまじめに分析させるきっかけとなったのはマルクスなのだから今の資本主義にマルクスは貢献しているとも言えなくはないのではないか。

斎藤さん

 なぜ世界史にマルクスとエンゲルスがいつもセットになって登場するのか、そのわけを痛感した。おそらくそれは単に共同作業をおこなったから、という理由だけにとどまらないだろう。やはりエンゲルスがいたからこそマルクスは世界史に名を連ねることができたのだ。というのも、実生活においてのマルクスはまったくといっていいほど柔軟性を持ちあわせていなかったようだ。「喧嘩早く、不寛容な男であり、彼の推論の筋道についてこないものが正しかろうなどとははなから信じなかった。」というところからそのことがうかがえる。この弱点をエンゲルスがみごとに補ったのだ。もちろん経済面でもマルクスは彼に大変お世話になったのだが。
 それでは経済学者としてのマルクスには柔軟性があったのだろうか。5週間で仕上がるはずの「資本論」は結局18年を要し、すべての経済者の著作を読破する。恐ろしいほど几帳面な完璧主義者である。ところがその反面、かれは経済学者であるが、ときには歴史家、またあるときは哲学者、そうかと思えば革命家にもなる。「わたしはマルキストではない。」などと暴言を吐いたりもする。それに何よりも歴史をただ眺めるのではなく、見通すというものの見方は当時の世界においてはかなりの柔軟性を要するものだ。
 彼は資本主義の崩壊は不可避だと言っているのだが、世界のほとんどの人が資本主義を安易に信じきっていると思う。わたしも正直そうであった。しかしこれはとても危険なことだったのだと今回思い知らされた。時間的にも空間的にも広い視野で物事をとらえる。この点においてわたしはマルクスをおおいに見習う必要があるようだ。

水野くん

 共産主義体制というものは話として知っているだけで、実感としては何も無い。というよりもむしろ資本主義体制世の中で生活している私達にとっては想像できない社会のような気がする。第一万人が平等でいて社会がうまく動くなど考えられない。どれだけ働いても見返りが働かない人と同じだったのなら、一生懸命に働いている人も労働意欲を失ってしまうであろう、と考えているからである。なぜ共産主義を理想としていたのかわからない。
しかし過去にはマルクスの予言通りのことも起こっていた。過去ヨーロッパでは、資本主義が不安定性を助長し、経済的に崩壊していったり、社会的柔軟性の欠如と近視眼的な利益への隷従から崩壊していったりした。ただ、その崩壊した資本主義社会は今のものとはまったく別物であった。それこそ経営者は私利私欲に走り労働者の事などまったく考えずに金儲けの道具程度にしか思っていなくて、もちろん労働者の権利を守る団体や労働者のための法律なんてものも存在していないような時代の話であろう。だが、幸いなことに現在の資本主義社会では福祉手当て等の対処もきちんとしている。社会主義のよいところを取り入れた資本主義になっているような感さえある。
 誰の言葉だったか忘れてしまったが、『共産主義国家は失敗してしまった。ただ、日本だけを除いて』ということを聞いたことがある。高い税金や他の資本主義先進国と比べてもしっかりしている『失業手当』のような分配制度によるものかもしれないが、非常に興味深い言葉だと感じた。
 マルクス自身、極貧にあえぐことになるのだが、出身は裕福な家庭であって、妻も貴族出身と資本主義を恨みに思って『資本論』・『共産党宣言』などを示したのではなさそうである。現代では、自分のことが一番大切でありまず損得を考えてしまう、という風潮がある。時代は違うが、自分の立場は関係なく本当に信念を持って"良い"と感じたのであろう。どちらかというと資本主義的な生活をバックグラウンドにもっているのに信念をもって『共産主義』打ち込んだマルクス、さすがに世界の偉人に並べられるだけのことはある

久田くん

 マルクス――「共産主義」・「マルクス=レーニン主義」・『資本論』・「髭 」といったように、私の中でのマルクスのイメージは共産主義の祖であったとい うことだけで、マルクスはどのようなことを考えていたのか詳しくは知らなかっ た。また、マルクスの『資本論』は内容がとても難しく、量が多いというイメー ジがあった。そして、マルクスは共産主義者であるのに何故、その反対主義であ る資本主義の「資本」という名を冠した本を書いたのだろうという疑問があった。  マルクスは、資本主義の欠陥を見つけ出し、資本主義は結局のところ崩壊して しまうのだ、と主張していた。しかし、いま現在私はまさにその資本主義社会の 中で生きている。140年も昔に予言されているのに、資本主義はしっかりと生き残っ ているではないか!「おかしいぞ。マルクスは一体何を考えていたのだろうか?」  
 しかし、マルクスはしっかりと資本主義を観察していたのだ。彼が生きていた 時代の状態に合わせて、彼の主張を聞いてみると、「凄い!よく考えているなァ。」 と思う。 マルクスは『純粋資本主義』を対象にしていたのだ。  彼の情熱と憤りでもって、かつ冷静に描写したその体制の行く末は事実崩壊し た。 現在、我々が生きている資本主義社会とは、マルクスの予言した純粋資本主義の 欠陥を見直して新しく創り出されたものなのだということに気付き、非常に驚い た。  話は変わるが、マルクスとエンゲルスはその生活スタイルの違いが両極端であ るのに、彼らに友情が存在していたことには驚きを隠せない。自分たちの主義・ 主張が合致していたからこそ、固い友情が存在していたのであろう。  彼らが情熱をもって作り上げた考えが、共産主義だけではなく資本主義にも多 大な影響を与えたことを思えば、マルクスそしてエンゲルスには畏れいるばかり である。

山田さん

 最初にひとつ。この、「世俗の思想家たち」を読むのに、先生に指定された順番に何かとても深い意味、先生の意図があるのだろうかと前回あたりから疑問に思っている。重要な人順、先生の好きな人順・・・。歴史順でないことだけはわかるのですが。 
 今回のマルクスだが、高校のとき世界史を選択していた私にとってはこの本の中で一番なじみのある名前のような気がする。世界史においてはケインズやアダム・スミスといった経済学者の名前は暗記する単語のひとつにすぎず、ウェブレンなどは最近知った人物である。・・・とはいっても、マルクスについて知っていることといっても、「1848年にエンゲルスとともに『共産党宣言』を発表した」ことくらいだが、経済学者の中では一番印象に残っている。 よく、マルクスは、「とにかく暗い」人物といわれたりするが、今回この章を読んだ限りではそこまでの性格の「暗さ」は感じられなかった。それはまだ私がマルクスについて知っていることが少ないからなのか、それともただ単に私の感覚の問題なのか・・・。 「資本主義は破滅に向かう」というマルクスの主張に触れて、昔、資本主義は常に市場が拡大することによって成長するのならば、これ以上市場を拡大できない、というところまできて、成長することができなくなったら、その先資本主義はいったいどうなるのだろう?どうするのだろう?と、経済学の知識もほとんどない頃にふと疑問に思ったことがあることを思い出した。 
 実はこの章の中で私が一番きにとめたのは『社会というものは階級構造のうちに、すなわち好むと好まざるとにかかわらず現存の生産形式に対してある共通の関係に置かれた人々の集合体のうちに、組織されるもの』という箇所である。最近また「社会とは?」と考えていたところだったからだろう。

ヴェブレン

玉津くん

 変人ヴェブレンがなぜ偉大なのであろうか?彼は外見のみならず異様な人格を持っていて、そのために社会の一般人とは明らかに異なった視点を持ったのかもしれない。ヴェブレンは生涯社会から孤立していたが、そのために冷静に、そして批判的に現状の社会の構造を捉えることができたのかもしれない。
 私は、当時の実業家のことを泥棒貴族というのには抵抗があるが、しかし実際にそこには一部の企業による独占や、ライバル会社を卑怯な手で陥れるなど好ましくない社会の状況があり、それにもかかわらず当時の一部の金持ちはお金を持っているというだけで絶賛されていたわけで、それに疑問を投じたヴェブレンの視点は正しかったと思う。当時の世相から言って明らかに変なヴェブレンの考え方がなぜ多くの人の共感を呼んだのかを考えると、やはり一般の人々にも、理論的にも経済学的にもうまく説明できないにしろ、「何かこの社会はおかしい」みたいな感覚があって、そこに浮世離れはしているものの鋭く理論的に社会を分析し、当時成功してアメリカンドリームなどと絶賛されている実業家が実は泥棒貴族である、などとギョッとするような話ではあったが多くの人々に受け入れられたのだと思う。
 当時の資本主義経済の問題点を明白には経済学者が指摘できないのに対して、社会の制度そのものを外から批判的な目で見ることによって指摘したことがヴェブレンの功績であると思う。彼の死後直後に襲った大恐慌をある意味彼は暗示していたのかもしれない。当時は変な見方とされたヴェブレンのような社会制度の見方が大恐慌後には普通になったわけで、ヴェブレンは変人であったために時代の先駆者になりえたのかもしれない。同じ時代の人と同じ考え方を持っていたら単なる凡人にしかなれないので、他人と異なり変人であるということは偉人になるための条件なのかもしれない

嶋田くん

 ヴェブレンの物事に対する超然的な態度といい、彼の授業の様子などはまさしく変人である。近代社会における上流階級と下流階級との社会的安定理論を理解した時、私はなるほどと思った。そして彼の風刺の利いた理論による代案として出された彼の世の中に対する考え方、つまり原始的な社会において労働とは生存の代価であり、その仕事に対して人は天性の誇りや将来の世代を思う親心を持つということについて私は非常に関心を持ちました。産業革命により物があふれ、労働は分業化し簡略化して行き、一部の上流階級的なものの存在によって富は収奪され、だが人はみなその誇示的消費活動に憧れを少なからず抱いてきた。ヴェブレンの研究テーマは現代においてまさに直面している問題に密接にリンクしていると私は考えた。いま問題となっている環境問題や教育における諸問題など、文明社会と原始的な社会との葛藤の中で、豊かさの基準を改めて考え直さざるを得ない状況まで来ているのではないだろうか。
 大量生産、大量消費、高度の分業化があたりまえのものとして生きてきた私たちに生活のなかでの生きている実感というものがなくなっているように思う。私が考えている、生きている実感とは、まさに世の中すべての生命を感じることである。原始社会において人は生きるということに精一杯で、助け合う心とか、後世のことまで視野に入れた環境への配慮というものが意識的にではないにしろなされていた。文明社会の弊害とも言うべき状況が問題となっている背景にはそのような感覚の欠如があると思う。(なかなか、観念的で意味不明なことを口走ったかもしれないが。)今まで、ケインズ・ヴェブレンと読んできたが、やはりこのころの経済学者は哲学者でもあると先生はおっしゃっていたけれども全くそのとおりで、本当に読んでいてなるほどと、うなずくばかりである。

山田さん

ウェブレン…。初めてきく名前だった。彼がどのような功績を残して歴史に名を残したのかはもとより、経済学者であることすらわからなかった。なので、なんの先入観も持たずにこの章をよんだが、前回のケインズの章よりも人物描写が多かったという点で読みやすく、また今までに見聞きしたことのないキャラクターが驚き、というかおもしろかった。
本の中で彼のことを変わり者だ変わり者だといっているが、そこまでいうほどに変わり者だという印象は残らなかった。むしろ、毎日のベッドの支度をむだなことと思っていたり、不精で食器棚が空になると、積み重ねた汚れ皿の上に水道のホースを持ってきて一挙に洗い流す、といったエピソードに、面倒臭がり屋の私は共感さえ覚えた。
 また、経済活動を行なう人々についての探求、…構想ではなく、そもそもなぜこの制度は存在するのか、といったことに取り組む姿は、もっと彼について知りたいと思わされたところである。私も、「どうして人々は家族を形成するのか」とか、「なぜ子供をもつのか」と、『そもそも…』と物事の根源に疑問をもつことがある。ただ私が彼と違う点は、疑問に思っても日々の忙しさを理由にそこから先を考えようとしていないことである。「暇というのはあるものではない。作るものだ。」といったりするから、忙しい、ともっともらしいことをいって考えることを避けてるというきもする。もう少し彼を知ることで自分自身の探究心に刺激を与えたいと思う。
 ただひとつ、ウェブレンについてで、これはやっぱり許せないと思ったのは、女性にだらしがないところである。ここが大きなネックとなって、私はウェブレンファンにはならない、かもしれない。

馬場さん

 一読して、彼は本当に経済学者なのか?と思った。私の読みが浅いせいかもしれないが、今まで読んできた思想家の中で、初めて不可解な人物登場、である。しかし、彼が「超然として私欲にこだわらない異邦人」であり、友人もいなく世間と関わりが少ない点は、やはり学者であると私に感じさせた。彼は経済学者と言うより、社会学者に近いと思った。ある意味心理学者かもしれない、というのは彼は経済的精神病理学を明確にしたからである。ヴェブレンは世間に好意的な高い名声を確立した人だとはとても思えない。本の筆者も「彼はこんなにも世の中の人にダメージを与え、嫌われていました。」と書くことに一徹している。しかし彼はなぜ有名でかつ偉人なのか。それは社会についての考察を容赦なく特異な冷静さを持って行ったからである。しかもそれは時代的に「アメリカの腐敗した資本主義」を描写するのに適していたし、彼以外にそうすることのできる人がいなかったからである。
 確かに彼が「有閑がなぜ良いのか」という当たり前のことをテーマにして書いたことは興味深い。彼はこれを、野蛮的な部分が人間には残っているからだと考えた。略奪した者がトップに立つ世界など、未開な時代と何も変わってはいないではないか、と彼は言う。彼が、わかりやすい世俗の言葉で当たり前とされている経済生活を描写した点は評価できると思う。
 しかし今回はなぜか私の心の中に引っかかるものがあった。それは彼が本当に言いたかったことが私には見えないことである。彼のような変わった人は本性がつかみにくい。しかし彼は故意に、他人にはわからせないように自分を保って生きたのかもしれない。他人に理解してもらうということは、俗世間に交わるということであり、そうすること自然に、ごく当たり前とされていることを冷静に第三者の視線で分析しにくくなる。その理由のせいだとしたら、彼の人生は悲しいものであったと言えるかもしれない。

斉藤さん

 ヴェブレンは機械にかなり傾倒していたようだが、私はどうしてもこのヴェブレンと機械を同一視せずにはいられない。少なくともこの話からでは、彼の人間味、温かさを感じることはなかった。彼には少しついていけないとさえ思った。と同時に彼に対して同情心が沸いてくる。かわいそうな人だと哀れんでしまう。これまでに読んだ2人のような社交性や柔軟性が彼にすこしでもあれば、きっと自分の知識や知恵をもっと有効に使い、あのような悪運続きにも見舞われずに済んだのではないのだろうか。 彼が女性にもてたというのも私にはさっぱり理解できない。よく言えば神秘的、クールで何を考えているのかわからないところがミステリアスで魅力的、近寄りがたいからこそ近づきたくなるという矛盾を女性の心に引き起こさせる。悪く言えば、愛を与えることができず、さめていて、果てには漁色癖。これは一番ダメなパターン。ところが彼もやはり偉人に値するだけの要素を持ち合わせていたようだ。彼は埋もれている何かを発見しようと、ほんの些細なことにも常に注意を留めた。それはまるで子供だけが神様から持つことを許されている一種の特権のようなものにみえる。子供はまだ常識というものに洗脳されていないから、時にすばらしい発想をする。世界のMIRACREを真新しい目で発見したりもする。しかし、ひとは大人になりそれを分析するだけの能力を身に付けたころには、知らず知らずにその心を無くしてしまうものである。彼はそれら両方を生涯もち続けたのだ。これは非常に困難なことだ。以前私は、いじわるな神様は何か隠し事をしていて、それを見破られたくないから大人になるにつれこの特権を奪うのではないか、と考えたことがある。彼はこの世界はたいそう居心地が悪いと言っていたから、ひょっとするとその特権をもつことを許されている神様からの使者だったのかもしれない。彼はまさに異邦人、よその世界からの訪問者だったのだ。

中嶋くん

 文章の中にもあったように本当にヴェブレンという人物は変人だ。どうやら相当外見も変わっていたようだからその写真が見れないのは残念である。個人的にはヴェブレンが自分の頭文字のT・Bの意味をTeddy Bearと言ったりしているところはなかなかユーモアがあるじゃないかと思うし、教会組織を『チェーンストア』と、個々の教会を『小売店舗』と表現しているところなどは今言ったユーモアと世間的に知られている彼の社会からの孤立性が両方よく出ていて面白いというか結構笑わせてくれるじゃないかとも思ったりもする。また食糧管理局での彼の提案も彼らしく面白い。しかもこんな彼が女性にもてるのだから本当にヴェブレンはよく分からない人物である。
 彼がそれまでの経済学者とは異なっていったこと、それは彼が社会からの孤立性を持っていたことによって可能になった「社会をその中から見るのではなく距離をおいて見る」こと。よく偉人は何故?という疑問をもつことによって歴史に名を残せたということを聞くが、そういう疑問といったものを持つためには現状に埋もれていてはいけない。そういう点ではヴェブレンはそうした考え方をするには最適だったと言える。
 社会から浮いていたヴェブレンが有閑階級が何故生まれるかに対するそれまでの「閑暇が労働より好ましい」や「私利の追求の結果」といった考え方とは違う「掠奪の高評価によってかつてあった割り当てられた仕事のの成果を競うといった人が骨を折って働くことが祝福されなくなった」と言う考えを表した著である『有閑階級の理論』が世間に好評だったというのは実に皮肉である。
 彼は遺言でもいかにも彼らしいものを書いているがそれが守られなかったことを喜びたい。それによって今ヴェブレンと言う人物を知り楽しむことができたのだから。

奥川くん

 ソースタイン・ヴェブレン。私は、この奇行に富んだ経済学者の名前に全く馴染みが無い。ましてや、彼の研究領域や経済に関する考え方など知っているはずもない。だが、彼の主張したことは、彼が生きていた時代から100年程たった現代に生きる私の目から見ても「なるほど」と思わせるものを含んでいるように思われる。
 彼は、彼が生きていた当時の社会の常識からはとても考えられない一見奇抜とも言えるような理論を主張した。彼には主著が2つあったが、片方は有閑階級について論じた「有閑階級の理論」であり、もう片方は実業家を「泥棒貴族」であると主張した「営利企業の理論」である。そのうち、私は彼の「営利企業の理論」で主張されている実業家の存在意義について共感を覚えた。生産者と消費者の単純な流通経路があるにも関わらず、なぜわざわざその間に入りこみ、経路を複雑化して利潤を懐にしまうかを考えている実業家がもてはやされるのか。江戸時代の身分制度に「士農工商」というのがあるが、ここでも生産者である農・工は消費者との仲介役である商より上の位であったのが、いつのまにか逆転してしまったように感じられる。「ブルー・カラー」という言葉に「ホワイト・カラー」よりも悪い印象を感じてしまうのも、同様なことではないだろうか。この傾向は100年程前のヴェブレンの時代よりも顕著になっているのではないかと思うが、恐らくヴェブレンはいち早くこうなることを予期し、著書の中で疑問を投げかけたのではないかと思う。だとしたらその眼力は恐るべきものであると思うが、私は今回のヴェブレンに関する章を読んで見て、彼が社会の批評に優れていたことは理解できるけれども、既存の社会経済の批判に終わってしまい、自分が考えている理想的な社会経済が描かれていないこと(あるいは「世俗の思想家達」に書かれていないだけ?)が非常に残念だ。それを知ることにより、ヴェブレンという人間が最終的に何を目的としていたのかがわかると思うからだ。

堰口くん

想像以上の「奇人」だった。電話は引かない。通りがかりの農夫に蜂の巣を渡す。教会組織を「チェーンストア」、個々の教会を「小売店舗」と呼ぶ。他人には決して心を開かない。などなど、数え上げればきりがない。こんな人が身近にいたら、私なら絶対に付き合っていけないだろう。この奇人ぶりは経済学においても遺憾なく発揮された。彼は、金儲け至上主義の当時のアメリカ経済を決まりきった文句で説明する経済学に疑問をもち、それを遠くから客観的に考察し、経済を経済人の性質・慣行・しきたりといった人類学的側面から説明するという画期的なことをやってのけた。彼の冷笑的な性格ゆえにできたことであろう。
 しかし、私は彼の、自分自身をも客観的に見てしまうほどのクールさに違和感を感じる。
世の中の何もかもに批判的で、冷笑的な人物が、社会に自分の意見を主張すべく「有閑階級の理論」や「営利企業の理論」を発表したのはなぜだろうか。女をとっかえひっかえし女漁りをしたのはなぜだろうか。さらに戦争がはじまると、愛国心を発揮しワシントンで働きたいと申し出たのはなぜだろうか。彼は確かに変わり者ではあったが、本当は愛を与えられなかった、孤独でかわいそうな人物であったような気がする。愛を与えられることを知らずに育ったため、一方的に愛を与えられることを望み女漁りをし、自分の存在を認めてほしいがために本を書き、自分の存在を確認するために自国を守ろうとしたのであろう。もし、彼にもっといい環境が与えられていたならば、その能力を遺憾なく発揮して時代をリードしていたであろう。時代は一人の天才を獲得していたはずである。実に惜しいことだと思う。しかし、その奇人ぶりは何ら変わることはなかっただろう。ステッキを見て、「それを持つ人の手が有用な仕事ではないことに使われているという宣伝道具」と考える人間がどれぐらいいるだろうか。

小南さん

 ヴェブレン―彼は、時代の異端児というより、人類の異端児であろう。彼の価値観から、人格そのものまで、理解できる人はまずいないのではないか。文章を読めば読むほどその思いは高まっていった。が、しかし、この文章自体も果たしてどこまで彼の本質に迫っているのだろうか。いわゆる、私たちと同じ世界に住む、普通の感性の持ち主に、彼の中に広がる異様な世界を、普通の言葉を使って説明することはできるのだろうか?
 でも、まあしかし、斬新なアイディアというのは、往々にしてこのように特殊な人によって生み出されるものである。ひっくり返してみれば、こういう人がいない凡人だけの世界ならば、世の中の変化も発展も、何倍もの時間をかけていくことになるだろう。
 彼は、孤独で、不運であった。彼の講義に出席する学生も、いつもお決まりのパターンのように、回を追うごとに減ってゆき、最後に残るのはほんのわずかだった。“引力に引かれるように”ロマンスが進行して、結婚した妻も、彼の病的な浮気のために、とうとう彼のもとから去った。離婚後の彼には、世話を焼いてくれる者もなく、名声を得た、昔の弟子たちが日常の面倒を見ていたというから、なさけない。
 しかし、彼には、彼自身の言うところの、野蛮文化であるはずの“愛国心”もあったし、晩年には、株式にも手を出している。意外と俗っぽい所もあったのだろうか。
 一つ驚いたのは、彼が日本のアイヌや、封建時代のことをも、知っていたということだ。この時代には、まだまだ、日本という国自体が知られていなかったはずなのに、当の日本人でさえ、よく説明ができないかもしれないことにも、ヴェブレンは精通していた。これは、彼のいかに博識であったかを示すものだろう。
 私には、彼の理論の中に出てくる例えも、よくわからないが、彼の理論を高く評価する人も少なくない。その証拠に、こうして、死後も、ただの“変な人”扱いされないで、他の経済学者に混ざって、伝記のようなものが書かれている。少なくとも、彼は、誰も見ないような見方で世の中を見た、と言う点で、後世の人に何かしらの影響を与えているのだろう。

水野くん

 ヘンな時代に、まったくヘンな人である。社会主義者の論文について意見を求められたとき「雑誌の平均は400文字なのに、これは375文字だった」と答える。いまどき小学生でもこんなことは言わない。また、通りがかりの農夫に借りた麻袋に蜂の巣を入れて返す等のいたずらもする。そして世の中を超然とした視点で風刺する。私もかなりのいたずら好きであるが、ちょっと彼には引いてしまう。
 いたずらをしていたことが意味を持つのかどうかは知らないが、彼の時代に対する風刺はおもしろい。教会を小売店というなど、教会などまったく興味のない私にとっては意味深く印象的であった。彼の理論もまた風刺からきている。「有閑階級の理論」、表面的には金持ちを「野蛮人」と呼び、その愚かな行いやうぬぼれへの象徴的な攻撃と映ったこの理論も、彼の超然とした視点によって今までの常識とは異なった有閑の経済的意味を見出しているところをみると、やはり彼も歴史に名を残すべき経済学者だったのだろう。
私は彼の全てともいえるであろう超然的な視点が好きである。超然的な立場から物事を見る、常識と思われていることを全て否定して見る。結構なことだと思う。彼が常識を破って理論を作り出したこともそうだが、やはり常識にとらわれない考えをもつことが大事なのだろう。
 大学に戻った彼の授業では生徒がどんどん減っていって最後には生徒がたった一人になってしまったそうである。今年、ある授業では履修者が1030人いたというが、どちらも大変なのだろう。学ぶ側にはわからないところではある。

久田くん

 「第8章・ヴェブレンの描く野蛮な世界」という題名を見て驚きました。「産業革命が起こり、近代産業が社会に浸透している時代になぜ、”野蛮な世界”なのか?」と。しかし、ヴェブレンについて読むことによって、その”野蛮な世界”を理解することができました。
 19世紀のアメリカ産業社会について、ロックフェラーが巨万の富を築いたことなどは知っていたが、どのようにして富を築いたのか?また当時の産業社会はどんな様子だったのか?ということについて詳しくは知りませんでした。当時の様子を知り、「ひっでぇなァ〜」と思うばかり。それでもって当時の経済学者たちは、その様子を経済学で描写しようとしても、古い型にはまった欧州の経済学にあてはめるだけで全然、現実に見合っていない。そこで登場してきたヴェブレンは、当時の腐敗しきった様子をうまく表現していた。
 ヴェブレンは、いわゆる経済学という形で社会を説明したのではなくて、この現状をもたらせた原因を知ることを説明しようとした。これは経済学的というよりは、哲学的な考えだなと思った。先生がおっしゃった『経済学者は哲学者でもある。』という言葉がしっくりくる人物だと思った。
 彼が、社会を「野蛮な世界」であると痛烈に批判できたのは、彼のその異常なまでの世の中から離れ、別の観点から社会を見つめるという性格のおかげである。こんな性格が彼の偉大な考えを産み出せたということで彼の性格も一応の評価を与えるべきなのかもしれないが、私には出来ない。異常すぎるのだ。マァ、よくこんな変人もいたもんだなァと思う。彼の生活も、彼自身をかえることで何らかの形で変化していたかもしれない。でも、彼は変わらなかったからこそ、あのような考え方が産み出されたのだ。変人であろうと(ヴェブレンに失礼?)後世の我々の考え方に影響をあたえた偉大な人物には畏れ入るばかりである。

ケインズ

玉津くん

ケインズは死んだのか?
 ケインズは偉大な経済学者なのだろうか。それは現在におけるケインズ経済学の地位を見ると疑問を感じるところがある。しかしケインズが生きた時代をみるとその答えが見つかった。1929年のウォールストリートの株価大暴落に始まる大恐慌はまさに資本主義にとって大きな壁であったと思う。ここで私はこのとき既にケインズは独自の理論を構築していたと思っていたのだがそうではなかった。彼は1930年に『貨幣論』を出版したが、これはそれまでの理論と同様に、いかなる理由で長引く不況状態に停滞しうるのかを説明してはいなかった。つまりその時点では、ケインズは大恐慌という問題への解答を持っていない凡人だったのである。1936年に『一般理論』を出版したが、そこで提案したのは既にアメリカ等が適用していた行動方針の弁護にすぎなかったのである。しかしこれによって、この政府の計画が理論的根拠を持つことになり、また『一般理論』は大恐慌の原因を説明できたのだった。ケインズは天才的な才能によって突発的に理論を構築したわけはなく、当時の社会の問題を分析して、どうやったら説明できるのかを頭をひねって考えた上で偉大な『一般理論』を組み立てたのである。そしてその偉大な理論は現在にまで引き継がれている。「ケインズは死んだ」などと言われることがあるが、当時の社会と現在の社会の状況は異なっていることを考慮しなければならないと思う。ケインズが打ち立てた理論は偉大なものであるが、ケインズがもし今も生きていたなら、今の社会の状況を分析して、さらに新しい偉大な理論を構築してくれるに違いない。
 私はケインズの理論だけではなくそうしたケインズの意思を引き継いでいきたい。そう、ケインズは生きているのだ。

馬場さん

 「J.M.ケインズが打ち出した異論」という題名を見たとき、私はきっとケインズという人は普通の人ではなく、世間では変人扱いされた人だったのだろうと思った。しかし、読んでみたら、世間からちゃんと認められた人でしかも亡くなった時は国葬であったと書いてあったから、私のイメージは簡単に壊された。
 一番印象的だったのは、ケインズが経済学者の資格を述べている所である。「経済学の大家は種々の才能の類稀な組み合わせを要求され、相当程度に数学者、歴史家、政治家、哲学者を兼ねなければならない。」まさに彼はこの言葉通りのことを自ら実行した人である。鬼才な人であったのは事実であろう。何しろ忙しい。しかしそれは、彼が経済学者でありながら同時に芸術の分野にも深い造詣があり、若い頃から芸術サークルで活動し、後年音楽芸術関係の政府委員会の会長をしていたからである。
 この点に関して私は個人的に嬉しく感じた。やはり芸術に理解がある人とない人ではその人の人生の深みも変わってくると思うからである。「専門バカはやっぱりバカだ」と先生もよくおっしゃるけれど、ケインズも同じ考えを持っていたようだ。この前読んだ福沢とは正反対に、ケインズは政治に深く関わっている。彼自身が有名になったのも、ヴェルサイユ条約に出席し、政治家たちの先見の知が全くない戦後処理の仕方に憤慨して、それを告発したことがきっかけである。彼は従来の資本主義の考え方をひっくり返したが、「彼の説得力のある売り込み手腕は彼の実生活の特徴である陽気さと、栄達を見ることができる。」と書いてあったのに私はなるほどと思った。彼は世間に愛された経済学者であった。彼の自信と余裕は彼の恵まれた生い立ちや学生時代によるものであろう。ルーズベルトと会っても、彼の手の観察ばかりしていたというエピソードは、彼の性格のおおらかさと垢抜けたところを如実に表していると思った。

小南さん

 もし、ケインズが今の時代に生き、この日本の長い長い不況を目の当たりにしていたら、どうするだろうか?日本の政府も、これまで不況のたびに公共事業を増やしてきたが今はこれでは景気回復に十分な需要を生み出せなくなってきている。しかし政府は他に景気回復のための有効な手段を見出すことができずに暗中模索をし続けている。そんな状態で、国家の債務はふくらむばかりである。
 ケインズは、時代の状況に対して常に斬新なアイディアを出してきた。例えば、不況で経済が凍り付いている時には、政府の積極的な支出を提案し、逆に戦争で投資が過大なときは、国民の所得からの「据え置き貯蓄」を提案した。それらはあまりにも突飛すぎて、当時の世では受け入れ難かったようだが、彼の理論によって、それまで行き詰まっていた物事への解釈がされやすくなったのは確かだ。
 彼の理論は当時の人々にそれだけの驚きを与えたが、それでは、彼自身がガチガチに理論で凝り固まった、気難しい経済学者であったかというと、そうではない。と、いうより、彼は実にいろんなことに手を出し、「経済学者」も、多様な彼の、ほんの一面を表す肩書きでしかないのである。彼は大蔵省の代表も勤め、数学にも秀でていたし、ビジネスもやっていた。かと思えば、芸術・文化を愛し、人の手やつめ(!?)にも異常なほどの関心を示していた。とにかく、ありとあらゆることをやっていた人である。それでいて、どれも、うまくやりのけてしまう。実に軽快で、楽しそうな生き方である。そんな彼は「人生で一つだけ悔いを残したことは、もっとたくさんシャンパンを飲むことだった」そうだ・・・;
 彼の柔軟な発想をもってしたら、日本の景気回復対策にはどんな案が飛び出すのだろう?案外、「所得のほとんどを税金として取ってしまおう」という大胆なことをいうかもしれない。(私には、これくらいしか突飛な発想ができない;)彼を形容するにはまさに「鬼才」という言葉がぴったりなのである。そんな彼のような政治家が今現れてくれないか、と思うが、しかし、「鬼才」というのはごくまれにしか出現しないからそうよばれるのである。そう、そこらへんにごろごろしているものでもないだろう。それにしても、今の日本には、「鬼才」ではなく「スノッブ」−俗物ーが多すぎる。
 そんな状況を彼はおそらく、空の上で、思う存分シャンパンをすすって、微笑しながらながめていることだろう。

石内くん

 このような、ケインズのような人間を人は「天才」と呼ぶのではないか。心からそう思わずにいられない。世間には、努力して努力してようやく身を立てた人たちも、ある意味で「天才」と呼ばれる。しかし、彼らの優秀さとケインズの優秀さとではまったく異なる。本の中でも使われていたが、ケインズは「鬼才」である。「鬼才」とは、世にまれな才能がある人のことなのだが、まさしく彼はその部類の人間であるだろう。“半ダースもの人の才能が、幸運な偶然によって一人の人間に押し込められていた”という文からもわかるように、ケインズは四歳半にして独力で利子の経済学的意味の解読に努めていたり、七歳で経済学者であった父に一人前の会話ができる相手と認められたりと本当に彼の幼少期は恐るべきものである。
 ふと自分のその時期のことを思い出し、また今の状況を考えてみても唖然として言葉が出てこない。さらに、その後のケインズもとても活発で大恐慌と勝負している姿は本気で何かを成し遂げようとする者の本質を感じれたような気がする。大恐慌から脱すべく、世界を守るべく彼は『一般理論』を書き、現行の政策の正当性を説き、さらに応用させていった。また、大恐慌時代に起こる資本主義経済への疑念、民心の共産主義への移行を断固として否定し、いくら政府が市場に介入してもそれは共産主義理論に基づくものではないことを説明した。
 資本主義経済理論にとっての最大脅威である失業を解消するより高度な資本主義経済を創造するために働いた彼の功績は本当に大きなものである。これらのことより私たちが経済学を学ぶ際にケインズという人物を避けて通れない理由を改めて認識した。読後の感想として一番強く思ったことは、ケインズは大恐慌から世界を救済するために、もしくは彼がそれを経験することによって経済学がさらに発展するために、あの時代に生まれ、その才を与えられたのではなかったのだろうかということである。

嶋田くん

 私は、ケインズについてありきたりであるがすごい人物であると思う。まず、それまでの主流である貯蓄は美徳であるという考えを一変させた、一般理論を打ち立てることができたということは、発想力・着眼点などにおいて非凡であるということと同時に、その当時の主流となっていた理論に対するその精神力に尊敬した。自分の立てた理論がどんなに正しく、また現状を改善していくために有効な手段であったとしても、世の中の基準というか風潮がそれを認めようとしなければその理論は全く役に立たないものとなってしまう。結果的には、ケインズの理論はアメリカの政策を後押しする補助的な役割を果たすことになったのだが。
 やはり、どの時代でも現状またはその時代におけるマジョリティーの部分を変えていこうとするのは、非常に努力のいることだと思う。また、ケインズについて注目する点は、ハイエク教授とのやりとりの中で「計画は、指導者であれ追随者であれ、あたう限り多くの人々があなたと道徳的立場を共有するような社会において実行されなければならないのです。実行者たちの精神や心情が正しく道徳問題に向けられているのなら、彼らの慎重な計画は十分に安全です。」という部分がある。経済学者だから経済だけに精通していればよいというような姿勢をとらず、その政策を用いるところで生ずる哲学的あるいは、倫理的な問題についてちゃんと考えなくてはならないとしているところは、現在の我われの時代にも振り返り反省しなくてはならない部分はたくさんある。
 医者だから医学のことしかわからないとか、なになにの専門だから他のことは知らないといった具合の、口悪く言うと専門バカのような人たちが世の中を動かしてしているような状況は、高度に発展した分業社会の弊害であると思う。やはり、学問にしてもなんにしても人は、幅広い知識と何でも受けいれられるような柔軟な思考力を持つべきだと改めて認識した。

山田さん

 こういう人を、いわゆる「天才」というんだな、というのがケインズに対しての私の率直な印象です。
 著名な経済学者の息子として生まれ、幼い頃から人並みはずれた知的才能を発揮している。もちろん、パブリック・スクール時代や大学においても非常に優秀で、エリートという言葉がぴったりだ。どうでもいいことだが、ふと、世の中には、優秀な親のもとに生まれ、親と同程度かあるいはそれ以上に大成する子供と、優秀な親を持ちながら、人並みで終わってしまう子供のどちらが多いのか、などと考えてしまった。(もちろんケインズクラスの話ではなくて、世間一般的なレベルでの話で。)身近なところから考えると、後者のほうが多い気もするが、果たしてどうなのだろう?
 とにかく「すごい」という感じのケインズだが、それは幼少時代からの天才ぶりばかりでなく、彼の興味が多岐に及んでいることもそう思った要因のひとつだ。先生も前回の自主ゼミでいっていたことだが、福澤先生等、世の偉人と言われる人は、その分野だけでなく、実に色々なことに精通している。それは社会科学、自然科学といったカタイものから芸術といったものまで、広範囲に渡る。
 そしてもうひとつ。歴史に名を残すということは、それまでにはない説をといたり、誰も考えつかなかったようなことを実行する、ということなのかもしれないが、やはり、ケインズが自らの理論を主張したこともまたすごいと思った。既存の理論と違う自説を主張できるだけの下地、つまり、様々な知識、教養をまずは身に付けなければいけないなと思った。

斎藤さん

  ケインズを読んで感じたことは福澤諭吉とそっくりだということだ。幅広い知識、いたずら好き、先を見通す目などよくもここまで酷似するものかと思う。特にケインズは投機をするにあたって内部情報などあてにせず、「ウォール街の証券屋たちも内部情報など無視さえすれば巨万の富を築けるのに。」とまで断言し、その代わりにバランス・シートの精緻な吟味、彼の金融に関する百科事典的な知識、人物を見抜く直感、そしてある種の取引勘に頼り財産を築き上げた。これは福澤諭吉の「人間万事試験の世の中」と相通ずるものがあると思う。というのも彼は他人の言うことには疑いを持ち、無批判に信仰することをせず、ともかく自分でいけるところまでいってみようという考え方だからである。 
 また何よりもケインズが非凡でないと感じたのが、4歳半にしてすでに独力で利子の経済的意味の解読に努め、6歳のときに自分の頭脳の働きに関し疑問を抱き、7歳の時には父は息子が一人前の愉快な話し相手だと気づいたということである。私の場合およそ10を足してもたりるかどうか甚だ疑問であるが、私の父との一人前の愉快な話し相手というのは一生かけてもなれそうにない。 
 私は2年間経済学を学んできたが失業者について考えるとき単に働く意志があるのに職につくことができない人という表面的な概念しか持たなかったが彼の想像力豊かで応用の利く思考能力には驚かされずにはいられない。ケインズは失業者が不安定な神経のヒステリー状態や、狂気の絶望感からもたらされる組織、さらには文明への危険をも考えている。そのようなことを私は今まで考慮したことがなかった。 
 そして最後に、いくつものことを同時に進行していくことのできるケインズだったら、きっとピアノを続けることぐらいたやすくできたのだろうと思うと自分自身に対し嫌悪感を持たずにはいられない。

奥川くん

 「世俗の思想家たち」という題名を見て、容易に想像できることではあるが、ケインズも前回の福沢先生同様、世間一般の俗人と同じような嗜好を持っていたようだ。 
 偏見ではあるが、私は経済学者というと概ね重苦しい論理を追求し、ずっと研究室に閉じこもって執筆しているようなどちらかというとマルクスのような、悲観精神の持ち主が多いという印象を抱いており、実務よりは理論という考えを皆持っているのだろうと思っていた。そして、ケインズもそのような研究者の一人であったのだろうと考えていたのだが、実際にはそうではなかったらしく、ケインズは株式をやって儲けたり、学者商売は収入の見込みには程遠いという理由からビジネスを始めようとしたりして、金銭に執着するような俗っぽいところもあり、経済学者にはつきものである(と私が勝手に思い込んでいる)近づき難さをあまり感じさせないところに好感を覚えた。 
 私は、今回世俗の思想家達を読むまで、ケインズの生い立ちがどのようなものであったのかを全くと言っていいほど知らなかったが、その生い立ちを知ってみて一番意外に思わされたのは、ケインズが優秀な経済学者でありながら、楽天的で自由奔放な気概にあふれていたということである。一見すると無茶なような理論でもケインズの行動力の前には全く問題ではなかったらしい。私は、このように自由奔放に自分の生き様を貫き通せる人を尊敬せずにはいられない。歴史に名を残す偉人というのは才能のみならず、非常に高いカリスマを備えていると私は考えている。ケインズはそのいい典型だと思う。ケインズの唱えた経済学は、今日の経済には通用しなくなってきていると言われているが、果たしてケインズの理論とカリスマに打ち勝てる将来の偉人は、現在のこの世界に存在しているのだろうか。平成不況と言われている今日の日本で、景気対策がしきりに国会で審議されているが、ケインズのような覇気と行動力を備えた人物は登場、残念ながら見当たらないようだが…。

水野くん

 私はケインズにはなれない。なぜなら四歳のときはただ鼻をたらしながらピーピー泣いていて、『利子の経済的意味』なんて『の』の字ですら読めなかったかもしれないからである。六歳・七歳、比べるのが所詮無理な話である。しかしたとえ父親が経済学者であったからといって、わずか四歳半で、しかも独力で『利子の経済的意味』の読解につとめて、六歳にして自分の頭脳の働きに関して疑問を持つ。そして七歳にして経済学者である父
親のよき話し相手になってしまうというのは本当だろうか、本当に驚かされるばかりである。
 今回読んだ話の中で私が気に入ったのは偉大な経済学者ケインズが自らの手で興した劇場にまつわる話のところである。一劇場の金融の面からレストランのメニューに至るまでケインズは自分の手で指揮していった。ケインズがこの商売を自分が今まで考えていたことを再確認するために興したかどうかは知らないが、景気循環問題等をも研究している人によって経営されているのである。失敗するはずがない。もちろんケインズが自ら行動に出たのはこれが初めてではないだろうし、もしかするとこの劇場はバレリーナの奥さんのためという理由で建てられたのかもしれない。だが、そんなことよりも、ケインズのように、まず自らが理論を持ち、そしてその理論を利用しながら経済行動に移る。歴史に残る
人物の残した功績だけになにか理に適った最適な方法であるような気がする。
 またケインズが、国家が決定した条約を批判したり、景気循環に関して貯蓄を問題として取り上げたりと、型にとらわれない革新的で、先進的な考えをもっていたこと、そして、大胆にも試験であまりよくない点数をつけた先生に対して『彼はわかっていない』といってのけるほどの自信家でもあったことはやはり彼が只者ではなかったということを示しているのであろう。はたして、私は彼のような革新的かつ先進的な考えをもつことが出来るのだろうか、また何かそんなに自信を持てることがあるだろうか、やはり私はケインズにはなれない。ただ私もなにかケインズほどの自信をもてるものをもちたいと思う。

堰口くん

 天から与えられた才能「天才」とは彼にこそふさわしい言葉であろう。今世の中には天才といわれる人が大勢いて、天才という言葉が軽々しく使われている。しかし、そのほとんどが一芸にのみ秀でた天才である。だが、ケインズはそうではなかった。彼には経済学者としての才能はもちろんのこと、役人としての才能、事業家としての才能、果ては女性を見る才能まで備わっていた。うらやましい限りである。これらの才能を支えていたのは、彼の恐ろしいまでの洞察力、時代を見抜く力であろう。その力が特に強く反映した分野は経済学であった。
 彼の天才ぶりを示す逸話はたくさんある。彼は四歳半にして、利子の経済的意味の解読につとめた。そして七歳の時には著名な経済学者であった父に「一人前の愉快な話し相手」だと気付かせ、さらに文官試験で経済学が最低点だったことに対して、「試験管が私より経済学を知らなかった」といっている。これは負け惜しみでもなんでもなく事実だったのだ。
 こうした経済学のずば抜けた才能を遺憾なく発揮して、彼は「一般理論」を生み出す。「一般」とは名ばかりで、この理論は「革命的」なものだった。不況は自己回復機能を持っていないとし、政府の介入を積極的に認めたのだ。しかし、この革命的理論は思ったほどの反響をもたらさなかった。というのも、民衆には社会主義との違いがはっきりわからなかったためである。やはり、本当の天才というのは先が見えすぎているため、その人が生きている時代にはなかなか認められないものなのだ。
 彼は、経済学は簡単だが、種々の才能のたぐいまれな組み合わせが要求されるといっている。まさにケインズはこの条件を完璧に満たす経済学者であった。そしてその、種々の才能のたぐいまれな組み合わせというのは魅力ある人間の第一条件であると思う。「専門バカはやっぱりバカ」という言葉が妙に心に残る。

中嶋くん

ケインズというと経済学者のイメージしかなくいったいどんなお堅い人生を歩んでいたのかと思ったら予想は覆された。まあ彼を評するなら生まれながらの天才というか、いわゆる何でも無意識にできてしまうタイプとでも言うべきか。「私に比べて、試験官たちは経済学を知らなかった」といったのが、なんとも彼の非凡さや子憎たらしさが感じられるとともに、こんなことが言えてうらやましくてたまらない。
 経済学者というと自分の研究にのめりこんでいくというイメージが強いが実際彼は経済学者として貯蓄の既成概念を変えたりともちろんすごい業績を残しているが、実際自分でもビジネスをしたり、芸術に興味があったりと決してひとつの型にはまっていないところに他とは違ったところが感じられる。
 前回の福澤先生にも見られたことだが歴史に名を残す人間はすべてに才能があるとは言わないが自分の職業や専門の枠にとらわれることなく、さまざまなことに興味を持っているようだ。一見自分の才能や経験が今の自分に不必要に見えてもそれは何かの形で役に立つものである。ケインズは『一般理論』のなかで何かすごく画期的なことを著したというわけではないがそれがそれが評価を得たのには彼の分析力や文章力もひとつの理由に挙げられるはずである。
 物事をひとつの方向ばかり見て考えるのは良くない。しかし自分に当てはまることだがいろいろな方向見すぎていて何も見えていない感じだ。何かに向かいながらその途中で何か他のところにも寄ってみるといった考え方ができればと思う。

久田くん

 ケインズなる人間は、まさに「変人」だったのであろう。語弊があるかもしれないいが、ここでいうところの「変人」とは単に気がふれている人間のことを指すのではない。「天才的に変人」だったのである。本文中にある''4歳半にしてすでに彼は・・・”という部分、これは凡人がいくら努力しようとしたってといてい出来るものではない。人の様々な素晴らしい才能のエッセンスが何滴にも凝縮され、彼に注ぎ込まれたのである。そうとしか考えようがない。 
 この幸運にも「天才的に変人」となりえた彼が、現代に生きる我われにとって非常に大切なモノ、すなわちケインズ経済学をつくりだしてくれたことには、彼を創り出した神(?)に感謝を言わねばならぬだろう。
 さて、ケインズは「ブルームズベリー」という集団・場所に所属していた。彼のそこでの精神活動が、後の偉大な仕事をおこなう上で非常に役立ったのではないか?と思われる。今わたしの所属しているこのゼミでも、ケインズが「ブルームズベリー」でしていたように、わたしという人間を育てあげたいとも思う。
 (少しずれたかな?)
 ケインズが「一般理論」を産み出すようになった原因は、世界大恐慌である。恐慌による経済の下降化を立て直すという必然性によって、ケインズの「一般理論」はつくられた。彼は、とことん考えた。別のことも同時並行であったが。当時の考えにも真っ向から立ち向かい、強い精神力でもって「一般理論」を著した。そして、現在の経済をつくりあげた。我われは彼に感謝せねばならない。そして、我われが彼から学ぶべきことがある。「どんなことにも柔軟かつ真摯に対処し、自分の思うところを深く考え、判断し、それを貫くということだ」 いまだ、我われに強く影響を与え、深く考えさせる「天才的変人」には畏れ入るばかりである。

福沢諭吉

馬場さん

 「福翁自伝」を読むと、福沢諭吉の色々な性格や信念がわかるが、まず私が感じたのは、お金に関しては潔白だ、と言っていた彼が、今や日本の1万円札に自分の肖像が載っていると知ったらどう思うだろうか、ということである。もちろん国の紙幣と言うものはその国で一番「偉大だ」とされている人が印刷されるから非常に名誉なことである。以前に、その国が進んでいるかどうかは紙幣にのっている人物でわかると言う話を聞いた。つまり政治家や軍人よりも、文人が高い値打ちのある紙幣に載っていれば立派な先進国だというのである。日本も何年か前に一万円札が聖徳太子から福沢諭吉に代わった。代わった事の詳細を私は知らないが、日本もそれだけまた進歩したということなのであれば、日本が世界的に先進国となることを望んでいた福沢は喜ぶのではないであろうか。
 本の感想に戻るが、この本を読んで次に感じた事は、福沢は本当に心から日本を愛し、日本の行く末を非常に思案していたということである。彼は幼少の頃から老年に至るまで、強い信念を貫く。それは立身出世には関わらず、政治にもノータッチでありながら「独立自尊」の精神を持って自らの知識見聞を進めるべく、たぐいまれない努力をすることである。政治に関わらずに、ここまで影響力を持てるなんて驚いた。
 若き書生の頃は詐欺まがいのこともしても、彼が原書手に入れるために知恵を振り絞ったり、維新後に友人の命を助けるために奮闘したりするのを知ると、やはり彼はただものではないと感じる。気に入らないことがあれば上司にもはっきりとものを言うから、よく変動期に生きていられたなと思ったが、「こういうことは嫌いだからやらない」という明白な信念をただ持つだけでなく、それを実行することは本当に大変である。しかし彼のように世間の噂などを気にすることなく、自分の信じるままに突き進まなければ、偉業は成し遂げられないのだと思った。

中嶋くん

 「福翁自伝」って何だっけというのが最初の感想でした。そういえば入学したときにもらったやつだなと思ったとたんある不安が浮かんできた。一年前に日吉から引っ越したとき余計なものは捨ててしまったような気が・・・。部屋の収納のダンボールの中を必死に探したら発見。ほっとした。よく考えたら慶応生としてとして失格かもしれない。
早速読んでみる。どうやら題名どうり福澤先生の自伝のようだった。
 子供のころから武士が隠れて買い物したりするといった人間の見栄のようなものに疑問を持ったり、階級社会に対する不満をもったりしているようで「学問のすすめ」の書き出しの名言はここら辺にも端を発しているのかもしれない。
 幼少のころはもちろんのことその後における人生においても福澤先生の好奇心は旺盛だ。一般に知られている福澤諭吉は啓蒙思想家や一万円札のイメージが強いが実際は酒やタバコをやってみたり、川の上でアンモニアを作ってみたりとけっしてひとつの分野だけでなく遊びを含め広範囲にわったって物事に取り組む姿勢は見習うべきである。
 世の中が漢文をやっている時代に蘭語を学んだにもかかわらず、それも時代の波に遅れていると知ったときはさすがに落ち込んだようだが、それから独学で英語を極めたのだから恐れ入る。当時英和辞典なんかはないわけだから日本語と蘭語を使って英語を勉強したということは勉強したことに無駄はない事の象徴といってもいい。まさしく「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり」の実例。
 なぜ福澤先生は自分自身の能力を国に直接還元しようとしなかったのだろうか。もちろん福澤先生も国の発展を望んでいたはずではあるが、国による画一的な教育システムを作るよりも、自分の理想の教育で育った人材が日本に利益をもたらすために私塾の自由な立場を選んだのであろう。今も慶応義塾がそれなりの立場を保っているのには福澤先生の意思を継いだ先人達が社会に対しやるべきことをやってきたからであるはずだ。
自分も「福翁自伝」を読んだことを機会に物事には何か目的意識をもって挑もうと思う。

石内くん

 この本を読んで福澤諭吉という人物が私の中で描いていたものとは少し違った人物であることを知った。「福澤諭吉」というとさぞかし立派で、幼いころより勉学一筋で生まれもどこかの名家とばかり思っていた。ところが決してそうではなく、彼の大阪適塾時代は現代の学生と同様であると感じられた。その他にも彼がただ勉学だけに勤しんでいたのではなく、友達と共にいろんなことをやったということに親近感を覚えてしまう。時代は江戸と現代で異なるけれども、似通った点が多い事には非常に驚かされた。
 しかし、彼は幼少のころから信念と言うべきものをしっかりと持っており、たとえ相手が自分よりも位が高くても屈することのない姿勢に驚かされ、同時にさすがだなという印象を受けた。江戸から明治の日本史上有数の激動期にもかかわらず、彼がそういった態度を貫いたことに対して私は心を打たれた。また、彼をはじめとして生涯で人をひきつけ、成功を収める人物とは必ず自分の考えを持っていて、さらには世の中の状況を的確に判断できるだけの能力を持ち合わせている。
 彼について言えば、英語の重要性に早々と気付き実践し、幕軍と官軍の争いでは互いの特徴及び本音の部分をきちんと見極めていた。さらに彼の功績は、数々の外国の書物を翻訳し世に送り出している点と慶應義塾を創設したことではないかと思う。慶應義塾があのような時代の中でも一貫して経済などの政治以外に目が向いていたことは非常に評価すべきだと思う。「帳合之法」などの福澤の教えが若くて、志の高い人々に伝えられたことによって現在の日本が形成されたといっても過言ではないだろう。福澤は私が想像していたよりも現在の日本の形成に貢献しており、また彼が残した書物や人材は後の時代においても多くの分野で活かされた。私も慶應義塾で学ぶ身としてよく意識しておかねばと思った。 

嶋田くん

 福沢諭吉をはじめて知ったのは一万円札であった。その人が慶應の創始者であり、すごい人であると言うイメージは子どもながらに刷り込まれていた。やはり、有名な人物に対して英雄視するようなところは誰にでもあるところで、私も例外ではなかった。英雄となると付きまとうのは、必ずその人物の性格、素行といったたぐいのものは非の打ち所のないものであると勝手に決め付けてしまうことだ。多くの人物誌が世の中に存在するが、その人物の美談をひたすら並べているものが多い。福翁自伝を読んで福沢諭吉の印象は、正直言って悪くなった。緒方の塾に通い塾長を務めているときの話など、あまりはたから見てほめられるような性格や、素行ではないと思う。攘夷派の浪人に切られるのではないかと、びくびくしている場面や、またさらには、他の人間をつまり自分と考え方が違うものに対する扱いがあまりいいとはいえない。おたかくとまっているというかなんというか。それは、周りの環境によって自然にそうなってしまったのであるかもしれない。でもそういった感じを受けるのは、福沢諭吉が成し遂げたことが人並みでなかったことの裏付けなのだということや、不屈の精神で他を寄せ付けないようなオーラをはなち、絶えず冷静な態度をとろうとしている姿勢が冷たく映ったのではないかということも一方ではわかっていた。やはり、大成をなす人にいえることは、自分の考えていることについて妥協をしないで最後まで突き進むという独自の姿勢がある。
 自分のやってきたオランダ語が実際に通用しないことがわかったら、すぐさま英語の習得にはげんだ姿勢などが思い出される。福沢諭吉が自分の汚い部分を露呈してまでこの自伝を書いたところには、無知の知に通じるようなところがあり、やはりそのようなところに、ただものならぬものを感じた。自分に対する客観的態度や、不屈の精神には共感できるものがあった。

山田さん

恥ずかしながら私は、慶應生なのに福澤先生について何も知らなかったし、大学に入学してからのこの2年間、知ろうともしていなかった。今回初めて、福澤先生がいったいどのような人物であったかに触れたのだが、確固たる信念を持ち、またそれを生涯貫き通すその意志の強さに驚いた。
 300ページあるこの本の中でなるほどと思った箇所はいくつかあったが、その中でも私の心に一番印象に残っているのは、およそ人間の交際は売り言葉に買い言葉だという福澤先生の主張だ。藩の方から数代のご奉公の仰せを恩に着せられれば、家来にしてみれば数代にわたり正直に勤めたのだからそんなに恩に着せられる覚えはないとなるし、逆に藩の方から数代神妙に奉公してくれたと感謝の意を言葉にされれば、家来のほうも恩をありがたく思う、というくだりである。
 その考え方にとても共感を覚えたのは、私が好きでやっている野球部のマネージャー業ではあるが、雑用をやって当たり前、という態度をとられるとやる気も失せ、最低限の仕事だけすればいいと思ってしまうが、ありがとう、と一言いわれれば、当然のことをしたまででお礼をいわれるようなことをしたわけではない、と謙遜の態度になり、さらに頑張ろうという気も起きてくる、ということを最近常々考えていたからである。
 また、福澤先生は一身の独立を重んじてるが、人との交流においてもその精神で望んでいることも印象深かった。「朋友に交わるにも最初から捨て身になって取りかかり、たとえ失敗しても苦しからず」…一期一会という言葉も切なく聞こえ、一度でも交流のあった人とのつながりを断ちたくないと思ってしまう私には実行できないかもしれないが、その考え方、姿勢は心にとどめておきたいと思った。

斎藤さん

  この本を読んでまず思ったことは、「書生時代あってこそ今日の福澤あり」ということだ。というのも立派な人と私が思うところの条件には2つあって、
 その1、知識・知恵を人並み以上に有している。
 その2、人間として柔軟性があり、融通が利く。
両者とも、この書生時代にだいたいのところが築かれたと思う。特に後者にいたっては書生時代の朋友との人間関係によって、時にはいたずらもし悪いこともし、このようなある意味ユーモラスな福澤ができたのではないのだろうか。
 ところで、私的には1,2両方兼ね備えているに越したことはないのだが、1だけしかもっていない人よりかはむしろ2しかもっていない人のほうによっぽどなりたいと思っている。
 余談はこのくらいにして、彼の一番尊敬すべきところは世間体・立身出世・財産などといったことにまったく頓着しないところだ。今の経営者たちには是非福澤のような考えをもう一度見直してもらいたいものだ。彼らは利益を増すことにばかり固執するあまり、時によろしくない手段さえ使うこともある。 
 ところで、彼が成功したり失敗したりするたびに自分の子供を心配するように(そんな経験はないのだけれども・・・。)一喜一憂してしまうのはいったいなぜなのだろうか。たぶんこれは単に自分の通うところの創始者だからという以上にこの本をきっかけに今まで以上に親しみを感じたからだろう。 
 その偉大な福澤を自分の子供に例えるとはまったく恐れ多いことだが、何よりもコピー機があってよかった。私はこの文明開化後の世の中を見慣れてしまっているからそのありがたみというものを忘れがちである。「新日本の文明富強はすべて先人遺伝の功徳に由来し、われわれどもはちょうどつごうのいい時代に生れて祖先のたまものをただもろうたようなものに違いはない」とは福澤が本の中で言っていた言葉だが、本当にそういうべき人は今の私たちのほうで、福澤をはじめ多くの先人に心から感謝すべきだと思った。

水野くん

 正直この「福翁自伝」を読むまでは、福沢諭吉についてほとんど知りませんでした。このなかで特に感銘を受けたのは彼の卓越した時代を見る力と、世間の風習に流されない彼の他人とは違う彼の彼なりの信念を持った独特な考え方にです。
 彼の風習に流されないところはまるで、福沢は現代人がタイムスリップしたかとも思うほどでありました。幼いときからお札を踏んでバチなんてないではないか、と試してみたり、当時の生活における基礎の基礎である『門閥』を親の敵だと言い放ち批判し、人は全て平等であると説くなど、これが本当に江戸時代の人の話かと思わされるほど、古さを感じさせません。時代が時代だけに福沢のような考え方は今以上に貴重なものだったのではないかと思います。
 また福沢の時代を見る力、そしてそれを生かす努力にも感銘を受けました。英語がこれから先必ず必要だと思うと、『蘭学訳が出るのを待つという他人を横目に独学で英語を学んだ。』という話にもまして、あの時代に断行した『アメリカ、ヨーロッパへの海外旅行』のことが印象的でした。当時の人間にとって海外に行くということはまさに未知の世界への旅行といっても過言ではなかったはずなのに、そんな中、既に世界に目を向け、自分の強い意志で海外へ向かった福沢の判断は彼以外の何者にも出来ないことだと感じました。
 今まで生きてきた周りの環境を捨て、即ち長く封建体制を引いていた日本の土壌を合理的な体制ではないと見切り、新しいものをすぐに採用するなど、なかなか出来ないことではないでしょうか。もっともこれが出来たから歴史に名を残す人になれたのかもしれません。
 この自伝を通して『自分の知識をひけらかし、相手を試して楽しむ』若き頃の福沢諭吉、『相手が良いといっているのに律儀に定められたとおりの料金を支払う』嫌味なほど正直な福沢諭吉など、年表上の彼のイメージとは異なった彼を見ることも出来たことは良かったと思います。
 福沢の生きた時代、開国、明治維新と日本が大きく変わろうとしていたその最中、時代の最先端に位置し乗り越えてきたのは福沢の時代を見る力の賜物によるものだったのでしょう。今、コンピューターを中心に今度は世界的規模で変わろうとしていますが、この時代を最先端に残り、乗り越えるためには福沢のような時代を見切る力が必要なのだと感じました。

奥川くん

 恥ずかしい事ではあるが、今回「福翁自伝」を読むまで、私が福沢先生について知っていたことと言ったら慶應義塾大学の創始者であり、「学問のすすめ」や「天は人の上に人を作らず…」といった作品・名言を残した人物であるといった程度の事柄でしかなかった。そして、これらの足跡から想像するに、不真面目な所等一切無い聖人のような人であると想像していた。
 ところが、実際の福沢先生は無類の酒好きで緒方塾時代には随所で乱暴を働いたり、血を見るのが大の苦手だったり、攘夷論者による暗殺を恐れたりして、今まで福沢先生に対して抱いていた遠い存在であるという認識は消え去り、逆にこうした一面だけを見ると、私自身や、私の身の回りにいる友人と何も変わらない人物であったというような親近感を抱くことが出来る。
 しかし、そんな福沢先生と私が決定的に違うのは、福沢先生の根底には常に純粋な向学の精神があったということだろう。横浜で今までの蘭学の勉強がこれからの時代に適していないことを悟り、その翌日には英語の習得を目指して勉強を開始している事からもその心構えは窺える。「自分の行く末のみを考えて、どうしたらば立身できるだろうか、どうしたらば金が手にはいるだろうか……というようなことにばかり心を引かれて、あくせく勉強するということでは、決して真の勉強はできないだろう…」という一文は打算に基づく勉強をしがちな私を、福沢先生が叱っているように感じられた。
 私は「福翁自伝」を読み、多少なりとも自分の学問に対する考え方を改めねばならないと感じた。福沢先生と私が生きている時代は確かに違う。現代では情報の量も伝達速度も福沢先生が生きていた時代とは比べようも無いほどスケールが大きいだろう。だが、どんな状況であれ、単純に学問=金儲けの道具と考えることに何の抵抗も感じないのは問題があるのではないかということを、この本は気づかせてくれた。

玉津くん

偉大なる人!?福沢諭吉

「学問のすすめの作者で、慶應義塾大学の創始者といえば誰?」
私が高校のとき日本史の試験で出題された問題であるが、あまりにも福沢諭吉が有名であるため全員正解だった。日本人誰もが毎日のように福沢先生を拝んでいるわけで、あまりにも福沢諭吉は有名である。私は塾生でもあるし、勝手に福沢諭吉のことはよく知っているつもりでいた。
 福沢先生は裕福な家庭に生まれ、子供の頃から学問をよく学び、品格も備わっていたため、政府のエリートとして海外に行き、そのときの経験を本に名著を残した偉人である・・・。というイメージを私は持っていたが、福翁自伝を読んでそのイメージは崩れ去った。全然違うのである。小さい頃は勉強嫌いで、修行時代の話はとても品があるとは思えなく、大酒飲みである。野口英世が大酒飲みで品格がなかったという話は有名だが、あの福沢先生がこんな人だったとは!しかし、このことは私の福沢先生に対する尊敬の念を返ってより大きくした。なぜなら天才でもエリートでもなかった福沢先生が日本に残した偉業はとても大きいからである。
 昨日、私は慶應義塾大学商学部の堀田一吉君の保険学という授業を受けた。日本の保険の生い立ちの話としてどういう話をするのかなと思っていたら、福沢先生の話だった。福沢先生は『西洋旅案内』の中で初めて日本に保険制度を紹介し、また福沢門下生の阿部泰蔵が明治生命を確立するなどし、日本の保険事業の礎を築いたという話だった。 
 このように、福沢先生が日本の発展に貢献した例は無数にあると思う。しかし最初からそのようになることを想定して本を書いたようには思えない。横浜で英語がわからなくてショックを受けて英語を学ぼうと思ったことのような、知的好奇心旺盛さが福沢諭吉を福沢諭吉に至らしめたのではないかと思った。

堰口くん

 恥ずかしながら、私は塾生であるにもかかわらず福沢については幕末・明治初期を代表する偉大な知識人という程度の認識しかなく、もちろんこの福翁自伝も読んだことはなかった。(後者は大半の塾生にも当てはまるとおもうのだが・・・) 誰もが知っている偉人であるから、その生涯は、幼いころから勉強に明け暮れていたのかと思っていたが、この自伝の中の福沢はそんな私の勝手な想像とはかけ離れた人物だった。そこにいたのは「悪がき」だった。お札を踏んでみたり、いなりの神体をそのあたりに落ちている石っころに変えてしまったり、大人になってからも、嘘をついてふぐを食わせてみたり、友人に遊女からのニセ手紙を書いてみたり、屋根の上で大酒を飲んでみたりと悪さのし放題であった。単なる知的巨人ではなく、こういった人間くささをも兼ね備えていたことが福沢を時代を代表する偉人に押し上げたのだと思う。
 福沢は江戸時代という典型的な封建社会と四民平等、近代化を目指す明治時代という全く性格の異なった二つの時代を生きた。そして鎖国と藩閥を嫌い、決して政治の世界に足を踏み入れることなく、一大衆の立場から日本を文明国家へと導くために、若者への教育・民衆の啓蒙に力を注いだ。そしてその功績というのは疑問をさしはさむ余地のないものだと思う。しかし、私がここで痛切に感じたのはむしろ、徳川三百年だけではなく、その前から続く封建社会の重さであった。文明開化を、つまり江戸から明治にかけてのパラダイムの大転換を先頭に立って引っぱった福沢でさえ封建社会が残した負の遺産からは完全には脱却できなかった。封建社会とはそれほど重いものだったのだろう。
 私たちは、今まさに情報革命というパラダイムの大転換期に生きている。福沢ですら完全には対応できなかったパラダイムの大転換である。しかし、私たちは、彼が対応できなかった原因を探すことで、そこからヒントを得ることでこの大転換期を乗り越えることができるのではないかと思う。
 最後になってしまったが、私がどうしても書いておきたいことは、彼が大阪で育ち、そして大阪を愛してくれていたということである。

小南さん

 福澤諭吉といえば、多くの塾生・塾員の敬愛する先生、一万円札に載っているあの人である。と、いうことから私は諭吉という人は、えらく立派で、権力を持ち、お金持ちな人であると思っていた。
 しかし、「福翁自伝」には私の予想に反する人物が生き生きと飛びまわっている。いたずら好きで酒を好み、大胆なのかと思えば、小心者であったりする。柔軟な頭を持ち負けず嫌いで、ものすごい勉強家。時には大失敗もする。
 これを読むと、諭吉が歴史の教科書に「慶応義塾を創立した人」として登場するまでの、表舞台に上がるまでの、日々の暮らしがよくわかる。意外だったのは、これっぽちも権力に対して欲がないこと。だから自由に自分の思う通りに生きられ、人をひきつける魅力があるのかもしれない。
 そういった諭吉自身の人柄と共に、この本には、諭吉が生きている「明治」という現代を見ることができる。太平洋戦争中の人々の体験談はよく見聞きするが、維新のころの激動の波の中でもまれる庶民の不安感、世の中の不穏な雰囲気を庶民の目から語られたものを目にすることはなかった。
 それだけに、維新の前夜、東京で始まるかもしれない戦いに備えて、諭吉が逃げる用意をしていた所などを読むと、一見意気地がないなあ、と滑稽に思える。しかし、私はその後の、維新が多くの人々を傷つけずにすんだという歴史を知っているから気楽に笑えるのである。当時の人には先が見えないの だ。この時点では、そこが時の流れの最先端なのだ。その感覚がつかめた時、読んでいて心底おもしろいと思った。
 最先端といえば、諭吉はまさにそういう人であった。”授業料”をとることや塾内でのばか丁寧なおじぎの廃止を実施したことは、まさに効率性を重視したベンチャー企業のようだ。遺言状を生きているうちにはっきりと家族に示したり、家庭内において総領以外の子も平等にかわいがる事など、その当時にしては、珍しく、誰も思いもよらないことをする。しかし、それが後に世の中に定着したところを見ると、諭吉という人には、余程の先を見る目があったのだなと、感心せずにはいられない。
 その姿勢は、晩年になっても衰えることがない。年老いた諭吉が、次の目標を掲げ、希望に胸を膨らませて文を結んでいるところを読むと、そのいつまでも前に向かって歩いてゆく姿を想像させられ、「諭吉」という人と、「明治」という時代が、ふと、「今」も現役であるような錯覚をおぼえてならないのである。

久田くん

 福沢諭吉は、かなりエネルギッシュな人物であった。これが、「福翁自伝」を読んだ第一印象です。ちょうど2年前、塾生となり入学祝いとして慶応義塾から「福翁自伝」をプレゼントされ読み始めたものの途中で挫折・・・ この2年間、塾生でありながら創立者である福沢諭吉について、詳しく知ることはなかった。恐らく、福沢が入学祝いとしてこの本をもらったなら、すぐに読み終わり学友とともに、その人物・当時の世の中のことなどについて批評をおこない、今このときにどう活かせるのだろうかと思案しているであろう。
 私の福沢諭吉のイメージというものは、マア世間で云われるところの「学者さん」というものであったが、この本を読みこれまでのイメージは簡単に崩れた。とにかく活発に動き回るのだ。長崎遊学を終え(無理やり終わらされたのだが)故郷に帰らずにそのまま江戸に行こうと思い立ったり、欧米視察のときには自ら進んで視察メンバーになり欧米に行こうとすることなど、様々なことに対して積極的に動くのだ。
 そして、過去の事物について固執しない。漢学を学び、蘭学も学んだけれど時代は英学の時代だと感じ取れば、すぐに英学を志す。大概の人なら、いままで学んできたことを一切捨ててしまい、全く新しい学問に身を置くことにためらってしまう。しかし、福沢は工夫することで英学を学ぶ際、漢学・蘭学も取り入れ英学を向上させることに成功した。まさに「温故知新」という言葉がふさわしい。
 福沢は書物を読み、著すことに無上の喜びを感じていたのだろう。そして、新しいモノに見聞することにも喜びを感じていたのだろう。 近代日本を作り上げた人物のパワーには畏れいるばかりである。